第29話 国境砦へ
しばらく景色を眺めた後、大穴に突き出た岩盤にゆっくり降下していると、灰園の通路口から2人の男が現れた。あれは――
「ニド! ユウリイ! 大丈夫!?」
着地すると同時に、私はダニーの胴に回していた腕を離し、出てきた2人に駆け寄った。全身火傷でぼろぼろなニドを、ユウリイが肩を貸して支えている。
「僕は無事だ。だが、ニドは――」
「……さすがに……大丈夫じゃあ、ねえな」
ニドは喉を負傷しているのか、ヒューヒューと息を漏らし、
「……逃しちまった……クソッ……!」
ニドは自らに怒りを向け、悔しそうに吐き捨てた。灰園まで来てルクレイシアを逃してしまった悔しさは、相当なものだろう。火傷と刺し傷でぼろぼろな全身から、戦いの激しさと、決戦に懸けていたニドの執念が伺える。
「そっか……でも、生きてて良かった」
私はそっとニドの手を取る。ぼろぼろの手にいつもの力強さはなく、だらんとして重かった。普段なら「余計なことすんな」って私の手なんか振り払いそうだけど、その力もないのか、ニドは黙ってユウリイに寄りかかっている。
「そっちの彼は、無事に魂を取り戻したようだね」
ユウリイが、白銀の鋼毛に覆われたダニーに目をやり、私に話しかけた。
「うん。大穴に落ちたり、色々あったけど……何とかね」
私が岩盤の先の大穴にちらと目をやると、ユウリイが右目を見開き、表情がこわばる。
「! この穴は……! 早くここを離れたほうが良さそうだ。灰園は機能停止状態になり、作戦は成功と言って良いだろう。道中、思わぬ収穫も得られた。ルクレイシアに逃げられた今、これ以上ここにいる意味もない」
そう言うなりユウリイがもと来た通路口へ戻ろうとしたので、私は慌ててユウリイの手を取り話しかけた。
「ど、どうしたの!?」
「あの穴は、見えないんだ……何も」
「見えない?」
ユウリイは少し怯えたような表情で答える。
「僕の右目は全てを見通す……たとえどんなに暗く、どんなに深い穴であってもね。なのに、この大穴の底は何も見えない……つまり、闇そのものなんだ」
「……?」
ユウリイの言うことがよくわからず、私は首を傾げた。ユウリイは探るように大穴を見回す。
「死神の釜の名は伊達じゃなさそうだ……早くここを去ろう。まずはニドの治療と聖女への報告のため、国境砦に向かう。それぞれの話は道すがら共有しよう」
「……うん、わかった」
何もわからないけど、とにかく不穏なことだけは伝わった私は、ユウリイの言葉にうなずいた。ユウリイはニドを支えながら、再び通路口へ引き返していく。私も後を追おうとしたとき、ふとダニーが追ってこないことに気付き、振り返る。
「どうしたの、ダニー! 行くよ!」
いつの間にか人の姿に戻っていたダニーは、うつむきながら立ち尽くし、呟く。
「オレは……行けない」
「!」
私は急いで引き戻し、ダニーの元へ駆け寄った。ユウリイもニドを連れながら歩み寄る。
「どうして?」
「たくさん……殺してしまった。樹士団の一隊を潰しておいて、聖女様のもとへ戻るなんて……出来ない」
「それは……!」
何と言っていいか私が必死に考える間に、ユウリイが口を開く。
「君は、紫葉隊の樹士だろう?」
「! ……はい。でももう紫葉隊は――」
思わぬ言葉に驚きながら答えるダニーを遮り、ユウリイが続ける。
「紫葉隊はね、代々王子が隊長を務めるんだ」
「……? はい」
ユウリイは何を言いたいんだろう? ダニーも意図が掴めず困惑している。
「だから、今をもって紫葉隊の隊長は僕さ。樹教国第一王子、ユリエスタス・ユリシードの名において命ずる! ダニエル・アミキータ、同行せよ!」
「「王子!?」」
ユウリイの突然の宣言に私とダニーは大声をあげて驚いた。ユウリイが王子って……どういうこと!?!? ダニーも理解できず、しどろもどろに答える。
「は、いや、でも――」
うろたえるダニーに、ユウリイは背負っていた樹砲ミストルテインの
「ガヴリルの命は聞けるのに、第一王子たる僕の命は聞けないのか? この非常時、意図せぬ過ちをもって、貴重な戦力を捨て置くのは惜しい。悔やんでいるのなら、いっそう国のため尽くせ」
ユウリイは強い調子で詰めた。いつもの優男ぶりはなく、凛とした王子らしい態度だ。……ははあ、これはきっとわざと強く出たんだ。戻りにくいダニーを強引に着いてこさせるための、ユウリイの優しさかな。ダニーはユウリイの勢いに負け、敬礼した。
「……はっ。同行します」
……
……
こうして私達4人は灰園を後にし、蒸気自動車で国境砦へと向かった。運転席にユウリイ、助手席にダニーが座り、私は後部座席で消毒や包帯巻きなどニドの手当てをした。
ユウリイが車を運転して移動する道中(ちなみにダニーが「王子に運転させるわけには」と何度も運転を変わろうとしたが、ユウリイは「気を遣わないでくれ」とかたくなに断った)、私達は灰園でのそれぞれの出来事を共有した。
ユウリイとガヴリルの確執、ニドの死闘とルクレイシアの残した言葉、私とダニーの戦い(霊薬の飲ませ方は内緒!)……。そのどれもが驚きと衝撃に満ちていて、道中は話が尽きなかった。私の話の途中、ダニーが何か覚悟を決めるように黙って考え込むのが、私は気がかりだった。
……
灰園から車で駆けること1日。運転席のユウリイが、谷を塞ぐ砂防ダムのようにそびえる巨大な石積の砦を指差した。
「さあ、もうすぐ大戦の最前線、国境砦だ」
「あれが、国境砦……!」
助手席のダニーが感慨深そうに砦を見つめた。辺りは静かで、今は休戦状態のようだ。
エウロパ大陸を南北に縦断し、天高く壁のように立ちはだかる≪ウォール山脈≫。その中央を東西に貫通する谷の西端に築かれた砦が、樹教国を守る最前線≪国境砦≫だ。
両国とも、相手国へ行軍するにはこの谷を通るほかない。そのため、西端の樹教国側の砦と、東端の帝国側の砦の間の谷底の道は、幾多の戦が起き続けてきた。この谷は数え切れない程の死者を出してきたことから、≪三途の谷≫と呼ばれている。
「着いたよ」
ユウリイが砦の前に車を止め、私達は早速救護所へニドを連れていった。砦の一階にあるだだっ広い部屋に寝台がいくつも並び、負傷した樹士達が治療を受けていた。所々からうめき声が上がり、包帯だらけの姿が痛々しい。
忙しく治療する緑十字教会員に交じり、見覚えのある緑のローブを着たお爺さんが薬を調合している。あ! あれは――
「サニタスさん!」
「おお、嬢ちゃんか」
サニタスさんは、大釜で薬草を煮詰めている所だった。額汗を拭いながら、私に笑いかける。
「無事で何よりじゃ」
「お陰さまで! サニタスさんの霊薬と、ローエンのおかげです」
私が深くお辞儀をして礼を言うと、サニタスさんはユウリイが支えているニドを見て、真剣な顔つきに変わった。
「重傷じゃな」
「ええ、治療をお願いします」
ニドを空いた寝台に寝かせながら、ユウリイがサニタスさんに問い掛ける。
「治るまでどれくらいかかりますか」
「……状態は非常に悪い。世界樹の雫も在庫がなくての。完治に2ヶ月はかかるじゃろう」
サニタスさんがニドを診察しながらそう言うと、ニドは寝台に寝そべったまま力なく右手を挙げ、人差し指を立てた。
「なんじゃ、1ヶ月で治せとでも?」
「……1週間だ……手足さえ動けるようになりゃあいい……俺は早く、帝都へ……」
ニドは
「……無茶な奴じゃ」
呆れてため息をつくサニタスさんに、ユウリイは同情するように頷く。
「まったくです。それではサニタス翁、僕達は聖女のもとへ行きますので、ニドをお願いします」
「聖女なら2階の作戦室じゃ。敵軍が急に退いたでの、全隊長を集めて何やら作戦会議を行うようじゃぞ」
「わかりました。ありがとうございます」
敵軍が退いた? それに全隊長を集めた会議って……いったい、何が起きようとしているんだろう。私達3人は揃ってサニタスさんに礼を言うと、ニドを預けて救護所を後にし、砦の2階、聖女様のいる作戦室へと向かった――
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