3
どうするつもりだ…
訝る俺の腕に、口紅と同じ色の爪をした指が絡みついた。
「な、何のつもり…?」
「ふふ、貴方のお友達なら、ご挨拶しないとね?」
「は、はあ? 」
引き止める間もなく、彼女はピンヒールの踵をコツコツと鳴らし、俺の腕を引いた。
「ちょ…、ちょっ…、困るって…」
「あら、どうして? ご挨拶するだけよ?」
俺を理由もなくフッておいて、この期に及んでどうして松下に挨拶を…?
そもそも俺と彼女の間には、もう何の関係もない筈だ。
なのにどうして…
怒り…なのか何なのか…、腹の底が沸々と湧き上がって来るのを感じた俺は、彼女の手を乱暴に振り払うと、足早に店の外へと出た。
松下には申し訳ないが、後から謝れば良い。
ズカズカと足を鳴らし通りに出た俺は、行き交う車の並に空車 のランプを探した。
酔いなんてすっかり醒めていると思った。
でも流れるライトを見ているうちに、目の前にチカチカと星が散り始め、頭の中で鐘が鳴るような、そんな感覚に襲われ…
俺はその場に蹲った。
胃が焼け付くように熱くて、口の中に苦い物が広がる。
やべぇ…、飲み過ぎた…
後悔したところで遅い。
俺は蹲ったまま、立ち上がることすら出来なかった。
「ふふ、相変わらずだらしがないわね…」
俺を蔑むような、下卑た笑い声が聞こえたような気がしたが、それすらも遠くに聞こえて…
目を凝らしてはみるけど、チカチカと星の散る視界はグニャリと歪むばかりで、その声の正体すら掴むことが出来ない。
「智…樹…」
無意識に呼んだ名前…
目の前にいるのは、間違いなく彼ではないのに、どうして彼の名前を呼んだのか…
酒のせいにするには、あまりに自分が情けなくて…
俺は電信柱に背中を預け、両足を投げ出すと、ゆっくりと瞼を閉じた。
その瞬間、プツリ…と俺の意識は途絶えた。
どうやって自宅まで戻ったのか…
次に目が覚めた時、俺は自分のベッドの中だった。
「頭痛てぇ…」
完璧二日酔いだな…
鐘を打ち鳴らすようにガンガンと響く頭を抑えると、自分が何も身に着けていないことに気づいた。
勿論、シャワーを浴びた記憶はない。
俺は記憶を辿るように視線を巡らせた。
その時、
「ん…」
小さな声が聞こえて、俺の隣で何かがコソリと動いた。
「えっ…、なん…で…?」
「何でって…覚えてないの? 自分から誘ったのに?」
俺が…誘った…?
「嘘…だ…」
「嘘じゃないわ…」
濃いメイクの彼女は、長い髪を掻き揚げ、ゆっくりと身体を起こした。
露わになった胸の膨らみに、無数に散らばる赤い花…
瞬間、俺は全身の血の気が引くのを感じた。
ショックだった…
目が覚めて彼女が隣にいたこともそうだが、それ以上に、智樹を好きだと言いながら、それが例え酒のせいだったとしても、女性の身体に反応してしまった自分が恨めしかった。
「ねぇ、“トモキ”って?」
「えっ…?」
彼女が知る筈もない名前を口にしたことに、俺は心底驚き、ズキンと痛む頭のことも忘れ顔を上げた。
ヒヤリ…とした指が俺の頬を滑り、明らかに“それ”と分かる柔らかな感触が、俺の背中を覆った。
長い髪が、まるで蜘蛛の糸のように腕に絡み付いて…気持ち悪ぃ…
「どう…してその名前…を…?」
腹の底から込み上げて来る吐き気に、目の前がクラクラする。
「あら、覚えてないの? 貴方ったら、私を抱きながら、何度も“トモキ”って呼ぶんですもの…、気にならないわけないでしょ?」
俺…が…?
彼女を抱きながら、彼の名を…?
嘘だ…!
いくら酒に酔っていたとは言え、
いくら俺の彼に対する想いが強かったとはいえ、
彼女に彼の姿を重ね合わせるなんて…
そんなことあるわけない…!
いや、あっちゃいけない…!
そう自分に言い聞かせてはみるが、それ以外に彼女が彼の名を知る理由が見つからなくて…
俺は、きっと青ざめているであろう顔を手で覆った。
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