俺は大田君が差し出したスマホを受け取ると、そこに打ち込まれた文章を、声に出して読み上げた。


「”桜木さんて、案外どんくさいんだね”って…、いや今のはさ、そのさ、何て言うかさ…」


まさか大田君に見惚れてた、なんて言えないし…、返事に困った俺はしどろもどろになりながら、ただただ苦笑いを浮かべるしかなくて…


「そ、そう言えば…、アドレス交換したいんだけど…、良いかな?」


俺は無理矢理話を擦り替えた。


大田君は一瞬驚いたような顔をしたけど、すぐに笑顔に変えて小さく頷き、俺の手からスマホを取り上げ、何かを打ち込み始めた。


『俺、そういうの苦手だから桜木さんがやって?』

「あ、ああ、うん。じゃあ、ちょっと貸してくれる?」


大田君からスマホを受け取り、取り出した自分のスマホと二つ並べてお互いのアドレスを入力していく。

仕事上PCを扱うことも多いから、こういうことは得意だ。


「これでよし、と。ごめんね、俺、昨日ちゃんと教えとけばよかったんだけど、気付かなくて…」


スマホをポケットに仕舞い、再び自転車のハンドルを握った大田君に言うと、彼は静かに首を横に振って、再び歩を進め始めた。


時間も深夜を過ぎていることもあってか、擦れ違う人もいなければ、行き過ぎる車もない…、街灯の薄暗い灯りだけを頼りに大田君と並んで歩く。

普段喧騒の中にいることの多い俺にとっては、静か過ぎる程静かで…


何か話さないと、とも思うけど、こういう時に限って何から話したら良いのか分からない。


聞きたいことも、話したいことも、俺の胸の中には溢れ返ってるっていうのに…

もうすぐそこに大田君のアパートが見えているっていうのに…


情けないな…


自分の不甲斐なさに一つ息を吐き出し、丁度足元に転がっていた小石を蹴飛ばした所で、不意に大田君が足を止めた。


そして俺の腕を指でツンと突くと、目の前にある建物を指差した。


「ここ、俺ん家…」


街灯の下で、大田君の唇が静かに動いた。


自転車を駐輪場に停め、大田君が振り返る。

その顔が酷く寂し気に見えて…


とうしてそんな顔をするのか…、理由を聞きたくなる衝動に駆られるけど、喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、


「じゃ…、俺帰るから…。あ、もし…本当に“もし”で良いんだけど、気が向いたらメールして? 俺、待ってるからさ」


それだけを言うと、軽く手を振って大田君に背を向け、今来た道を引き返そうと一歩を踏み出した。


その時…


「えっ…?」


汗で湿ったシャツの背中を引っ張られ、俺は二歩目を踏み出すことなく後ろを振り返った。


「大田…君…?」


今にも泣き出しそうな顔…


少なくとも俺の目にはそう映った(実際は恥ずかしかっただけみたいだけど…)。


「どうしたの? 早く帰らないと心配するよ?」


いくら仕事とはいえ、こんな時間まで恋人が帰らないとなったら、俺なら気が気じゃなくて、それこそ捜索願いも辞さないところだ。


「ほら、早く帰って上げな?」


本音を言えば、このまま大田君を恋人の元へ帰したくない。

でもそれは大田君に恋人がいる以上、到底許されないこと。


俺はシャツをギュッと握る手を解き、猫背気味の背中を軽く押した。


でも大田君は微動だにすることなく、首を何度も横に振ると、俺の手を掴み、建物の丁度二階部分を指差した。


それが何を意味するのか分からない俺は、当然首を傾げ、大田君の口元を覗き込んだ。


「“き・て”? えっと…、間違ってたらゴメンなんだけど…、俺に着いて来いって言ってる?」


まさかそんな筈はない、って…

ありえない、って…


そう何度も自分に言い聞かせるけど、 目の前の大田君はさっきまで横に振っていた首を、今度は縦に変えて振っていて…


嘘…でしょ?

だって大田君の部屋には…


いくら大田君のことが好きでも、恋人の待つ部屋に足を踏み入れるなんて、俺はそこまで肝の座った人間でもないし、無粋な真似をする程野暮な男でもないつもりだ。


「ゴメン…、それは出来ないよ…」


俺はキッパリ断った…つもりだった。

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