11月17日(火曜日)葛藤と前進


 楓坂と婚約して欲しい……。

 旺飼さんにそう言われた翌日の朝、俺はいつも通り通勤電車に乗っていた。


 あの後知ったことは、この婚約の話を楓坂は知らないという事だった。


 そりゃ……、そうだろうな。

 まだ彼女と知り合って五ヶ月くらいだが、あいつがこういうことを嫌がることは知っている。


 つまり、婚約をして引き止めるという方法は最後の強硬手段というわけだ。


 しかしこのままだと楓坂が連れ去られてしまうというのも事実。


 いったいどうしろって言うんだ……。


「おーい」


 考え込んでいた俺のすぐそばで、女子高生の声が聞こえた。

 気づいて前を見ると、結衣花が俺の顔の前で手を振っている。


「おはよ。お兄さん」

「よぉ。結衣花」


 いつも以上に考え込んでいた俺を見て、結衣花は不思議そうな顔で訊ねてきた。


「どうしたの?」

「ああ……。いや、なんでもないんだ」


 本音としてはここで頼りになるのは結衣花なのだが、さすがにこの件を相談することはできないだろう。


 なにより、楓坂のプライバシーに関わることだ。

 訊きたくても訊くことができない。


 だが彼女は俺の不安を見抜いたように話を切り出してきた。


「もしかして、楓坂さんと婚約してくれって言われたことを気にしているの?」

「……知っていたのか」


 結衣花はコクリと頷いて、俺の隣に立った。


「昨日ね。二人が二階に上がってなかなか降りてこなかったから、私が呼びに行ったの。そしたら偶然聞こえちゃって……」

「そうだったのか」


 楓坂を引き止める条件は二つ。

 まず仕事で結果を出し、楓坂の祖父に実力を認めさせること。

 その上で彼女と婚約し、むりやり日本に留まることを納得させるという算段だった。


 結衣花がこのことをすぐに理解できたのは、俺と楓坂が同じチームで企画対決に参加することを知っていたからだ。


 俺の方から話してはいなかったが、楓坂が伝えていたらしい。


 そのため結衣花もこの話の意味は理解しているのだろうが、簡単なことではないという事に気づいているようだった。


「俺が思うに、たぶんこんなことをしても楓坂は喜ばない。……むしろ怒ると思っている。だが、彼女がむりやり政略結婚の道具にされるのは我慢ならないんだ」


 すると結衣花は落ち着いた様子で頷いた。


「うん。私もそう思う。きっと楓坂さんはそんな解決法を望んでいないよ」

「結衣花も楓坂を助けたいと思っているのか?」

「なに当たり前のことを言ってるの。私は一年半くらい楓坂さんと一緒にいるんだからね」


 部活の先輩後輩の関係とはいえ、結衣花と楓坂は仲がいい。


 最初は楓坂が一方的に結衣花のことを特別視しているだけかと思っていたが、結衣花もまた楓坂のことを姉のように慕っている。


 二人の絆に比べれば、俺なんて入り込む余地はないのかもしれない。


「ねぇ、お兄さん。私にもなにかできないかな?」

「結衣花が?」

「うん」


 今まで結衣花といろいろな話をしてきたが、自分から『なにかできない?』と訊ねてきたのは初めてだった。


 結衣花はスクールバッグのショルダーベルトを両手で持ち、下を見ながらつぶやくように語り始める。


「今だから言っちゃうけど、私ね、後輩さんのことがうらやましかったんだ。いつもお兄さんから気に掛けてもらってるし、何かあったら最優先で助けてくれるし……」


 結衣花が後輩……つまり音水のことを気にしていたことは知っていたが、そんなふうに思っていたのか。


 実際はそこまで特別なことはしていないのだが、結衣花の目から見ればそう映ったのかもしれない。


「でもね……昨日の話を聞いた時思ったの。助けられる側じゃなくて、大切な人を助けられるようになりたいって」


 それは今まで見せたことのない、結衣花の攻めの姿勢だった。


 どちらかと言えば、結衣花は内向的な性格だ。

 俺にはズケズケと言ってくることはあるが、他の人には受け身の姿勢を崩すことはほとんどない。


 そんな彼女がこんなふうに言うのは、それだけ楓坂のことを大切に想っているからだろう。


「俺の知らないところで結衣花もいろいろ考えて、いつの間にか成長していたんだな」

「その言い方、ジジくさいよ」

「褒めてんだけど?」


 そうそう、そのセリフこそフラットテンションの結衣花様だ。

 彼女のひねくれたセリフを聞いた時、俺の中でスイッチが入るのを実感した。


 どんな問題でも絶対になんとかしてみせる。

 そしてなんとかなる。


 まったく根拠はないが、なぜか俺はそう確信をすることができた。


 楓坂や音水に抱く感情とは違う、言葉にできない不思議な気持ちを俺は結衣花に感じているんだ。


「結衣花がそういうふうに言ってくれると力が湧いてくるぜ」

「その言い方、なにかいい方法があるってこと?」

「ああ」


 俺は結衣花の頭を優しくポンポンとなでる。

 すると彼女は「わふっ」っと声を上げた。


「安心しろ。俺がなんとかしてやるよ」



■――あとがき――■

いつも読んで頂き、ありがとうございます。

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次回、笹宮の打開策とは!?


投稿は、朝・夜の7時15分ごろ。

よろしくお願いします。(*’ワ’*)

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