8月19日(水曜日)楓坂の引っ越し


 水曜日の午後。

 ザニー社で話合いを終えて外に出た時、ビルの入口で楓坂が待っていた。


「ごきげんよう、笹宮さん」

「待っていてくれたのか」

「スカウトの話、どうなさったんですか?」

「断ったよ。今の会社でもう少し頑張ってみたいって言ったらわかってくれた」


 すると楓坂は驚いてみせた。


「すごいわね。あの叔父様を簡単に納得させるなんて……」

「そんなに驚くことか?」

「ええ。あの人は目的を果たすためなら、鬼畜外道を笑いながら行うような人よ」

「言いすぎだろ」

「控えめですけど」


 ザニー社の専務の旺飼さんは、コミケチームの補佐に俺を選んでくれた人であり、楓坂の叔父になる。


 やり手の実力者だとは聞いているが、紳士な立ち振る舞いはそんな噂をはねのけるものだった。


 しかし、あの楓坂にそこまで言わせるのだから、本性は相当なものなのだろう。


 最寄り駅に向かって歩いていると、楓坂は普段に比べて真面目な口調で話しかけてきた。


「笹宮さんに話さないといけないことがあるの……」

「なんだ?」

「私、引っ越しをするんです」

「……突然だな」

「両親は海外で住むことになって、高校からずっと叔父様の家に住んでいたの。でも二十歳になるまでという約束だったので……」


 隣を歩く楓坂を見ると、うつむき加減ということもあって表情が暗いように見えた。


 もしかして……。


「遠くに行くのか?」

「叔父様がマンションを用意してくれたので詳しい場所は知りませんが、たぶん大学の近くになると思います。笹宮さんが使う路線とは真逆ですね」

「となると、あまり会えなくなるんだな」

「そうですね」


 肩をすくめて楓坂は可愛らしく苦笑いをしてみせた。

 その表情はどこか寂し気だ。


 話をしているうちに、俺達は駅に到着した。

 

 立ち止まった楓坂は自然にほほえみ、右手で握手を求めてきた。


「いろいろありましたが楽しかったです」

「ああ、俺もだ」


 俺は彼女の手を握る。

 スラリと長く、細い指だ。


「結衣花さんにも会いたいですし、月に一度くらいはこちらにきますね」

「その時は、カフェくらいはおごってやるよ」


 別れの挨拶を終えた彼女は長い髪を手で払い、颯爽と駅のホームへと消えて行った。


   ◆


 三日後の土曜日。

 休日なので自宅のマンションでゴロゴロしていた時、インターホンが鳴った。


 ピンポーン♪


 こんな時間に誰だ?

 まぁ、どうせ訪問販売かなにかだろう。


 このマンション、家賃が安いのはいいがセキュリティをもう少しなんとかして欲しいぜ。


 暇だったこともあり、俺は確認をせず玄関のドアを開く……が、俺は目を疑った。


 なぜなら、そこに立っていたのはメガネを掛けた巨乳の美女……楓坂だったからだ。


「と……。隣にひ……引っ越してきた、か……楓坂……です。ご挨拶に伺いました……」


 顔を真っ赤にした楓坂は涙目になって、はずかしさのあまりプルプル震えていた。


 雰囲気たっぷりに別れたくせに、すぐに再会したんだもんな。

 そりゃあ、恥ずかしいだろうぜ。


 かくいう俺も、さすがに唖然としている。


「引っ越しって、俺の自宅の隣だったのか」

「わ……私も今日初めて知ったんです。なんで笹宮さんの隣なんですか。もうっ、もうっ!」

「おい、パンチすんな。俺のせいじゃないだろ」


 どうにも状況が飲み込めない。

 こんな偶然があるものなのか?


 すると楓坂は叔父の旺飼さんから預かっているという手紙を手渡した。

 封を開けて読んでみると、とんでもないことが書かれている。



 笹宮君へ。

 この手紙を読んでいるということは、引っ越しを終えた舞と再会している頃だろう。


 身内の私が言うのもなんだが、舞は生活力がまるでない。

 そこで笹宮君を見込んで、彼女を任せたいと思う。


 きっと君なら舞を見捨てずに助けてくれると信じている。

 もしその過程で二人が恋仲になったのなら、むしろ喜ばしいことだ。


 その時にはぜひ、プライベートだけでなく仕事の話もしよう。



 ……なんという身勝手な内容だ。


 手紙を読み終えた俺は、すぐ横にいる楓坂に訊ねた。


「これ……、どうなってんの?」

「つまり、叔父さまは笹宮さんのことを諦めていないということですよ」

「スカウトのことか? っていうか、断ったんだぞ」

「そんな程度であの人が引き下がるわけないじゃないですか。私との接点を利用して、またスカウトを持ち掛けるつもりだと思うわ」


 さすが楓坂の叔父。やることのぶっ飛び感が一般人のレベルじゃない。

 紳士な立ち振る舞いは、本性をカモフラージュするためだったのか。

 

 想定外の出来事が起きて呆然とする俺に、楓坂がおずおずと訊ねてくる。


「ところで笹宮さん。お願いがあるのですがよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「そばってどうやって茹でるんですか?」

「……わかった。作ってやるよ」


 こうして俺の部屋の隣に、女子大生が住むようになった。



■――あとがき――■

いつも読んで頂き、ありがとうございます。

☆評価・♡応援、とても元気を頂いています。


次回より新展開!

ハロウィン編スタートです!!


投稿は、朝・夜の7時15分ごろ。

よろしくお願いします。(*’ワ’*)

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