8月1日(土曜日)音水の手作りシチュー


 ディスプレイラックを設置した俺の部屋は、以前と印象がガラリと変わった。


 新しくなった部屋を眺め、俺は腕組みをして頷く。


「以前のクールさが一層冴えるようになった。音水のおかげだな。ありがとう」

「いえいえ。どういたしまして」


 独房と言われた俺の部屋は、音水が選んでくれたアイテムのおかげでオシャレ感がグッと高くなった。


 一緒に購入した子猫の置物や小さな観葉植物が、より部屋の雰囲気をやわらげてくれている。


 なんとなくイケてる男の部屋って感じがするじゃないか。

 自分の成長を目の当たりにできるのは素直にうれしい。


「笹宮さん。少し早いですけど夕食にしませんか?」

「ああ」


 俺が部屋の整理をしている間、音水はビーフシチューを作ってくれた。

 すでに部屋の中は食欲を誘う香りで満たされている。


「ほぉ。さすがだな。うまそうだ」

「私の料理スキルは笹宮さん効果でプラスされますので」


 ああ、いいなぁ。

 こういう家庭的な時間って。

 自宅の食事が楽しいという感覚を忘れていたぜ。


 俺は結婚願望が少ない方だが、こうして手料理を振る舞われると嫁が欲しいと考えてします。


「じゃあ、食べるか」


 スプーンですくったトロトロの牛肉をほおばった瞬間、口の中で旨みが拡散し、溶け、そして消えていった。


 めちゃくちゃ美味しい!


「どうですか?」

「ああ。うまい」

「ブロッコリーも食べてくださいね」

「わかってるよ」


 ビーフシチューに絡ませたブロッコリーなら、俺でも食べることができる。


 ちなみにハンバーグの付け合わせで出されると抵抗があるのは、ブロッコリー苦手同盟の人ならわかってくれるはずだ。


「しかし、今日は助かった。おかげで部屋の雰囲気がよくなったよ」

「ふふふ。こういうのっていいですよね。部屋のインテリアを一緒に考えるのって、なんだが……その……」


 そこまで言って、音水はモジモジと体を揺らす。


「ん? どうした」

「えっと……。ほら、こういうのって、アレみたいじゃないですか」

「アレ?」


 なんのことだろうか?

 様子から察するに、ちょっと恥ずかしくて言いづらいことなのだろう。


 うーん……、あ! アレだ。間違いない。


「新婚カップルみたいって言いたいのか?」

「はぎゅわわわわわわぁぁっぁぁぁぁ!!」


 よほど恥ずかしかったのか、音水はパニック状態で立ち上がった――が、足を踏み外してその場で転ぶ。


 おいおい……。大丈夫か……。

 結構、いきおいよく転んだぞ。


 俺は彼女のそばに近づいて、手を差し出す。


「おっちょこちょいだな」

「あ……ありがとう……ございましゅ……」


 唐突にテンパるのは相変わらずのようだ。

 教育係ではなくなったが、一緒の時は俺が守ってやらないとな。


 立ち上がりやすいように音水の手を引っ張ってやる。

 すると今度は、勢い余ってこちらに倒れる。


「うおっ!」


 後ろに倒れた俺の上には、かわいらしい後輩がいる。


 そう……。俺は後輩に押し倒されたのだ。


 すぐに音水を起こそうとしたが、彼女は俺を「ぎゅ~」と抱きしめて動けないようにする。


「お! おい! 音水!!」

「すっ! すみません!! 驚いてうっかり抱きしめてしまったのですが、直後に体が硬直して今は動けません!!」


 なんじゃそりゃ……。

 そんなことがありえるのかと疑問がよぎったが、人はパニックになると普段しない行動をしてしまうと聞いたことがある。


 今の音水はまさしくそれなのだろう。


「じゃあ、しばらくこのままなのか!!」

「そんな感じでよろしくです!!」

「いいのか、よろしくで!!」

「素晴らしくオッケーでございます!!!!!」


 もう会話がめちゃくちゃだ……。

 音水もテンパってるんだろうが、実は俺もかなりテンパってる。


 その時、インタホーンの音がした。


『すみませ~ん。配達で~す』


 配達員のやる気のなさそうな声が聞こえた瞬間、音水は驚いたように俺から離れた。


「すみませんでした!! 私、すぐに帰りまちゅ!」


 語尾が赤ちゃん言葉になっているのが気になったが、それよりも俺は別の心配をした。


「体……動かなかったんじゃないのか?」

「治りました!」

「そ……そうか! よかったな!!」

「はい! ご心配、おかけしました!!」

「お……おう! 気にするな!!」


 すると音水は驚いた表情で詰め寄った。


「え!? 気にしなければ、またハグしてもいいって事ですか!?」

「そう聞こえたか!?」

「聞こえませんでしたけど、勝手に解釈してしまいました!! すみません!!」

「なら仕方ないな! 間違いは誰にだってあるもんな!!」

「は! はいぃぃぃっ!!」


 この後、タクシーを呼んで音水を自宅に帰した。


 いやはや……。

 事故とはいえ、とんでもない事態だった。


 俺の理性がもう少し弱ければ、今頃どうなっていたことか……。



■――あとがき――■

☆評価・♡応援、いつも本当にありがとうございます。

とても励みになっています。


次回、結衣花がちょっと大胆な約束を!?


投稿は、朝・夜の7時15分ごろ。

よろしくお願いします。(*'ワ'*)

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