第五章 -現在ー

第21話 現在

 雷鳴を伴って激しい光が弾け、ケヤキの木の下に埋められていた死体を照らした。

「違う」僕は警戒と恐怖の入り混じった視線を向けてくる如月に向かって言った。「僕じゃない」

 否定をしようと如月に近づいて手を伸ばした。

 途端に如月の瞳に恐怖の色が濃くなり、肩が小刻みに震えだした。

「やめて。近寄らないで」

 如月は地面にへたり込んだまま必死に僕から離れようと身体を引きずり家の中に戻ろうと逃げる。

 雨が強くなる。再び光が破裂するように降った、遅れて雷の音が届く。

「僕は何もしてない。このケヤキの木の下に来た時に、ここにすでにあったんだ」

 信じてくれ。そんな目で僕を見ないでくれ。

 僕は懇願しながら如月との距離を詰める。

 と、如月の中の何かの限界が超えたかのように、小さな口から張り裂けるような悲鳴が爆発した。

 雨音をかき消すようなその悲鳴は辺り一帯を震わせた。

 一瞬遅れて二階から階段を駆け下りてくる音がする。

「どうしたの!?」

 石黒がリビングに飛び出てきて如月と僕を見た後に僕の足元にある物体に目を止めた。息をのむ気配がする。

「どうしましたか? なにかあったんですか?」添島がそれに続いてリビングに来る。同じように庭の状況を把握して、身体を強張らせる。「これは」

 竜崎も現れて唇を強く引き結ぶ。

 勢いが増していく雨滴が僕を強く打ちつける。

「それは、なんですか?」冷静に静かに言った添島の声は震えていた。「何かがそこにありますよね?」

 雨が強くなり視界を奪っていく。

「それ、人間じゃないよね?」石黒は顔をしかめる。

 僕は視線を落とす。これはなんだ。人間だったもの。

「ここに、埋められていた」僕は投げやりに声を張り上げた。

「なにが?」石黒が顔をしかめる。

 気持ち悪い。今さら喉元にせりあがってくる感覚があった。何も答えられない。僕はそのまま衝動を抑えることなく胃の中のものを吐き出した。何度も何度もえずき、涙も涎も垂れるがままにした。喉に刺激が残る。雨音が急き立てるように僕の鼓膜を叩く。

「とりあえず話し合いましょう」

 その添島のその言葉に石黒は庭に降りて、如月の身体を支えながらダイニングに戻った。僕も身体の向きを変えて、顔を背けるように庭から死体から離れた。

 ダイニングの床が濡れる。僕と如月はバスタオルを頭から被って、けれども吸収しきれない水気を滴らせていた。

 どういうことなんだ。項垂れて思考を巡らせる。

 ケヤキの木の下。

 血の臭い。

 誰かが操作している。

 犯人は誰だ。

 腹部に書かれていたそれらの言葉を手掛かりに調べたら、庭に死体が埋まっていた。あれはなんだ。僕らの記憶が失われていることと関係しているのか。犯人。もしかして殺した人間はこの中にいるのか。

「なにが、どうなってるんだよ」石黒は苛立ったようにあっちに行ったりこっちに行ったりしている。

 如月はソファーに座り両手を組み合わせて身体を震わせていた。その隣に添島栞が如月の背中を撫でている。

 石黒は窓に近づいて暗闇の中目を凝らしている。

「あれって、死体じゃないのか」その声は焦りや不安の色が混じっている。

 僕はしばらく間を置いて答えた。

「たぶん。そうだよ」

「たぶんってなんだよ」石黒が詰め寄ってくる。

「暗かったし、驚いてちゃんと見ることができなかったから」

 添島栞はなにかを思案している表情になっている。そしてぽつりと言った。

「あれって旗手茂なんでしょうか?」

 その言葉に視線が添島に集まる。

「どういうこと?」石黒が訊ねる。

「この家の住人はおそらく郵便物からも旗手茂という方ですよね。その人は私たちが目を覚ました朝から今までこの家に帰ってこない。そして庭に死体があるということは、旗手茂である可能性が高いと思います」

「そうだとしたら、どういうこと?」石黒がすがるように添島に質問する。

「埋められていたということは、自殺や事故ではないと思います。いや、自殺や事故の可能性もありますが、それを庭に埋めた誰かがいます。そして冷静に今ある情報だけをもとに考えれば、それをしたのは私たちの中の誰か、もしくは私たちが協力して行った可能性があります」

「な」石黒は大きく狼狽したような声を出す。「なんでそうなるのよ。たまたまあたしたちがここにいたってこともあるでしょ? もしくは誰かが、その、あれを庭に埋めて記憶がないあたしたちをここに連れてきたかもしれないじゃない」

 添島はじっと石黒を見る。「その可能性もあります」

 ふと違和感に気づいて視線を動かした。

 竜崎が添島を見ている。その視線が何かを疑うような警戒するようなものだった。

 竜崎は立ち上がってキッチンの方に行く。

「というか。なんであんたはあそこで死体を見つけたわけ?」石黒の意識が僕に向かう。

 僕は黙って俯いた。

「答えないと、あたしの中であんたに対する疑念がどんどん大きくなってくけど」

「僕は何も知らない。何もしてない」振り絞るように言った。

「なら、なんであの場所にいたのよ? おかしいでしょ? この時間に庭に出る必要なんてないでしょ?」

「それは」自分の身体にあの場所に何かがあるというメッセージが残されていた。そう言いたかったが言えなかった。

 自分の腹部に書かれていた文字。

 ケヤキの木の下。血の臭い。誰かが操作している。犯人は誰だ。

 他の人の目に入らないようにと服で隠れた部分に書かれた、切迫した雰囲気を滲ませた文字。

 あきらかにあの文字を書いたときの僕は目の前にいる4人を信じていなかった。いや、むしろ疑っていたはずだ。

 そして実際にあの文字に書かれたことは事実だった。少なくともケヤキの木の下に死体が存在した。記憶を無くす前の僕が、今の僕にだけ伝えたかった情報。

 それなら、いまこの場でその事実を明かすのは以前の僕の意図を裏切ることになるんじゃないか。

 目の前で僕に疑いの視線を向ける石黒こそがこの状況を仕組んでいる張本人である可能性もあるのだ。

「なにか言いなよ」

「僕は何も知らない。あの場所を見た時に変な違和感があって、それを確かめに行っただけだ」僕は真剣な顔で嘘を吐く。

「そんなの信じられると思う? なにか隠してるようにしか見えないんだけど」

「僕だって記憶がないんだ。全員何も覚えてないんだから、隠すなんてことできない」

 石黒は納得ができないという顔をしていたが、それ以上追及してくることはなかった。

 そうだ。全員記憶がないんだから、こんな議論しても進展するはずがない。

「あなたは何で庭に出てたの?」石黒が如月に訊ねた。

 如月はゆっくりと息を整えながら答える。

「わたしは寝ようと思ってたら物音がして、それでなにかと思ってこっちに来たら人が動いてるのが見えて、それで」声は徐々にか細くなって消えていった。

 不安。恐怖。警戒。緊張。それぞれの色々な感情が渦巻いて重く固い空気が辺りを満たしていた。

 誰も何も喋れない。

 竜崎が戻ってきた。手にはコップが握られている。

「雨に濡れて寒いだろうから」

 竜崎はそれらをテーブルに並べる。五つのココア。全員椅子に座ってテーブルを囲った。

 如月がコップを手に取って口に運ぶ。

「おいしい」

 僕はじっと茶色い液体を眺めていた。

 誰もなにも言い出せない。以前の記憶は誰にもないのだ。自分があの死体とどんな関係があるのか、いまどうすればいいのか明確な答えを知っている人はいない。

 自分が何者なのか。これまでどこで何をしてきたのか。

 それすら思い出すことができないのに、自分が殺人を犯したはずはないという確信と記憶を見つけ出すなんてことができるわけがない。

 僕は唇を強く噛んで項垂れる。

 なんだよ。なにが起こってる。どうすればいいんだ。

 あの死体はいったい何なんだ。誰なんだ。どうしてあそこに隠してあった。誰がやったんだ。

 どうしてそれを思い出すことができないんだ。

 僕は頭を抱える。

 重く冷たい空気が僕らを押し潰そうとしているかのように息苦しい。

 如月を見る。彼女を怯えさせてしまったのは僕の責任だ。奥歯を強く噛む。

 雨音だけが静かに空気を震わせる。

 死体がある場所に記憶がない人間が五人いる。

 この異常な状況において、次に取るべき行動がわからないでいた。

 誰もなぜこの場所で五人で生活することになったのか知らない。ここに来る前はどこで何をしていたのか。なぜ薬を飲むことになったのか。どうして庭に死体が埋められているのか知っている人はいない。

 と、その時鋭い何かが頭の中を過った。

 全員。記憶がない。

 どうして僕は全員の記憶がなくなっていると信じているんだ。

 誰かが操作している。

 視線を全員に走らせる。

 なぜ僕は全員の記憶がなくなっていると思ったのか。それは全員がそう自己申告したからだ。実際のことはわかるわけがない。

 もし仮にこの中に犯人がいて、そいつが死体をケヤキの木の下に隠して、そして他の四人の、もしかしたら殺人にかかわる何かを知ってるであろう四人の記憶を消したのだとしたらどうだろう。そいつは自らも薬を飲むだろうか。いや、飲むはずがない。自分以外の人間に飲ませて、自分は記憶を保ったままその状況を管理、観察するはずだ。

 この仮定が正しいとするなら、そいつは今もすべての記憶を所持して、すべての事実を知って素知らぬ顔でこの場にいることになる。

 それはなぜだろう。

 他の四人に殺人の瞬間を見られて、その記憶を消すために飲ませたのだろうか。なぜ薬を飲ませたのか。一人を殺したなら他の四人も殺せるんじゃないのか。 

 何か意図があるのだろうか。

 もしかして、四人の中の誰かにこの殺人の罪を着せようとしているのかもしれない。記憶がないのだ。上手く操作できれば自分の殺人の罪を別の誰かのせいにすることができるかもしれない。

 だとすると今の僕の状況は犯人の思惑通りなのだろうか。策略にはまってしまったんだろうか。

 もしそうだとしたら、犯人はだれだろう。

 誰がこの状況をつくりだしたんだ。

 そこで思い至る。視線を如月朋子に向ける。僕の身体に書かれた名前。そして死体を発見した時にそれを見て、みんなにそれを知らせた人物。

 彼女は怯えたようにココアを口に含めた。

 もしかして、彼女がこの状況をつくりだした、殺人を犯した人物なんじゃないだろうか。

 口の中が渇いた。

 ココアを飲もうとマグカップに手を伸ばす。口に含んだ後に温かい物が身体に広がっていく。

「なんとなく気になったぐらいで夜中に庭に出て木の下を掘るなんてありえない」石黒はなおも僕に疑惑の視線を向けてくる。「今のところあんたが一番怪しい。何かを絶対に隠している」

 僕は押し黙る。もしかしてこの会話も石黒が僕に罪をなすりつけるためにしているのだろうか。

 意識的に呼吸を遅くして身体を落ち着かせる。石黒の言葉を放っておいて、まずは今の状況を冷静にもう一度分析してみよう。

 ケヤキの木の下。

 血の臭い。

 誰かが操作している。

 犯人は誰だ。

 そして、如月朋子。

 実際にケヤキの木の下に死体があった。可能性として考えられるのが、その犯人が如月朋子だということ。けれど、もしも腹部にその文字を書いた時に如月朋子が犯人であると確信していたら、記憶が消える前に何かしらの行動に出ているはずだ。そうでなくても如月朋子が犯人だとわかりやすく書くはず。そうしなかったということは、まだ確信が持てなかったのか。それとも他の要素があったのか。

 それに血の臭いはどういう意味だ。死体と書かずに血の臭いと書いたということは、まだ死体を見つけてなく血の臭いがして、何かしらがあると疑っていたんじゃないか。

 とすると、この状況になって初めて僕は死体を発見したのだろうか。

 いや死体のことだけでない。異様に物が少ない家。リビングの割れた窓。旗手茂。女の子の子供部屋のような部屋。タブレットに保存された写真と映像。それらはすべて関係があるはずなんだ。

 誰が運転するのかわからない外に停められた赤いミニバン。

 仮にあの死体が添島が仮定をたてたように旗手茂だとしたら、それを犯人が殺して埋めて、僕らの記憶を消して犯人に仕立て上げようとしている。その推測が答えに近い気がした。

 五人全員であの死体を協力して埋めたとするなら、記憶を消す意味がない。むしろ危険が増すだけで利益がなにもない。

 もしくは、この中に犯人がいて、そいつはもともと僕らと知り合いではなかった。四人が旗手茂と生活していて、侵入者である犯人が旗手茂を殺して、あたかも僕らの知り合いのように振る舞う。いや、それだと僕が見たタブレットの中の写真と映像に説明ができない。

 かぶりを振る。

 駄目だ。考えても考えても記憶がないから行き止まりになってしまう。

「トイレに行ってきます」添島栞はそう言って立ち上がってダイニングから出て行った。

 見ると如月朋子は今にも眠りに落ちそうな顔をしている。今日一日で疲れがたまったのだろう。

「警察に言おう」石黒が立ち上がって言った。「このままじゃどうしようもない。警察に、あとはよくわかんないけど救急車にも来てもらおう」

「そうだね」僕も同意する。「それが一番いいと思う。調べてもらおう。僕たちのことも、あの死体のことも、この家のことも」それが一番安全で、正しいはずだ。「もしかしたら僕たちが何か間違いをしてしまった可能性もある。けど、それでも、いやむしろそうならなおさら警察に言うべきだ。例え僕があの死体に関わっていたとしても、それを忘れてなかったことにするのは間違っている。連絡して、すべてを正してもらおう」

「あんたにしてはいいことを言ったよ」石黒もそう言って同意する。

 如月がテーブルに突っ伏して意識を失った。相当疲れていたのだろう。

 僕も疲れなのか急激に意識が薄くなり始めた。

「あれ。なんだこれ」石黒もそう言いながら頭を抱えて項垂れる。

 視界が徐々にぼやけていく。立ち上がることができない。自然の眠気ではない。身体が自由に動かせない。

 視界の中にココアが入ったコップが見えた。

 誰かが操作している。操作というのはおそらく周りの人の記憶をなくすことだ。けど、毎回あの瓶に入った薬を自ら望んで飲むように誘導することは難しい。それなら、なにか食べ物や飲み物に混ぜるのが一番簡単で自然だ。

 僕は椅子から身体が落ちていくのに抗うことができない。

 視線をもたげる。竜崎が立っていた。その顔は呆れたような表情だった。

「さっきの言葉は記憶をなくす前の自分に言ってよ」

 なんだよ。どういう意味だよ。言葉を発したいが喉が動かない。

「それも終わりか。もうここまでだね」

 遠くの方で声が聞こえる。

 意識がなくなっていく。すべてが黒で塗りつぶされた。

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