第9話 過去

 お母さんが探しに来てぼくを見つけるまで、ぼくは彼女のそばを離れなかった。なにかを話したわけではない。ただぼくらは隣に座って時間が流れるに身を任せていた。時折彼女が視線を動かすとぼくの目もそれを追いかけて、ぼくが上を見上げれば彼女も上を見た。その時間がどうしようもなくぼくを安心させた。

 お母さんは息を切らして階段を上って来てぼくを見つけると両肩をつかんだ。

「ここでなにしてるの?」

 ぼくは曖昧に頷く。

 お母さんは汗を流しながら戸惑った表情でぼくと彼女を交互に見ると、何かを察した顔になり彼女の家のインターホンを押した。

 中から出てきた女性はぼくの母親に何度も頭を下げると彼女の手を引っ張って家の中に入った。

 ぼくはお母さんに手を握られて家へと戻っていく。

「どうしたの?」

 心配そうなお母さんの声音。けれどぼくはその質問にどうやって答えればいいかわからなかった。

「どうしてあの子のところに行ったの? 来るように呼ばれたの?」

 ぼくは首を左右に振る。

「じゃあ、自分で行ったの?」

 ぼくは頷く。

「どうして?」

 答えられない。なんでだろう。彼女の姿を見た時にそばに行きたくなった。そこが自分にいるべき場所だと思えた。

 お母さんは困った顔になる。

 家に帰ったあともお母さんの質問は続いた。

「外に出るときはお母さんと一緒って言ったでしょ。勝手に外出たらお母さん心配するんだよ」

 お母さんはしゃがみ込んで目線をぼくと合わせ、ぼくの両手を強く握って言った。

「あの子のなにが気になったの?」

 ぼくは俯いているだけで、どの言葉を使えばちゃんと説明できるのかわからなかった。

 お母さんは長く深い息を吐いた。

「あの子のことが好きなの?」

 質問の意味を考える。好きってどういうことだろう。あの子のことは知らないし、確かに嫌いじゃないけど、好きだとは思えなかった。

「それじゃあ、あの子と一緒にいて楽しかったの?」

 しばらく答えることに逡巡したあと、ぼくはゆっくりと頷いた。

「そっか」ようやくお母さんは緊張を解いた顔になる。そしてぼくの頭をそっと撫で、抱きしめた。「あの子と一緒にいたかったんだね」

 その夜お父さんとお母さんは何かを真剣に話し合っていた。すべての内容は聞き取れなかったけど、会話の端々にぼくの名前と彼女のことがでてきた。おそらく今日のことを相談しているのだろう。

 なにが問題で、なにをよく考えなければいけなかったのかはわからない。けれどお母さんが次の日、「またあの子に会いたい?」と訊いてきたので、ぼくは頷いた。

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