第6話 現在

「入れるよ」

 風呂から出て竜崎に告げる。

 竜崎は何も言わずに立ち上がって風呂場の方に消える。

 脱衣所へと消えていく竜崎の背中を視線で追いかける。僕は椅子に座って考える。もしも仮にこの中に犯人がいて、そいつがこの状況を操作しているのだとしたら、竜崎も怪しい。男二人に女三人。客観的に考えればこの状況を作りやすいのは男である気がする。いや、そういう単純な話でもないかもしれない。視線を石黒に向ける。

 記憶を消す薬なんていう現実味のないものが存在しているのだとしたら、誰が操作をしててもおかしくはない。

 それこそ、おおよそそんなことをするようには見えないが記憶に関係する本を読んでいる添島栞を疑うのにすら十分な根拠がある気がする。

「どうしたの?」

 背後からかけられた声に僕は咄嗟に警戒してしまう。

 如月朋子が両手にマグカップを持っていて、その一方を僕の前のテーブルに置いた。そのまま彼女は隣に腰掛ける。

 マグカップから湯気とともに甘い香りが漂ってきた。

「キッチンにココアが沢山あったから」

 如月はそう笑ってココアを口に含む。

 なぜ彼女の名前だけを僕は書いたんだ。やはり記憶を無くす前の僕は犯人のおおよその目安がついていて、それを腕に書き記したんじゃないだろうか。でなければ如月朋子の名前を書く理由がない。

 そこまで考えて不意に身体の奥底を冷やす考えが頭に浮かんだ。

 そもそも僕らは何度記憶が消えたんだ。

 身体に文字を書いて情報を残すという手法から、少なくとも二回以上は過去の記憶を失っているんじゃないか。もしそうなら。

「ねえ、大丈夫」

 斜め下から顔を覗き見られた。思考の中をさまよっていた意識が現実に戻ってくる。

「ああ。うん」僕はココアを一口飲んだ。喉を熱いものが通り過ぎる。「ちょっと疲れたのかも」

「そうだよね。わからないことだらけだし、結局何も思い出せなかったし」

「思い出したいの?」僕は如月を見た。反応から目の前の人物が犯人なのかどうか探ろうとしたが、目で見てわかるほどの変化はなかった。

「そりゃあ思い出したいよ」如月は椅子に座って足をぷらぷらと揺らす。「昔のことがなにもわからないのは変な感じだし不安も大きい。これからどうなるのかさっぱりわからないし」

「そうだよね」僕はテーブルに視線を落とす。

 彼女が犯人だと思えない。いや、彼女だけじゃない。ここにいる誰に対しても、確かに完全に信頼することはできなくても、犯人だと考えるのも難しかった。

 今は考えるのはやめよう。何もわからないのに彼女たちを疑うのは間違っている。まずは腹部に書かれていたケヤキの木の下を調べてみよう。そのあとこれからどうするか考えよう。

 僕はそれからマーカーペンを手に取って自分が目覚めた部屋に戻った。

 そして風呂で消えた文字をもう一度腹部に書き直す。

 ケヤキの木の下。

 血の臭い。

 誰かが操作している。

 犯人は誰だ。

 そして、如月朋子、の名前も書いた。

 そこでふと気になって白い錠剤が入った瓶を手に取る。まずはこの薬が何なのか調べることも必要だ。記憶を消す薬なのかどうか。自分で飲む気にはなれない。もしも記憶を失ってしまったらせっかく得た情報が無駄になってしまう。じゃあ誰かに飲ませようか。いや、この薬が人体に害を及ぼすものなのかどうかもわからない。そんな危険なことはできない。それに、もしも仮に記憶が消えてしまうのだとしたら、それを無理やり誰かに飲ませることも躊躇われた。

 ただ、もしももしも誰かが操作しているとしたら、そしてそれにこの錠剤が関係しているなら、どうして僕の部屋にあるんだ。この中に犯人がいるとしたら、その犯人は自分で薬を持っていたいと思うんじゃないのか。

「まさか、僕が犯人ってことはないよね」

 大きくかぶりを振る。

 考えても考えても思考はいっこうに答えにたどり着くことはできなかった。

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