第4話 現在

 キッチンに行くと石黒たちは食事につかう食器などを洗っていた。

「綺麗に見えたけど一応洗っておけば安心でしょ?」石黒はそう言った。

 全員で協力してカレーをつくる。記憶をなくす前も料理をする機会が多かったのか、全員が手際よく包丁などの調理器具を扱えた。

 それだけじゃなく、一種のチームプレイみたいなものがそこにはあった。

 五人で台所に立てば誰がなにをするのかをうまく決められずに、まごついて、料理の工程がスムーズにいかなそうだが、そんなことはなくみんな自分が何をすべきで、何をしなくていいのかわかっているようだった。もしかして記憶があった頃にもこうして一緒に料理をつくることがあったのかも。

「もう作り始めてたから、今回は小松菜だけ入れていい?」石黒が訊ねた。

「うん。入れたら美味しそう」如月が言う。

 完成したカレーをテーブルに並べて食事を始める。

 スプーンが皿に当たる音が響く。また緊迫した空気にならないように戸惑いながらもみんな口を開いた。

「それで、なんでみんなの名前知ってんの?」石黒が僕に訊ねた。けれどその声はさっきよりも警戒心が薄れていた。

「記憶がないからなんでかはわからないけど、ただわかるんだよね」

 その答えに完全には納得していない顔になったが石黒はそれ以上訊いてこなかった。

「とりあえず食べ終わったら家の中を調べてみるか」石黒が言った。

「そうだね。色々と見てみたら段々と思い出してくるかもしれないね」如月が頷きを返す。

 ぎこちなさは残るが、それでも僕たちは食事を食べ終わった後に僅かながら連帯感が生まれ始めていた。まずは全員でリビングから調べる。十畳ほどの大きさにテレビとテーブル、椅子にソファー。テレビラックにはDVDもなにも残されていなかった。生活感がない。

 キッチンには大量の保存食。食器類を見てみると同じ種類のものが五つあるということはなかった。お茶碗も三つが同じもので、あとは別の種類のものがお客さん用なのか何個かあった。調味料などはどれも新しく最近買ったものに見える。

 玄関から少し外に出てみる。

 と、脇に停めてある赤いミニバンに気づいた。中を覗き込んでみるが特別なものはなにもなかった。試しに扉を開けようと手をかけたが鍵がかかっている。

「わたしたちが買ったのかな?」如月が言った。

「僕たちが?」そんな大金を持ってるとは思えない。そもそも自分が運転ができる感覚が体の中に存在しない。

「全員が乗れるは乗れるか。けど普通に考えたらこの家と車の所有者は同じだろうな」石黒が言う。

「誰かがわたしたちをここまで送ってくれたのかな?」如月は小首を傾げる。

「だとしたらその人はどこ行っちゃったのさ?」石黒の表情が険しくなる。

「もう一台の車でどこかに行ったとかかな?」僕も曖昧な答えを返す。

 竜崎は黙ってその様子を見ていた。大人しい性格なのだろうか。添島栞は色々なところに視線を向けながら何かを考えるように小声でぶつぶつ言っていた。

「庭にはなにか変わったものはあった?」石黒が訊く。

「ううん。特になかった」如月が答える。

「よし。じゃああとはあたしたちがそれぞれ起きた部屋だな。下に三部屋あって上にも三部屋あるんだよね。あたしが起きた部屋はなにもなかったけど、もしかしたらもう一度見たらなにかわかるかもしれないな」

 そう言って玄関から中に入る。

 と、そこであることに気づいた。僕が起きた部屋にはタブレットと錠剤が入った瓶が布団の下に置いてある。心臓が徐々に伸縮の速度を速める。もしも見つかったら、あの僕が演説している映像がみんなに見られてしまう。いや、ただ見られるだけならいい。けど、僕が見た後にあのタブレットを隠したとばれたら状況が変わってくる。それは犯人が証拠を隠滅しているような印象を与えるのではないか。

「それじゃあ、まずは二階から見てこっか」石黒を先頭に階段を上がる。

 三室ある部屋はどれも八畳ぐらいの広さで、ベッドが置かれている部屋もあれば、布団だけの部屋もあった。どの部屋も必要最低限の物しか置かれていない。洋服も数日間分しかなくて、この場所に住んでいたというよりは旅行や合宿で来ているような感じがする。

「本が置いてある」石黒が手に取った。「買ったの? というかその記憶もないのか」その視線が添島栞に移る。

「起きたらそばに置いてあって」添島は石黒から受け取る。

 脳と記憶と感情と書かれたその本は分厚く、専門書のようだ。

「あたしたちの今の状況と関係ありそうだけど、そのこともなにも覚えてないんだよね?」石黒が質問する。

「覚えてないです」添島が返す。「なんでこの本があって、なんで私が起きた部屋に置いてあったのか」添島はそっと表紙を撫でる。「時間があるときに中を読んでみようと思います」

 添島の部屋には他にもペンなどの文房具も転がっていた。

 けど、僕はすでに心あらずだった。どうしよう。次は僕が起きた部屋に行くかもしれない。まさか布団をひっくり返すことまではしないだろうか。万が一見つかっても気づかなかったと言えば大丈夫だろうか。不安が押し寄せてくる。

 階段で下に降りる。床を踏んで軋む音が僕の身体を打ち叩く。

 僕が起きた部屋にみんなで入る。

「ここにも何にもなさそうだな」石黒は辺りを眺める。「どこ部屋も物が少ないな。この家ってあたしたちの家じゃないのか?」石黒はしゃがみ込む。

 僕は自然とタブレットと錠剤を守るように布団の近くに立った。足の指先でタブレットの場所を確認し、そこにみんなが近づけないようにする。

「マジックペンが落ちてますね」添島がかがみ込んで拾った。「ここで起きたんでしたっけ?」

「ああ。えっとそうだね」平静を装うことが難しく首のあたりを触りながら視線を背けてしまった。

「なにかこのペンで書かれてた文字とか。情報ってどこかに残ってないですか? もしかしたら記憶があったときに何かを書いている可能性があると思います」

「え? いや。どうだろう。覚えてないし」曖昧に僕は返す。

「ペンがあるからってなにかを書いてたとも思えないけど」石黒はそう言いながらもきょろきょろと視線を動かしてく。「布団の部屋とベッドの部屋があるのには意味があるのかな?」と掛け布団に手を触れる。

 身体が強張る。自然と表情が固くなる。どうしよう。無理やりにみんなを他の場所に移動させようか。いや、そんなことをしたら怪しすぎる。なら、なにか別のことに意識を向けさせることはできないだろうか。

「あ、あの。この家って六部屋あるんだよね。僕たちはそれぞれ違う部屋で起きたってことは、誰にも使われてない部屋があるってことだよね」とにかく思いつくことを早口で言った。「ということは、もしかしたら残りの一部屋がこの家の、あと車を持ってる人ってことにならないかな?」

 短い沈黙が流れるが、それすらもいまの僕にとっては恐怖だった。

「確かにそうかもしれないな」石黒が同意した。「調べてみるか」

 石黒が部屋から出ていくと他の人もそれに続く。最後に部屋から出ようとする添島がマジックペンを持ちながら肩越しに僕を見た。なにかを言うように口を動かすが、それが言葉として出てくることはなかった。

 僕は詰めていた息を吐きだす。布団を少しめくってタブレットと薬が入った瓶を確認する。

「もしかして、この状況を作り出したのが僕ってことはないよね」

 自分で吐いた言葉を否定するように首を振った。

 全員で残りの一部屋に入った。誰もまだ入ったことがない部屋。すでに石黒たちは中を調べている。この部屋だけ他の部屋と毛色が異なっていた。八畳の畳の部屋で、座布団、たたまれた布団、小さなテーブルが置いてあった。箪笥があり、石黒が取り出して見ているそれは年配の男性のもののように見える。さらに本棚には子育ての本や、そして添島が起きた部屋に置いてあったような記憶や脳、さらに人体に関係している専門書が詰められていた。

 誰かが生活していた痕跡がある。

「写真とか、なにかの郵便物とか、そういうものがあったら情報としていいんだけど」石黒はそう言って色々なところを開けたり、探ったりしている。「おっ。あった」手にしていた封筒は水道料金の請求書だった。「旗手茂、住所は滋賀県」

 お互いに顔を見合わせる。名前にも住所にも覚えがない。誰の苗字とも異なると言うことは僕らに関係している人の家ではないのだろうか。

 この旗手茂がこの家の所有者で僕らをここに連れてきたんだろうか。考えてみるがやっぱり記憶は戻ってこない。

「とりあえず最後にもう一つの部屋見てみようか」

 石黒に促されて如月が起きた部屋に向かう。

 如月が扉を開ける前に、「わたしの部屋だけちょっと雰囲気が違うんだよね」と言った。

 その言葉通り見ると中の様子が異なっていた。可愛らしいベッドに机、子供部屋にような家具が揃えてあった。

「なんか、全部小さいね。棚に入ってる服も子供用みたいだし」石黒が仕舞われていた服を両手で持って広げる。「というかタグついてるし。新しいのがあるね」

 旗手茂に娘でもいたのだろうか。

 部屋を見渡すが僕たちの記憶を蘇らせてくれることを助けてくれるような物はなかった。

 リビングに戻る。テーブルを囲んで座った。

「そんで? 家は調べ終わったんだけど、それぞれどう考えてる?」石黒が視線を順番に移しながら訊ねる。

「すいません。先に飲み物持ってきてもいいですか?」と添島が口を挟む。

 どうぞ、と石黒が言ったので添島は人数分のココアをつくって持ってきた。

「とりあえずあたしの意見としては」石黒が話し始める。「ここが滋賀ってことはさっきわかったわけだけど、あたしがどんな人間で、ここでなにをしてたかなんてさっぱりわからなくて、どう考えても怪しいと思うんだけど家の中を見ても危険そうには思えなかった。だから、少しずつ家の周りとか隣の家とか見てみて情報を集めて、それで記憶が戻ればいいし。時間が経っても戻らなかったらどこか病院行くとかしてみるのがいいと思うんだけど、どう思う? もしかしたら時間が経てば、あの、旗手って人も戻ってくるかもしれないし」石黒はそこで一度言葉を切ったあとに続けた。「それに、あんたらも悪い人には見えないし」

 視線こそ合わなかったが、優しい空気が流れた。

「他の人はどう思う?」石黒が訊ねた。

「わたしは」と如月が口を開く。「正直よくわからない。どうすればいいかわからないから、みんなに意見があったらそれに賛成したいな」

 石黒が頷いて添島を見る。

「そうですね。少し様子を見ると言うのは私も賛成です。けれど、生活していくのにお金もかかります。たぶん数日で今ある食糧はなくなります。確かに、さっき家の中を調べた時に封筒に入ったお金などもありましたが勝手に使っていいかもわからないですし、考える時間はそんなに長くないと思います」

 現実的な意見にはっとした。確かにそうだ。記憶が戻る戻らないに関わらず僕たちは生きていくために必要なものがある。自分たちで手に入れるのが難しいなら誰かから受け取る必要があるが、それが可能かどうかもわからない。

「それに旗手という人が戻ってくるのを待つという考えもいいですが、そもそも戻ってくるかもわからないですし、戻ってきてもいい人かわからないと思います」

 一泊置いて石黒が言う。「それってその人が悪人で、あたしたちをここに集めて全員の記憶を消したかもってこと?」

「可能性としてはそういうこともありえると思います」

 新しい考えに戸惑ったが、確かに起こりえることだ。現実的に考えれば記憶が消えた五人が生活しているよりも、記憶がある人物がいて、その人が記憶がない人たちを集めた、もしくは世話していると考えた方が筋が通っている。

「でも、もしかしたらその旗手って人がいい人で、記憶がなくなった僕たちを助けてる可能性もあるよね」

「その可能性もあります」添島は頷く。

 けど、そう考えると僕が持っていたタブレットに入った映像との整合性が取れなくなる。あの映像を見る限り僕がなにかしらの薬をみんなに飲ませようと促したことは確かだ。もしかして僕が旗手という人と仲が良くて、その人が持っていた薬を飲もうとみんなに提案したという可能性はないだろうか。

 石黒は竜崎に言う。

「あんたはどう思うんだ? あんまり喋らないけど、今の状態をどうすればいいと思ってんの?」

 竜崎は口を一度引き結んだあとに、ゆっくりと口を開いた。

「なんでもいいよ。なるようにしかならないし」投げやりな物言いだった。

「あのさ」石黒が少し前のめりになる。「もう少し真剣に考えられないの? あたしたちそれぞれの生活が、これからのことに影響するんだけど」

 石黒の言葉に竜崎は一瞥するが、それ以上言葉を発することはなかった。

 石黒が見せつけるようにため息を深く吐く。

 結局結論はでずに、誰が何かを先導すると言うこともなく、曖昧な空気のまま今日一日は終わりに向かっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます