第三章 -現在ー

第3話 現在

 瞼を通して刺さる太陽の光が眩しくて身体を起こした。さっきまで頭の中に残っていた夢のような残滓が消えていく。

 なにかすごい懐かしいものを見ていた気がする。

 目をこする。視線を巡らせる。

 脳が徐々に活動を始めるのに、ここがどこで自分が誰だかわからない。混乱する頭を抱えていると視界に自分の腕が入った。

 如月朋子。

 なんだろう。

 太ももの上にタブレットが置かれている。もしかして昨日使いながら眠ってしまったのだろうか。

 頭がぼんやりする。昨日のことを考える。何をして、誰とあって、何を食べたのか。

「あれ?」

 なにも思い出せない。昨日のことだけじゃない。その前の日も、何カ月も前のことも、何年も前のことも、なにも思い出せない。

 頭の中にぽっかりとある空洞を、記憶の欠如をなんとかして埋めたい焦燥感に襲われる。タブレットを起動させてみた。情報が欲しい。Wi-Fiが飛んでなかったのでインターネットには接続できなかった。連絡先もなにも入っていない。アプリも初期状態のままだ。

 写真を開いてみる。写真が一枚と映像がひとつ保存されていた。

 写真を見てみると五人の高校生ぐらいの人物が並んで写っていて、それぞれの顔から線が引かれて名前と思われる文字が書かれていた。そこで自分の腕に書かれたものと同じ名前を見つける。如月朋子。女の子。色白で幼そうな顔立ち。無邪気に笑っている。この写真が撮られたのはどこだろう。窓から外を見てみる。この場所とも違うようだけど。

 この写真の中に僕もいるのだろうか。触れてみるが自分の顔が思い出せない。部屋から出ようとして外で気配がするのを感じた。それも一人ではない。何人かの足音がする。

 ここはどこだ。僕は誰だ。この場所でなにをして、なぜ記憶がないんだ。髪の毛をくしゃりと握ってみるが何も思い出すことができない。

 部屋から出てみようかと思うが、外にいる人間が安全な人とは限らない。

 とにかく保存されているもう一つの映像を見ようと再生ボタンを押した。先ほどの写真で森谷健一と示された人が語気を強めて語っていた。

「この薬を飲めば絶対にみんなが幸せになれる。疑いとか、そういう過去が終わるんだ! これが僕らを傷つけるなんて、不幸にするなんてことは絶対にありえない。だから、みんな一緒に飲もう! 毎日飲んだっていいくらいだ。誰の言葉を信じればいいかは明白じゃないか。とにかく。今からみんなでこの薬を飲もう! 絶対に大丈夫だ」

 どういうことだ。その時床に転がっている瓶に目が言った。中に白い錠剤が入っているのが見える。記憶がない。薬を飲むように勧めた人間。そしてここにある錠剤。森谷健一が記憶を消す薬をみんなで飲もうと言ったのだろうか。

「森谷健一は」窓ガラスに薄っすらと映る自分の姿を見た。「もしかして僕なのか?」

心臓が鼓動を早める。強くかぶりを振った。

「起きたばっかりでおかしくなってるのかな」自分に言い聞かせるように言葉を吐いた。

 目をつぶって一度大きく深呼吸する。空っぽだった記憶にいきなり意味不明の情報を押し込まれて処理できない。

 さっき映像に映っていたのは僕だった。映像には僕一人しか映ってなかったけど、おそらくその周りには聞いていた人たちがいたはずだ。それは一緒に保存されていたあの四人なのだろうか。 

 何カ月も髪を切っていないような黒縁眼鏡の男が竜崎拓也。

 金髪の化粧の濃い子が石黒菜月。

 ショートボブで緩めのウェーブがかかった大人しそうな子が添島栞。

 そして、肩より下に伸びる黒髪に、色が白く、幼い顔立ちの如月朋子。

 部屋の外に存在する気配は彼らのものだろうか。僕の部屋に入ってくるだろうか。そう不安を覚えてドアの鍵を閉めようとするが、そもそも鍵がついていなかった。

 ここから出る前に考えを整理していく必要がある。

 他の人たちは記憶があるのだろうか。僕一人だけがなにも思い出せない状態なのだろうか。タブレットを僕が持ってたのはどうしてだ。如月朋子の名前を書いたのはどうしてだ。

 考える。考える。けど、いくら考えても答えは出なかった。

 とにかくここから出てみよう。もしかしたらなんの危険もないかもしれない。ただ念のためタブレットと錠剤の入った瓶は布団の下に隠した。

 恐る恐るドアを開ける。視線を巡らせる。古い民家に見える。階段があり二階も存在していることがわかった。足音が響かないように歩く。

 洗面所があった。入って鏡を見てみると、やはり自分の顔はタブレットの中にあった写真の森谷健一と同じだった。腕に書かれた文字も水で洗って消した。

 そして、気配がする方に進む。扉があったのでそっと開けて中を覗き見る。

 人がいた。男の人が一人と女の人が三人。写真の中に映っていた人たちだろうか。

 と、その中の一人の子と視線が合った。その子の表情が変わったので、周りにいた人物も何事かとこちらを見る。

 ゆっくりと扉を開けて中に入った。

「あ、あの」僕が何を言えばいいのか戸惑っていたら、

「ここ空いてるよ」と、確か如月朋子という名前の少女が促してくれた。

 ダイニングの中央におかれたテーブルに六脚の椅子。僕はその中に空いている一つに腰かけた。俯きながら上目遣いに様子を窺う。竜崎拓也、石黒菜月、添島栞。写真に僕と一緒に写ってた子たちだ。

 誰も何も喋らない。居心地の悪い時間が流れる。沈黙が痛くて、なにかを言わなければという気持ちになってくる。

「あの。如月朋子さん、ですよね」僕は隣に座っている彼女に訊ねた。その瞬間彼女の表情が変わっていく。しまった。言わなければよかった。後悔するがもう遅かった。

「わたしのこと知ってるの? もしかして覚えてるの?」如月が前のめりになって質問する。

 如月の反応を見てわかった。彼女も記憶がないんだ。覚えてないんだ。不用意な一言を言ってしまった。

「なんであたしたちは昨日のことなにも覚えてないんだよ。なにかあったのか?」金髪で化粧の濃い石黒がテーブルに身を乗り出して訊いてきた。

「いや。僕もなにも覚えてないんだよ」慌てて顔の前で手を振る。

「嘘つくなよ。いまこの子の名前言ってたじゃん」石黒がなおも詰め寄る。

 訝しむような視線が向けられる。どうしよう。暑くなったわけでもないのに、体温が上がっていくのを感じる。

 タブレットの写真のことを正直に言うべきだろうか。あの写真を見てみんなの名前がわかったって。いや、そうすると動画も見せることになってしまう。あの動画はまるで僕が今の状況を作り出したかのような誤解を与えてしまう。動画だけを消して見せればいいのか。だめだ。もしかしたらあの動画には大切な情報が収められているのかもしれない。記憶がない状態で過去のことを教えてくれる映像を削除するのにはリスクが大きすぎる。なんて言えばいいんだ。もっと考えてから言葉を発した方がよかった。

「大丈夫?」如月が心配そうにこちらの様子を窺う。「もしかして体調悪いの? 顔色悪いよ」

 息がしにくい。いや、だめだ。落ち着け。自分に必死に言い聞かせる。ここで変な態度をとったらどんどん怪しまれてしまう。僕が何かをしたわけじゃないんだ。平然としていよう。

「僕も覚えてない。記憶が全くないんだ。昨日のことも、ここがどこなのかも、君たちとどんな関係なのかもさっぱりわからない」

「でも、さっき如月朋子かって訊いてたよね?」石黒が強い口調で言う。

「名前だけは憶えてたんだ」それから僕は順番に指さしながらそれぞれの名前を告げる。「最後に僕が森谷健一。なぜだかわからないけど、名前だけは知っている」

 嘘をついてしまった。けれど余計な疑いを向けられないためにはしょうがなかった。

「名前だけって」石黒の顔が険しくなる。「そんなことありえるのか? なら、どうしてあたしたちは名前もなにもかも覚えてない?」

 緊張があたりの空気に広がっていく。不審な目を向けられていることがわかる。なんて返せばいいんだ。だいたい僕だってなにも知らないんだ。僕に訊いたってしょうがないのに。

 と、思考が不意に発せられた音に遮られた。

 空腹を知らせる音。視線がその人物に移る。

「あ、ははは」

 申し訳なさそうに如月朋子が自分のお腹を押さえながら小さく笑った。

 途端に張りつめていた空気が弛緩するのを感じる。最初に石黒が戸惑ったように笑って、その笑みはすぐに全員に伝染した。

 強制的に張っていた筋肉をようやく緩めることができる。

「ごめんなさい。鳴らないように頑張ってたんだけど」

 笑っていいのだろうか。周りの様子を窺いながらの探り合いが続く。目が覚めた時から戸惑いと緊張と恐怖に身体が支配されていた。なんで今の状態になってるのか誰にもわからないんだ。それなら、僕は少し笑いたかった。僅かでも互いに対する警戒心を下げたかった。

 そう思えたのはタブレットで写真を見た時に、記憶をなくす前から僕らが知り合いだったことを知ったからかもしれない。

 石黒が長くて深い息を吐いた。

「なんか食べようか」石黒の顔から警戒の色が少し減る。

「そうしましょう」

 添島栞も同意して立ち上がる。

 その時に、リビングに充満していた空気の色が変わった。

「なにか美味しいものが食べれるといいね」如月朋子は笑みを僕に向けながら立ち上がった。

「ああ。うん」つられて立ち上がる。

 あのまま質問攻めにされずによかったと胸をなでおろすが、同時に緊張感がなくなったことで嘘を言ってしまったことに胸が痛む。

 何か食べられるものはあるのだろうか。全員でキッチンへと移動する。冷蔵庫の脇に段ボールが積まれていて、インスタントラーメンや缶詰が保管されていた。こういった食材も記憶をなくす前に自分たちで準備していたのだろうか。

 如月がしゃがみ込んで一つの段ボール箱を眺めていた。

「なにかあったの?」僕は訊ねる。

 その中には可愛らしく包装された飴玉がこれでもかというほど沢山入っていた。

「うん。そうだね」如月は一個手に取って口の中に入れた。

 如月と目が合う。

「どうかしたの?」僕は訊ねた。

「なんだか懐かしい感じがするというか。今までも何度も食べていた気がするというか」はっきりとしない物言いで如月は首を傾げる。「よくわからない感覚」

「好きな味だったとか?」

 覗き込んでみると、苺やオレンジ、レモンなど変わった味のものには見えなかった。

「そういうんじゃないんだけど、味じゃなくて、この種類が何というか」

 可愛らしく包装された飴を如月は目を細めて見る。

 確かにどこか見覚えがある。僕もオレンジ味を取って口の中で飴玉を転がした。なにかを身体が覚えている。けれど、その何かが思い出せない。頭をぽりぽりと掻いた。

「冷蔵庫の中に飲み物や野菜やお肉とかも入れられてます」添島は中から肉のパックを取り出して言った。「賞味期限もまだ切れてないですね」中を覗き込んでいる。「いくつかは使いかけの食材もあるみたいです」

 どういうことだろう。状況から考えるに使ったのは記憶が消える前の僕らだ。記憶がなくなる前に買い物に行って、しかもそれまでは普通に食事を作って食べていたのだろうか。

「こっちにはカップラーメンとか缶詰も沢山あるよ」如月が言った。

「せっかくならちゃんとしたもの食べたいんだけど」石黒は炊飯器やら電子レンジ、鍋などに触れながら考える仕草をする。

「なにか買ってこようか?」如月は提案する。確かに外に出てみたい気もする。外に出れば周りの状況がわかって、今自分たちがどこにいるのか把握できるはず。

「でも外がどうなってるかわからないし。店が遠い可能性もあるから」石黒がなにを料理しようか悩んでいるように食材を選んでいる。

 そこで如月朋子が思いついたように手を合わせた。「そういえば、庭になにかあったから見てくるね」

 如月がキッチンからダイニングの方に向かう。キッチンに居続けるのも気まずかったので如月のあとを追った。なぜ彼女の名前が僕の腕に書かれていたのか気になった。

 ダイニングに行くと如月が僕に気づいて振り返った。どんな顔をされるか一瞬不安になったが、如月は小さく微笑んだ。

「ほら。見て。なにか植えられてるんだよね。なんだろうね」如月は庭へと続く窓ガラスに両手をつけて覗き込んでいる。

 ふと視線を下に向けたら窓の一部が割れているのに気づいた。鍵のを締める部分の近くに何かをぶつけられたような穴が開いている。サランラップとセロテープで補修されているが、それはまるで外から無理やり中に侵入するために壊されたように見えた。台風でもあって石でも飛んできたのかな。けれど、その穴がちょうど鍵の近くであることに違和感を覚えた。

「あのさ。これってなんだろう?」

「ん? ああ、割れちゃってるね。なにかあったのかもね」如月はそう言いながらも気持ちはすでに庭の方に向けられているのかきょろきょろと視線を動かせている。「サンダルが置いてないね。玄関に行けば靴とか置いてあるかな」

 如月はそのままリビングから出て行った。僕はじっと穴の開いた窓ガラスを見る。なにかがあった気がする。けれどそれがなにか思い出せない。なにかが繋がりそうで繋がらない感覚。脳が思うように動かないもどかしさ。

 玄関に向かう。靴が何足か並んでいた。 

 如月はその中の一つの紐靴を手に取って履き始めた。

「それって自分の?」

「そういえばそうだね」如月は小首を傾げる。「誰のかはわからないけど、わたしの足にはぴったりだった」

 そう言って如月は笑った。履いた靴は紐が明るいピンク色の白いスニーカーだった。記憶がなくなっても身体に染み付いた習慣は残っているのだろうか。

 そう思ったが、僕は何足か履いてみてようやく自分の足に合う靴を見つけることができた。と、そこで気づく。いまここにいるのは五人だ。けれど下駄箱に入っている靴は五人分以上あり、しかも見た感じおじさんが履くような革靴やら、運動靴が仕舞われていた。誰のだろう。僕らの誰かがこういう靴を履いてたのだろうか。

「早く行こうよ」気持ちがはやるのか如月はすでに玄関の扉を開けて飛び出していた。

 風が吹いて心地いい。半袖でも肌寒さを感じなかった。見渡してみると隣の家まではかなり距離があり、間は雑木林でそれぞれの家が孤立しているのがわかった。ここまでそれぞれの家の距離が離れていたら、隣の家で何が起こっても知る由はないだろう。家の前には道路があり、その道路の脇に並んでいる木々が緑から茶色へと変化しているようで、今が秋であることが推測できた。

 庭に回ってみると雑草も多く生えてたけれど、その一画に柵に囲まれた場所があった。近づくとそこには大根、人参、小松菜があった。

「沢山あるね」如月が少し触れた後に辺りをきょろきょろと見渡した。ケヤキの木の脇にバケツとシャベル、じょうろが置いてあり、如月はじょうろに水を入れて野菜に水をかけた。

 如月はしゃがみ込んで小松菜を眺めている。「これって全部カレーに入れたら美味しいよね」

 僕も隣に腰を下ろした。

「これからどうなるんだろうね」独り言のように如月が言った。

「まったく予想できないね」

 僕にもわからない。記憶を無くす前の僕らは何を望んでいたのだろう。なぜここに集まったのだろう。記憶がなくなっていることがすでに異常なことなのに、それが五人全員ってどういうことだ。解決させるためには思い出すしかない。そうできなかればなにがしたいのか、なにをすべきなのかもわからない。

「どうして名前だけ覚えてるの?」

 どきりと心臓が跳ねた。

「覚えてないから自分でもどうしてかわからない」

「そっかそうだよね」如月が納得するように頷く。

「なにも覚えてないの?」

「うん。すっからかんだね」

 如月は明るく笑った。風が吹いて長い黒髪が流れる。

「わたしたちってどういう関係だったのかな?」

「年齢は同じくらいに見えるから、何かしら関係があったように思えるけど」

「全く知らない者同士には思えないよね」

「初対面で記憶が消えた人が集まったっていうのはおかしい気がするけど」

 仮に記憶が消えた状態で、もしくは記憶が消える症状の人が集められたなら、きっと集めた人が存在するはずだ。

「もしかして」不意にある考えが思い浮かぶ。「僕たち五人しかいないと勝手に決めつけてたけど、もしかしたら他にも人が存在して、その人はたまたま今の時間帯いなくて、もう少ししたら戻ってくるとかないかな?」

「ああ、そういう可能性もあるかもしれないね」如月が頷く。「逆にもしも友達同士だったとしたらどうして記憶がなくなったんだろう」如月は手で砂を弄っている。

 おそらく如月の予想は僕が見た写真から推測するにあたっている。仲がいい人みんなの記憶がなくなる。

「記憶がなくなるようなことをしたとか?」思い付きで言ってみる。

「でもお酒も置いてなかったし、体調も悪くないし、ほんとに記憶だけがぽっかりなくなっちゃった感じだよ」

 確かにそんな感覚だ。自分の存在に確信が持てない。今だって目に見える景色がどこか嘘っぽく感じられる。地面がついているはずなのに、どこか足下が不安定な気がして落ち着かない。

「記憶を消すような薬があったらどうする?」僕は今朝見た映像と薬剤が入った瓶を思い出した。僕が、森谷健一みんなに記憶を消す薬を飲むように促していたとするなら、それはどうしてだろうか。

 如月が笑う。「そんな薬があるとは思えないけど。あったら危ないし。なんのためにあるのかもわからないし。けど、仮にあって飲んだとしたらなんだろうね」

「忘れたい何かがあったのかな」

「どういうこと?」

「いや、もしかしたら僕たちには忘れたい過去があって、たまたまそう考えているときにそういう効果の薬が近くにあったとか」

「忘れたい記憶って、例えば?」

 如月の瞳の大きな目に見つめられる。

「わからないけど、そうだね」すべてを忘れたいほどのなにか。「誰かにすごいひどいことをされたとか」

「もしくはわたしたちがして、それを覚えていたくなかったとか」

「僕たちが?」なるほど。そういう可能性もあるのか。

「思い出せないからわからないけどね。でも、もし悪いことをしたのだとしても、それを忘れたいってことは後悔してるってことだよね」

「まあそうなんだろうね」

「もしも、誰かになにかされたんだとしたら、その誰かはいまどこにいるんだろうね?」如月の声が少し震えた気がした。

「どういうこと?」

「いや、もしも記憶を消したいほどのひどいことをわたしたちにした人がどこかにいるのだとしたら、それはそれで怖いなあと。その人のことをわたしたちは何も覚えてないわけで」

「そんなにひどいことしたならもう捕まってるとか、もしくは僕たちの近くに来れないどこかにいるんでしょ。じゃなきゃ、その状況で薬を飲むのは危険すぎるし」

「だとしたら、わたしたちがそんな薬飲まなくていいように、飲まないように周りが言う気もするけど」如月は小首をかしげる。

 木の葉の揺れる音が風が吹いたことを知らせる。地面から湿った土の匂いがする。

 と、背後で窓が開けられる音がした。

「なにか食べられるものあった?」石黒が大きな声で訊いてきた。

「うん。小松菜とか人参があったから持ってくね」

「いいじゃん。とりあえずカレーつくることになったから」石黒がそう言ってまたキッチンの方に戻っていく。

 如月が立ち上がった。

「なにも思い出せないから考えても全然わからないね」そう言って笑う。「だからさ。とりあえずみんなでカレー食べよう」

 ふと気味の悪い臭いが鼻腔を刺激した。それは一瞬で風に流されて消えていった。

 なんだろう。僕が顔をしかめると、

「ああ、なんかケヤキの木のほう変な臭いするよね」と如月も同意した。

 視線をそちらに向ける。幹から伸びる枝と葉が、根元にあるものを覆い隠すように広がっていた。

 大きな風が吹いて幹に立てかけてあったシャベルが倒れる。

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