最後に僕を殺してくれ

山橋和弥

プロローグ

プロローグ

 身体中が返り血で真っ赤に染まっても、すでに振り下ろす先の物体が生物からただの肉の塊に変わっていても、それでもそいつは手に持った灰皿を振り下ろすことをやめなかった。腕を小刻みに振るわせながら、何度も何度も殴りつける。

 見開かれた目は赤く血走っていた。不規則な呼吸を続けながら、壊れたおもちゃのように単純な動作を繰り返す。

「お前さえいなければ幸せになれたんだ」

 そいつの憎しみが、怒りが、悔しさが、ありとあらゆる負の感情が身体の中で破裂した。

「家族に戻るんだ。幸せになるんだ」

 疲れ切ったそいつの手から灰皿が落ちる。握るべきものをなくした手がその役目を終えたかのように地面に力なく落ちる。

 そいつは自分の手をまるで部屋に転がっているゴミの固まりを見るみたいに冷たく見下ろした。

 そいつのあえぐような呼吸音だけが空気を震わせている。

 ふいにそいつは泣き出した。目から大粒の涙を流しながら、短い髪を頭で抱えながら、喉から潰れるような叫び声を漏らした。

「守るんだ。大切なものを」

 どれくらいそうしていただろうか。涙の枯れた目でそいつは肉の塊を呆然と見下ろしていた。涙と一緒に感情も流れ落ちたかのようだ。

 そいつは肉の塊と化したそれを古びた民家の中を引きずり隠した。家の中に残った血の後を綺麗に掃除する。

「ああ。これで大丈夫だ」

 そいつはゆっくりと息を吸い込む。

「ここから新しく始まるんだ」

 そいつは小さく口の端を上げた。

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