第113話:凛太がモジモジしている

「けど……今日の試合を観て、思ったんだ。常に全員に満足してもらうなんてことは無理だよなって」

「え……?」


 ルカは凛太の言葉の真意を測りかねて、言葉の続きを待った。


「日本代表は熱い想いでワールドカップ出場を勝ち取った。だけど相手チームや母国の国民も出場に賭ける熱い想いは変わらないはずだ。俺たちは相手国の敗戦のおかげで、喜びを勝ち得たってことだよ」

「あ……」


 ルカはハッと気づいて、呆然とする。

 日本の勝利に酔い過ぎて、その裏では失意にまみれた人たちがいることに気が回っていなかった。


「でも日本代表は相手チームにもリスペクトを忘れずにフェアに戦った。そして勝利をもぎ取った。そういうことが大事なんじゃないかな」

「は、はい……そうですね。私もそう思います」

「まあこれはあくまでこっち側目線の話だからね。相手のオーストラリアからしたら、だから日本の勝利を許してやろうと思う人ばかりじゃないとは思うけど。だけどあの試合展開なら、多くのオーストラリア人が納得して日本を祝福してくれると思う」


 もしも自分の想いを貫き通したい、想いを叶えたいと思うのであれば、相手にも敬意を払い、正々堂々と全力で戦うべきだ。

 つまり凛太が言いたいのはそういうことだとルカは理解した。


「そうですね。凛太先輩。とても貴重な話をありがとうございました」


 そう言ってルカは、すぐ隣に座る凛太の目を真っすぐに見つめた。


「あ、いや……」


 顔が近すぎる……なんて思ったのだろうか。

 凛太は戸惑うように固まって、しばらくルカの顏を見つめる。

 ルカも心の中に色んな思いが渦巻き、しばらく言葉を発することができずに凛太を見つめていた。


 二人の間になんとも言えない空気が流れる。

 そんな気まずさを壊すように、凛太が口を開いた。


「あ、あのさ、ルカ……」


 近くで凛太を見つめているルカの視線に射抜かれたように、少し慌てた声を出す凛太。

 酔いが回ったせいか、顏が真っ赤だ。


「はい?」

「あ、いや……いいや」

「え?」


 なぜかルカの隣で凛太がモジモジしている。

 どうしたんだろ……とルカは訝しく思う。


「あ、いや……ちょっとはルカの悩み相談に役立ってるかな、俺?」

「はい。とっても」


 ルカは精一杯の笑顔を浮かべて返事を返す。


「そっか。それはよかった……」


 凛太はまたモジモジとなにかを言いたげで、それを我慢しているような態度を見せる。


「えっと、じゃあ……」

「あのですね凛太先輩」


 たまたま二人のセリフが被った。


「あ、いえ。先輩からどうぞ」

「いや、いいよ。ルカからどうぞ」

「いえいえ。先輩ファーストです。凛太先輩からどうぞ」


 ルカは酔った勢いもあって、『凛太先輩は好きな人がいるのですか?』と訊こうとしていた。しかし出鼻をくじかれた格好になって、やっぱりそんな恥ずかしいことは訊けないと思っている。


 いや。それを訊くよりも、ルカにはもっと気になっていることがある。

 先ほどから凛太が落ち着かない態度なのが、気になって仕方がない。


 もしかしたら、凛太が自分を意識してくれているのではないかという淡い期待。

 そんな期待を持ってはダメだと自分に言い聞かせるものの、ついついそんな希望が頭をかすめる。


「そっか。じゃあ……」


 意を決したような凛太の顔に、ルカの心臓がドクリと跳ねる。


「は、はい……なんでしょうか?」

「と……トイレに行ってもいい?」



***


 ──やっぱり変な期待を抱くんじゃなかった。私のバカ。


 凛太がトイレに立って、狭い個室で一人待つルカは自分を責める。


 凛太がモジモジしてたのは、単にトイレを我慢していただけだった。

 真剣な相談をルカがしていたせいで、なかなかトイレだと言い出せなかったのだと凛太は言った。


 ──んもう。今後は絶対に、変な期待をするのはやめよう。


 ルカは心に誓う。

 それよりも……

 実は凛太が人の好意を素直に信じられないようになっていることを知って、少しでも自分が力になれないだろうか。

 そうルカはそう考えた。


 しばらくして、すっきりした顔の凛太が戻って来た。

 「よいしょ」と声を出して、ルカの隣に腰かける。そして上半身をルカの方に向けた。


「話の途中でごめんなルカ」

「いえ。全然問題ありませんよ」

「えっと……じゃあ話の続きをしようか。ルカは何を言おうとしたのかな?」

「はい。凛太先輩はさっき『自分への良い評価や好意を真に受けないように自戒してる』っておっしゃいましたけど……」

「ん、そうだね」

「今凛太先輩の周りの人は、本当に心から凛太先輩に好意を持っていると思いますよ」


 凛太は意外そうな顔でしばらくルカをじっと見つめてから、穏やかな顔で口を開いた。


「ありがとうルカ。やっぱりルカは優しいな」

「ほら、凛太先輩。また信じてないでしょ?」

「え?」

「私はお世辞を言ったりしませんから、ちゃんと信じないとダメですよ」

「あ、いや……」


 いつも凛太に対しては控えめなルカが、まるで『メッ』とか言い出しそうな感じに言った。

 うん、ちょっとしたギャップでかわいい……なんて凛太は思ってしまう。


「あ、すみません。私の言い方が間違ってました。『好意を持っていると思いますよ』ではありませんでした」

「へ?」


 ありゃ、やっぱお世辞だったのかと一瞬凛太は思った。

 しかし次にルカの口から出たのは、凛太の予想とは違うものだった。


「凛太先輩の周りの人は、本当に心から凛太先輩に好意を持っています」

「あ……」


 ルカは凛太の目を真っすぐに見て、力強く言った。

 『何々だと思う』という言い方よりも、明らかに確信を持ったルカの言葉。

 それは自分の好意を伝えたいという気持ちからではなく、凛太に自信を持って欲しいというルカの切なる思いから生まれた言葉だった。


「だから、『自分への良い評価や好意を真に受けない』なんて寂しいことは思わないでください」

「あ……ありがとう、ルカ」


 凛太がルカを見つめる瞳は少し潤んだように見える。

 どうやらルカの思いは、凛太に通じたようだ。


「ルカの悩みを聞くなんて偉そうに言いながら、俺の悩み相談みたいになっちゃってるな、あはは」

「たまにはいいじゃないですか。いつも私は凛太先輩に助けられてますし」

「え? 俺はルカを助けることなんて滅多にないよ」

「そんなことありませんよ。凛太先輩のポジティブな姿勢に、いつも気持ちを助けてもらってます」

「そっか……?」

「はい。まあたぶん、ほのか先輩の方がたくさん、凛太先輩に助けてもらってると思いますけど」

「あはは、違いない」

「ですよね、うふふ」


 ──そう。ほのか先輩も私も。そしてもしかしたら麗華所長も。

 それぞれ意味合いは違うかもしれないけれども、みんな凛太先輩のことが大好きですよ。


 ルカは心の中で、そう凛太に語り掛ける。

 そして、(だから自信を持ってくださいね)と付け加えた。


「日本代表もワールドカップ出場を決めたし。ルカに嬉しいことを言ってもらえたし。また明日から仕事がんばるか!」

「はい、そうですね。がんばりましょう」


 にこりと笑顔の視線を交わす二人。

 ルカはいつもよりも一層凛太と心を通わせることができた気がして、心の奥にきゅんと甘酸っぱいものを感じた。

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