第76話:二人で海へ

***


 バスに乗ってすぐに、ほのかのスマホには母親から電話が鳴った。ほのかが電話に出ずにすぐにマナーモードに切り替えると、今度はメッセージが届く。


『どこ行くの!? 帰ってきなさい!』

『ごめんねママ。家に帰ったらちゃんと説明するから、とりあえずママはもう家に帰って。私はもう大人なんだから、心配しなくていいから』


 ほのかはそのメッセージを送信したあと、スマホの電源を切ってしまった。


「おいおい、いいのか。お母さん、心配するぞ?」

「うん、大丈夫。ウチのママ、時々ああやって感情的になるんだ。だけど落ち着いてから話したら大丈夫だから。きっとわかってくれる」

「そうか?」

「いや、きっとわからせてやる!」

「え?」

「え?」


 ──あ、ヤバ。


 ほのかは思わず本気の想いが漏れてしまって、気をつけなきゃと自戒する。そしてそんなほのかの力強い口調に、凛太は不思議そうにきょとんとしている。

 お互いにきょとん顔で見つめ合った二人はおかしくなって、二人ともあははと声を上げて笑ってしまった。


「でもお母さん、ほのかのお見合い話を諦めてくれたらいいな」

「あっ、そだね」


 ほのかはとなりに座る凛太の顔をじっと見る。


 ──んんん……やっぱ、カッコいい。なんでこんなにひらりんがカッコよく見えるの?


 ほのかはふと、凛太が赴任する前日の女子会で、麗華所長が言っていたことを思い出した。


『何より好きになっちゃえば、カッコ良く見えるってこともあるし』


 あの時は、んなバカな──としか思わなかった。

 好きになろうがなるまいが、イケメンはイケメン。そうじゃない男はそうじゃない。

 麗華所長はなにを馬鹿なこと言ってんの? って思っていた。だけどそれが事実であると、今のほのかは身をもって体験している。


 ──さすが麗華所長。人生の先輩だわ。


 麗華とは年は大して違わないくせに、変なところで納得するほのか。


「顔になんか付いてるか?」


 凛太は訝しげに問う。


「へっ? あ、いや……別に……」


 ほのかは思わず凛太に見とれていた。凛太に対する“好き“が漏れていたようだと気づき、ほのかは恥ずかしくなる。

 顔が熱い。きっと真っ赤になってるに違いない。そんなところを凛太に見られたくなくて、ほのかは前の席の背もたれに顔を向けた。


 程なくしてバスは海岸沿いのバス停に停まった。バスを降りたほのかと凛太は、バスが走ってきた国道を横切って反対側に渡る。

 目の前には、国道に沿ってどこまでも続く、腰高くらいの護岸のコンクリート壁がある。

 そのコンクリート壁は一部分途切れているところがあり、そこから海岸に降りていく階段が目に入った。


「あっこから海に降りれそうだね」

「そうだな。行ってみるか」

「うん、そーしよぉ〜!」


 凛太と一緒に海に来た。

 たったそれだけのことが、ほのかをとてもウキウキさせる。


 二人で階段を降りると、そこはあまり広くはない砂浜になっていた。

 もう秋だし、海岸には他には誰一人いない。こぢんまりとした砂浜に打ち寄せる波が少し寂しそうだ。

 しかし水平線が広がり、秋晴れの空とのコントラストが美しい。


「あ、綺麗……」

「だな。たまに見る海は気持ちいいな」

「うん」


 しばらく二人は黙って眼前に広がる海に見とれていた。

 ほのかは熱を帯びた顔を撫でる海風を、心地よく受けていた。そして思いついたようにふと口を開く。


「ところでひらりんってさ。なんでウチの会社に入ろうと思ったの?」


 照れ隠しもあったけれど、ほのかは凛太のことをもっと知りたいという気持ちが溢れてきて、思わずそんなことを口にする。


「そうだなぁ……」


 凛太のリクアド社を選んだ理由を聞いた後、ほのかも自分の志望動機を話す。そのあとは小学生の頃はどんな子供だったのか、なんて話をお互いに語ったりした。

 取りとめのない話ではあるけど、凛太を少しでも知ることができて、ほのかの胸にはなんというか、満足感みたいなものが満ちてくる。


 日常の合間に訪れたふとしたひととき。こんなワンシーンの隣に凛太がいることが、ほのかにはすごく満ち足りたものを感じさせた。


 今まで何人かの男性と付き合ってきたけど、こんな感情を持ったことは初めてだ。

 もしかしたら今まで自分が“恋”だと思っていたのは実はそうではなくて、これが本当の恋ってやつかもしれない。ほのかはそんなことまで考える。


 そしてこの幸せな気分をこれからも持ち続けるために必要なこと。それは凛太にも自分を好きになってもらって、ちゃんとした恋人同士になること。そのためには──


 ──もっと素直にならなきゃいけないよね……


 そんなふうに思うものの、本当に素直になれるのか、ほのかはイマイチ自信はない。でも努力しなきゃいけないよね、とは思う。


 海を眺めながら取り止めもなく色んな話をしていたら、あっという間に時間が過ぎていく。ここに来て、もう一時間近くが経っていた。

 晴れていた空もいつの間にか雲が広がって、空が暗くなってきてることも時間の経過を感じさせる。


「ほのか。そろそろ帰ろうか。帰りのバスがもうすぐ来る」

「そうなの?」

「ああ。ここは一時間に一本しかバスがないから、これを逃したら次はまた一時間後だ」

「ひらりん、よく知ってるね。もしかしたら今までもここにバスで来たことがあるとか?」


 ──それって誰か他の女の人と一緒に来たとか?


 急にほのかの胸に、ざわざわとしたものが広がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る