第71話:なんでスーツ姿なの?

 凛太がグルメサイトで見つけた美味しいと評判のイタリアンカジュアルレストランは、駅前から歩いて5分ほどの場所にある。ボウリング場もそこから歩いてすぐだ。

 二人はイタリアンレストランに向かって、並んで駅前商店街を歩き始めた。


 ──ひらりんは今日のあたしのファッションをどう思ってるのよ? それにしたって、ちょっとくらい反応してもいいじゃないの……?


 なんて、ちょっとムカつきながらほのかは、横を歩く凛太をチラと横目で見上げながら問いかけた。


「ところでさ、ひらりん」

「ん?」

「ボウリングをするのになんでスーツ姿なの?」


 ほのかはお洒落した自分の姿に気づかないばかりか、凛太が適当に服装を選んで来たのじゃないかと思った。返答次第によっては、ぐーパンで殴ってやる! って考えている。


「えっ? ああ、そうだね。ジーンズで来ようかと思ったんだけどさ。ほのかのお母さんに信頼を勝ち取らないといけないからな。せめて見た目だけでもキッチリして見えるようにって思ったんだよ」

「あ……」

「まあボウリングくらいなら、スーツでも問題なくやれるし。俺がボウリングやりやすいかよりも、ほのかのお母さんが認めてくれるかの方が、ほのかにとって大事だしな」

「それで、ビジネススーツ?」

「うん。正直言うと、俺私服でお洒落なスーツなんか持ってないんだよなぁ。パッとしないカッコでごめんな。でもこれでも俺が持ってるスーツの中で一番良いヤツを、ちゃんとクリーニングに出しておいたんだ」


 凛太はホントに申し訳なさそうな顔で、頭を掻いている。

 確かに凛太のスーツは、一見いつもと同じようなビジネススーツに見えるけど、パリッとした感じだ。今日のためにスーツをクリーニングに出していたとか、凛太なりに気を遣ってくれているし、何よりスーツをチョイスしたのは自分のためだったのだ。


 そこにようやく気づいたほのかは、凛太が適当に服を選んで来ただなんて考えたことを申し訳なく思った。


 よくよく考えると、凛太が特にお洒落じゃないなんてのは、今に始まったことじゃない。かと言って全然イケていないわけではなく、ビジネスマンとしては信頼するに足る、キッチリした格好ではある。

 それはそれで凛太の真面目で誠実な性格を表しているようで、まあ悪くはないよねとほのかは思い直した。


「あ、そうだったんだ……気を遣ってくれてありがと……」

「ホントにセンスがない男でごめんな。ほのかなんて、そんなに綺麗で素敵なカッコで来てるのに、不釣り合いで申し訳ない」

「えっ……?」


 ──ひらりん、何気ないふりをしてたけど、そんな風に思ってたの?


 しかし凛太はよっぽど照れ臭いのだろう。ほのかの方を見ずに、まっすぐ前を向いたままだ。


 ──そう思ってたんなら、なんで言ってくれないのよぉ……


 なんて思うが、凛太がそんなことを気軽に口にできる男じゃないことはわかっていたはずだとほのかは思った。事実、さっきの誉め言葉をひとつ言うだけで、顔を真っ赤にして照れている。


 まあ、仕方ない。許してやるかぁ……と考えたのだが。

 ところが思いもよらず、凛太が恥ずかしそうに頬を人差し指で掻きながら、こんなことを口にした。


「ほのかってもちろんいつも美人だけどさ。今日のほのかはびっくりするくらい可愛いな。いやホント、さすがだ」

「ふぇっ?」


 思いもかけぬ凛太の大絶賛のお言葉


 ──きゅん。


 さっきまでムカついて、返答によっては殴ってやるとまで考えていたことは、瞬時にほのかの頭から吹っ飛んだ。


 胸の奥から甘酸っぱい感情が湧き上がる。そして瞬間湯沸かし器のように顔がポッポと熱くなる。全身がふにゃりとして力が入らない。それくらい幸せな感覚が身を包む。


「め……珍しいね、ひらりんがそんなことを言うなんて」

「ま、まあな。俺だってこんな歯の浮くようなことを言うイメージは、自分にないな。でもまあ、そう思ったから素直に言ってみた……あはは」

「あ……ありがと……」


 ほのかはどう返事したらいいのか戸惑って、それだけを返すのが精一杯だった。そして前を向いたまま一心不乱に歩く。すると急に横から、しかも思いもよらない近い距離から、囁くような凛太の声が聞こえた。


「ところでさほのか」

「へっ?」


 ふと顔を横に向けると、目の前には肩が触れ合うかどうかという近い距離に凛太の肩がある。そして見上げると、前を見て歩く凛太の横顔。

 なぜかさっきよりもほのかに近寄って凛太が歩いている。


 思いがけない近い距離感に、ほのかの心臓はどきんと跳ねた。


 ──えーっ? えーっ? えーっ?

 ななな、なにこれ?

 もしかして、ひらりんがあたしの可愛い姿を見て、早速あたしに惚れちゃったのぉ!? だからすり寄って来てるとか?


「ほのかのお母さん、やっぱりついて来てるんだよな?」

「あっ……ああ、そうね。ついて来てるよ」


 ほのかがチラと横目で後ろを窺うと、例の尾行ファッションの母が30メートルほど離れてついて来ている。

 なんだ、その確認をしたかっただけなのかと、ほのかは少し残念に思う。


「そっか。わかった。がんばらなきゃな」


 何をがんばるのかはよくわからないが、凛太はきりっと表情を引き締めた。


「えっと……どれがウチのお母さんがなのか教えようか?」

「いや、いい。どの人がほのかのお母さんなのか知ったら、変に意識してしまうと思うんだよ。ついついそっちを見てしまってもマズいし、かえって知らない方がいい」

「そっか……そうかもね」

「うん。俺もできるだけ自然に振舞うように努力するよ」


 凛太は小声でそう言って、また少しほのかとの距離を取った。

 やっぱりこの話をひそひそとするために、凛太はほのかに近づいたようだ。凛太が早速自分に惚れたなんて考えていたことを思い出して、恥ずかしさが爆発する。


「あ、あはは。そうだね。お願いするね、ひらりん」


 恥ずかしさを笑ってごまかすしかないほのかであった。




***


 凛太が見つけたイタリアンレストランに着いて店内に入った。これからボウリングをするから軽めにということで、二人ともスパゲティを注文した。

 しかし二人が注文を終えても、ほのかの母は店の外で張り込みをするように電柱の陰に立っていて、店内には入ってこない。


 出てきたパスタは確かに美味しくて、食いしん坊のほのかは、「うーん、美味しい~!」と舌鼓を打つ。だけど外で待つ母が気になって、あまりゆっくりとは食事ができない。

 本当はゆっくりと食事をしたかった二人だったけど、ほのかの母親がずっと外にいるので、とにかく素早く食べて店を出ることにした。


「ごめんねひらりん。ウチのママのせいで」

「いや。確かに尾行しようと思ったら、同じ店に入ったら出る時に会計で時間差ができて見逃してしまうよな。だから外で張り込むのは正解だ」

「だよね」

「昼飯食ったあとの待ち合わせにしたらよかったな。俺のミスだ。お母さんにもほのかにも申し訳ない。ごめん」

「あ、いや……ひらりんが謝ることはないって。あたしのために協力してくれてるんだから」

「いや。計画を立てたのは俺だ。これくらいのことは予測して計画を立てないとだめだからな。迷惑かけて悪いなほのか」

「こっちこそごめん。あたしのママのせいで、せっかくの美味しい料理をゆっくりと食べられなくて……」

「いやいや、俺の方こそ……」


 このコンビにしては珍しく、お互いに自分が悪いと謝り合っている。

 それに二人とも気づいて、おかしくなって二人同時にプッと吹き出した。


「まあとにかく、早めに食べて出ようぜ」

「あ、うん。わかった」


 そんなこんなで急いで食事を済ませた凛太とほのかは、イタリアンレストランを出てボウリング場に向かった。


 ボウリング場に到着し、受付を済ませて、二人でレーンに入った。

 場内は割と混んでいて、左右の隣のレーンにも別の客がいる。

 母親はどこから観察するつもりなのかはわからないけど、これで少なくともすぐ横のレーンに母が現れることはないと、ほのかは少しホッとした。


 ほのかの横では凛太がスーツの上着を脱ぎ、ワイシャツの袖をまくり始めた。


「さあ、準備万端だ」

「ひらりん……気合が入ってるね……」

「ああ。ボウリングなんて久しぶりだから、うまくできるかどうかわからないけどな。せっかく来たんだ。楽しもうぜ」


 なんでも一生懸命な凛太のことだ。きっとボウリングでも、一生懸命やるんだろうなぁ──なんて思いながら、ほのかは凛太の顔を見た。

 凛太の楽しそうな顔を見ていると、自分まで楽しい気分になる。


 ほのかもハーフコートを脱いで、ショルダーバッグと共に座席に置いた。そしてふとスマホを見ると、メッセージが届いている通知が目に入った。どうやら母からのようだ。

 アプリを開くと、そこにはこんなメッセージが書いてあった。


『ほのかの彼氏、ホントにイケメンなの?』


 戦慄のメッセージ。

 ほのかは背筋がゾゾゾっと震えるのを感じた。

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