第54話:こら凛太っち
所長にいきなり「飲んでるか?」と訊かれた。
「あ、はい。飲んでますよ」
「よろしいっ」
そう言って所長は、またグイッとチューハイを飲み干した。
こりゃいかん。
かなり酔っぱらいモードに突入している様子だ。
「すみませーん。チューハイおかわり!」
──あ、いや。所長の方が全然よろしくない。飲み過ぎだよ。
「所長。もうあんまり、飲まない方がいいんじゃないですか?」
所長はカルビをぱくりと口に入れて、モグモグと咀嚼してから、ちょっと不機嫌そうな目で疑問形を返してきた。
「なんで?」
なんでって言われても……
「こら、平林。いや……凛太!」
「はいっ?」
呼び捨てされてるかと思ったら、さらに名前の呼び捨て?
こりゃあ歓迎会の時よりも、さらに酔ってるよな、所長。
「女だからお酒に弱いって思ってるんでしょ?」
「あ、いえ……」
女だからじゃなくて、神宮寺所長だから弱いって思ってる。それが正解だ。
「君もホントは、私が女だからってバカにしてるの?」
「えっ? そんなこと、全然思ってません!」
本当にそんなことは全然思ってない。
それにしても……君
加賀谷製作所の専務のことが頭にあるからなのかな?
「こら凛太っち。ホントのことを言いなさい」
──今度は、凛太っちになってる……
「ホントですって。それとも所長。俺って、所長にそう思われるようなこと、なにか言いましたっけ?」
もしも俺の言動が、所長にそう感じさせたのならば申し訳ない。反省しなきゃ。
「ん〜……」
所長は人差し指をあごに当て、俺の顔を半目で見ながら考え込んでいる。
「……なにもない!」
──なんだ、それ!?
思わずズッコケかけた。
なんにも無いのかよ。
じゃあなんで、所長はそんなことを言ったんだ?
「まあ、凛太っちは、そんなこと思う感じじゃないよねぇ。しっつれい、しましたぁ」
所長は赤らんだ顔で、ぺこりと頭を下げた。口調も動作も、完全に酔っ払いだ……どうしよう?
「でもさ、凛太っち。今まで周りには、そんな男がいっぱいいたのよね……」
「そうなんですか?」
「うん。私は中高一貫の女子校だったから、その頃はそんなの感じなかったけどねぇ。その代わり超進学校だったから、私も周りもガリ勉ばっかりで、男っ気はゼロだったけどねぇ、あはは」
そうだったのか。まさかこんなスタイリッシュな美女が、中高時代はガリ勉で男っ気ゼロだったなんて……衝撃的事実が今、明らかにっ!
──って感じだ。
「でさ。頑張って東大に入ったんだけど……」
「しょ、所長、東大出ですかっ?」
「うん、そう。そこで出会った男性はさ、たまたまかもしれないけど……表向きは女子をチヤホヤしときながら、裏では東大に来る女なんてロクなやつはいないなんて、陰口たたくようなヤツばっかりだったのよ」
俺の『東大出ですか?』の問いに、さらっと『うん、そう』と答えた所長があまりに衝撃的で、その後の話があんまり頭に入ってこない。
「私は、男も女もないでしょって思ったんだけどね。大学生の時に付き合った同じ大学の彼氏が、これまた『女は男には敵わない』なんて思考の持ち主だったわけよぉ」
──やっぱり所長、彼氏はいたんだな。
これだけの美人だから、彼氏がいたことは大して驚きじゃないな……って言うか、東大出の才女だっていう衝撃があまりに強すぎて、彼氏くらいじゃ驚けない。
「しかもその男、まさに天才で、勉強もスポーツも物凄くできたもんだから、ホントに敵わないって思ってしまったのよね」
こんなに美人で抜群に頭も良い女性が、そんなふうに思う男っていったい……
「でもその男、あまりにプライド高いし常識知らないし、性格は最悪のヤツだった。1ヶ月くらいで別れたけどねぇ、あはは」
なるほど。そんな凄い男でも、性格が悪くて振られてしまったのか。人間ってのは、なかなか一筋縄じゃいかないものだな。
「だから私は、社会に出てから、男に負けないことを証明しようと思ってさ。がむしやらに頑張ったわけよ。わかる? 凛太っち」
所長は腕組みをして、小首を少し傾けた。
腕の上に、白いブラウスの胸の膨らみが乗っかって強調される。
うーん……こういうのは目の毒だ。
俺は思わず所長の胸に行ってしまった視線を、慌てて彼女の美しい顔に戻した。
「あ、はい」
それにしても今日の所長は饒舌だ。まるで何か、今までため込んでいたものを吐き出そうとしているような感じがする。
「だけどねぇ……成績を挙げても、容姿のおかげだとか、枕営業してるんだろうとか、裏で陰口叩くヤツがいるのよねぇ……特に成績を競い合ってる男性営業マンとかがね」
所長は少し悲しげな目線を宙に泳がせて、そんなことを言った。
所長がさっき言った『君
それに今、ようやく気づいた。
「そうなんですね……」
「そうなのよぉ。私が男だったら、そんなこと言われないのに……だから私は、実力では絶対に男に負けないようにしようと思って、やってきたのよさ。……あ、わかるかね、凛太っち君?」
もう口調がはちゃめちゃだ。
だけど……優秀で自信満々に見える神宮寺所長も、色々と苦労してて、裏では葛藤を抱えているんだな……
「わかりますよ、所長。真面目で熱心な所長の本当の姿を見ようとしないヤツらなんて、ほっときましょう」
「でもね、凛太っち。そんなふうに思ってるくせに、私ってヤツは……仕事を取るために、一瞬でも専務の誘いに乗ろうとしたわけよ。まさに枕営業。サイテーだね、私」
「あ、いや、でも所長。結局は誘いを受けずに、人材紹介依頼を貰えたじゃないですか」
「だぁーかぁーらぁー それが君のおかげだって言うのよ、私は」
──あ、そういうことか。
所長は泣きそうな顔で、目も少し潤んで見える。自分が専務の誘いを受けようとしてしまったことが、よっぽど悔しかったようだ。
「でも所長。所長が専務の誘いを受けようとしたのは、所長自身の利益のためじゃない。俺たち部下を守るためだって言ってくれたじゃないですか」
「そうよ」
「だったらなんら恥じることはない、と俺は思いますよ」
「凛太っち……ありがとうね。専務の誘いを断るように言ってくれたのも、私を守るって言ってくれたのも、加賀谷社長とのセッティングをなんとか叶えてくれたのも……全部、ありがとね」
所長……なんか凄く心に染みる話し方だ。
「とんでもないですよ所長。俺だって所長に助けられてるし、色々教えて貰ってるし、これからだってたくさん迷惑をかけたり助けてもらうこともあると思います。でもお互いに助けあっていくのがチームじゃないですか」
「凛太っち……あんたって人は……ホントに……ありがと……ね……」
所長は途切れ途切れにそこまで言って、突然ガバッとテーブルに突っ伏してしまった。
ま、まさか……死んだっ!?
ど……どうしようぅぅ!?
「所長! 大丈夫ですか!? どうしたんですか!?」
「ね……眠い……」
──はぁっ? 眠い!?
そりゃあ、飲み過ぎだよ所長〜っ!
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