第46話:憧れの先輩

 ルカはスマホの写真アルバムから、一枚の写真をタップして表示させた。

 そしてその写真を……じーっと見つめる。


 その写真は、サッカーのユニフォームを着た高校生くらいの少年を遠くから撮影したもの。


 そう──


 ルカが高校時代に、憧れて遠くから眺めていたという先輩。

 その先輩の写真である。


「若いなぁ。可愛い……」


 憧れの先輩の高校時代の写真を見つめて、ルカはクスっと笑った。

 そしてスマホの画面の中の男性に、ルカは楽しそうに語りかける。


「でも今も昔も、一生懸命なところはホント変わらないですね……凛太先輩」


 ルカは高校生の頃に、いつも遠くから凛太を眺めていたことを懐かしく思い出す。


 当時のルカは高校一年生。


 毎日下校の時に通りがかるグラウンドで、サッカー部が練習をしているのを見かけた。今までサッカーはそんなにじっくりと見たことはないけど、なぜか気になって、しばらく練習を眺めた。


 ──手があるのに使わないなんて、不便なスポーツだなぁ。


 サッカーをあまり知らない当時のルカが最初に抱いた感想は、それだけだった。


 しかし毎日見かけるうちに、一人の男子が、いつも周りの人よりもひときわ熱心に大きな声を出し、走り回る姿が気になり始めた。


 ──それが凛太。


 サッカーをしている時の凛太は、常に一生懸命さが身体中から溢れていた。


 真剣な眼差し。

 がむしゃらなプレースタイル。

 プレーが上手くいったときの弾けるような笑顔。


 そんな凛太の姿に、ルカの心はグイグイと惹きつけられるのを感じた。


 しかし練習後や校内でたまたま見かける彼は、日焼けした顔から白い歯を覗かせて、穏やかで優しい笑顔を見せる。


 そんなギャップにもルカはいつしか凛太に惹かれ、そして彼を見かけると、目で追うようになっていった。


「でも……私は、遠くから眺めるしかできなかったのですよ、凛太先輩」


 ルカはまた、スマホの写真に語りかける。


 人とのコミュニケーションが少し苦手で、引っ込み思案なルカは、他人に本心を話すことがなかなかできない。

 ましてや異性と親しく話すのは、奥手なルカにとって更にハードルが高い。


 だから凛太が卒業するまでの一年間、ルカは凛太を『憧れの先輩』として、遠くから眺めることしかできなかった。


 そのことは友達にも誰にも言わなかった。


 こっそりと遠くから凛太の写真を撮って、あとで眺めるのがせいぜいだったのだ。だから直接話をすることなど、一度もない。


 凛太はルカの存在すら、たぶん知らなかっただろう。


 一方でルカは、最初に見かけた時はろくに知らなかったサッカーも、凛太の影響で興味を持ち、テレビなどでよく観戦するようになった。


 おかげで今ではJリーグから日本代表戦まで観るし、サッカー好きを自称するようにもなっている。



 凛太が卒業した後には、高校や大学でルカは何人もの男性から付き合って欲しいと告白を受けた。


 しかし奥手ゆえに、男性とお付き合いすることへの抵抗感もあった。

 そして何より。凛太への憧れの気持ちが消えないまま、他の男性とは付き合う気になれず、すべて断ってきたのだった。


 ルカは特に彼氏を作りたいという欲求も少なかった。

 いずれは自分にも、凛太以外に好きになる人が現れるのだろうな──くらいの気持ちを持ってはいたけれども。


 社会人になってもそれはたいして変わらず、過ごしていたある日──


 思いもよらない、突然の凛太との再会。


 ルカは戸惑い、自分の想いを伝えられるはずもなく、高校時代のことは隠したまま日々凛太と接することにしたのである。


 いや。それどころか──


 ルカは凛太と近くで接することに、ある種の恐怖心とも言える戸惑いがあった。


 それは、自分の中で既に美化されているであろう凛太の思い出。


 アイドルという言葉の日本語である『偶像』。まさにルカにとって、高校時代にまるでアイドルのように憧れた凛太は、偶像そのものかもしれない。


 それが現実の凛太を知ることで、脆くも崩れてしまうのではないだろうかという怖れ。


 それもあり、凛太と再会してからも、親しくすることには抵抗感を感じていた。


 しかし──


「凛太先輩。あなたは、私が思っていたとおりの人でした。もうあれから、何年も経つのにね……」


 ルカは目を細め、クスっと笑って、また写真の凛太に語りかけた。


 なんにでも熱心で、他人のために一生懸命で、優しい笑顔。

 現実の凛太を知れば知るほど、ルカの心の中の凛太そのものであると感じる。


 だからこそ、今日偶然生まれた凛太とのひと時は、ルカにとって甘くて、そして心躍るようなキラキラとした時間であった。


 こんな時間を、これからも過ごすことができるのならば、毎日が楽しくて幸せだ。



 しかし──

 でも──


 ルカは考える。


 奥手な自分は、やっぱり凛太に自分の気持ちを打ち明けることなんてできない。それどころか、より親しくなるために積極的に行動することすらできない。


 そんなことをして、凛太との関係がギクシャクするのが怖い。


「あ、そうだ凛太先輩。今日私が言った『同じ作品を好きな人と一緒に観る』って言葉。ホントに『同じ作品を好き』という意味で言ったのですからね」


 本物の凛太が目の前にいるわけでもないのに、ルカは顔を真っ赤にして、写真の凛太に向かってそう言った。


 ルカは自分の気持ちを伝えようとしてそう言ったのではなく、たまたま出た言葉が、どちらとも取れる表現だったのだ。


 でも、もしも凛太に気持ちを伝えて、凛太との関係が深まって、仲良くなれるとしたら──

 そんなこともルカは考える。


「いえ。それでもやっぱり、そんなことをするべきじゃないですよね……」


 せっかく凛太が赴任してきてくれて、志水営業所はいい雰囲気になっている。

 自分だけが凛太と親しくなれば、営業所の雰囲気は壊れるかもしれない。


 それを考えると、ルカにはどうしても凛太に積極的に近づくことには抵抗がある。


 いや、むしろ──


 ほのかのような明るく楽しい女の子と付き合った方が、凛太にとっては嬉しいのではないか。

 そんなことさえ、考えてしまうこともある。


 そんな中で、偶然、神様からの贈り物のように訪れた今日の時間。

 とてもドキドキして、楽しくて、何物にも代えがたい時間だった。


「これ以上のことは、望むべきじゃない……よね」


 ルカは自分に言い聞かせるように、そう呟いた。

 スマホの中の凛太は、何も言わずにただ微笑んでいた。

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