決意のお菓子
「五月ー、いつまで作ってんだよ」
オレが五月のマンションへ着くと、部屋全体に甘ったるい香りが立ち込めていた。その家の主は、キッチンでカスタードクリームを作っている。
オーブン2台がフル稼働してるところ、初めて見たぞ……。
理由を聞くと、あのスポ専のやつと甘味対決するんだとか。審査員は、梓らしい。
どうしてそうなったんだ?
混乱してるオレに、五月はオレンジのパウンドケーキ1本(個じゃねえぞ、本だぞ)を差し出してくる。
「奏、味見して。感想も」
「お、おう……」
「今日の夕飯これね」
「え……」
「嘘だよ。メインがこれで、後でラーメン作るから」
「……おう」
ラーメンをメインにしてくれ!!
甘いものが嫌いなわけじゃないが、この量はどう考えてもオレの胃袋には収まらない。
だって、キッチンにはカップケーキとクッキーとエクレア、リビングのテーブルにはガトーショコラとアップルパイが置かれてるし。
オレは、手渡されたパウンドケーキをちぎり、口に含みながらその様子に唖然とする。……うん、味は美味い。
「あとは、シュークリームとモンブラン、チーズケーキ作って終わるから」
「作りすぎだろ! まじで、何があったの」
「さっき説明しただろ」
「説明不足!」
「ちょっと待ってて。カスタードは途中で止めるとダマになりやすいんだよ」
「終わったら、ちゃんと説明しろよ!」
美香さんに襲われた後、部屋中の鏡叩き割ってた時は正直どうなるかと思った。でも、持ち直したってことだよな? なんだか、楽しそうだし。
それを横目に、リビングへ移動してクッキーをかじっていると、
「……ごめんね」
「あん?」
五月が小さな声で謝ってきた。理由がわからないオレは、用意されたブラックコーヒー(これがないと、胃袋が砂糖で死ぬ)を啜りながら聞き返す。
「頭の傷。俺が受けなきゃいけなかったのに」
「なんだ、それか。オレがあの女怒らせたんだよ。お前のせいじゃねえ」
「だからって」
「変に事を大きくして、千影さんに迷惑かかるのもあれじゃんか」
「いや、千影さんはそういうの気にしないタイプだから」
「……まあ、そうか」
確かに、千影さんは外部に関心がない。興味はあるらしく一通り話は聞いてくるが、それも役作りの勉強として捉えてるっぽいんだよな。
それをわかってるのか、マスコミも千影さんのスキャンダルはほとんど出さない。最後に出たのは確か、「セイラ、男装する」だった気がする。こんな緩いスキャンダル、ただの世間話にもなんねえ。
仕込みが終わったらしい五月が、オレの前に座ってきた。その手には、湯気の立ったコーヒーカップが握られている。
「怪我、治るまでここで生活しなよ。俺が、ご飯作ったり寝床提供したりするから」
「え、マジ!? 良いの?」
「親御さんが大丈夫ならね。ここからの方が、高校近いでしょ」
「ラッキー! 高久さんにも言うわ」
仕事は休みだけど、1日1回は生存報告しないといけねえんだ。
この怪我、高久さんには「転んで頭打った」ことにしてある。だからか、「この機会に、疲れも取ってください」ってめちゃくちゃ心配されたよ。
あの人、五月がお気に入りだから喜んでくれるだろうな。無論、オレの両親もひとつ返事に違いない。
「……俺、もう一回美香さんと話してくるよ」
「へ?」
高久さんと両親へ連絡を入れていると、五月が話しかけてきた。
聞き間違いだよな?
あんな酷い目に合わされてんだから、もうお前は無視で良いんじゃねえのか!?
「もう一回、話してみる。前回は、お互い冷静になれなかったから」
「その気持ちは良いけどさあ。綺麗事話しててもしゃーないだろ」
「俺は、これからも鈴木さんと居たい。付き合うとかそういうのなしに、一緒に居たい。今のまま逃げてるだけだと、遅かれ早かれ鈴木さんも巻き込むことになると思うんだ。それだけは避けたい」
五月は、オレの目を真っ直ぐに見ながらそう言ってきた。あの日、控室で襲われて縮こまっていた面影は一切ない。
やっぱ、和哉と何か話したのか? それとも、梓と話して何かを掴んだのか。
そんなこいつに水をさせるほど、オレも弱気ではない。
「……決めたんだな」
「決めた。俺は、断れる人になる」
だったら、オレのやることはひとつしかないわな。
こいつ、いつの間にこんな表情するようになったんだ?
スッゲー、嬉しい。
「わかった。オレにも手伝わせてくれ」
「いや、これは自分で」
「五月。オレ、大怪我したお前に何もできなかったんだ。だから、今回は……今回だけは」
でも、待って欲しい。
そろそろ、オレの鼻腔が限界だ。
「……とりあえず、先にコーヒーもらって良いですか。砂糖の匂いで胃がやられそうです、はい」
「ぶはっ! その代わり、全部食べてね。奏の話でイライラして、鈴木さんに八つ当たりしちゃったんだ。挽回しなきゃ」
「……なにしたんだ?」
「秘密」
オレは、五月がどうやって八つ当たりしたのか想像しながら、追加のコーヒーを待つ。
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