第66話 エドワルド=ラーゼンの策謀 後編
「確かか?」
「は、全ての先遣隊からの報告が一致しております」
「ふむ、ご苦労だった。下がれ」
「はっ」
行軍するラーゼン侯爵軍の中央に位置する当主専用馬車の窓越しにその報告を受け、去っていく伝令の後姿を眺めながら物思いにふけるエドワルド。
すでに現在地点は永眠の森の周辺部に至っていたのだが、来るべき報告が未だ一つも上がってきていない事態に違和感と苛立ちを感じ始めていた。
「どうにも妙ですな、若」
そこに馬上から声をかけてきたのは、齢五十にふさわしい皴をその顔に刻みながらも、鋼鉄の鎧越しにもわかるほど筋骨逞しい体つきの武人だった。
「レオニスか」
「露払いの部隊から上がってくる討伐報告はどれも知性のない魔獣ばかり。我らの標的である亜人魔族の目撃情報が一つもないとは」
「ここまで出てこぬとなると、どんな事態が想定される?」
「そうですな。まずはこの森に住まう亜人魔族どもが我らの軍勢に恐れをなして森の外へと脱兎のごとく逃げ出した、という可能性ですかな」
「あり得んな。それでは亜人魔族どもが一人も発見できぬことの根拠となっておらぬ。何より、そのような大勢の移動があれば、周辺に何らかの目撃情報か痕跡がなくてはなるまい」
「仰る通り。ならば考えられる状況は一つでしょうな。籠城、それも一人の脱落もさせぬほど非常に統率の取れたものと考えるしかないですな」
「……あまり認めたくはないものだな。亜人魔族がそこまでの知性と胆力を持ち合わせているなどとは」
「我が不肖の愚息も、その辺りを読み違えて敗れたのでしょうな。あの頃は才能に溺れた一門の面汚しと思ってきましたが、これは認識を改める要がありそうですな」
彼の名はレオニス=ラズムッド。
サーヴェンデルト国王から子爵位を賜っている貴族であり、ラーゼン一門の柱石の臣である。
かつては白鷲騎士団副団長にまで上り詰めた生粋の武人で、今はエドワルドの元でラーゼン侯爵軍の大将を務めている豪傑だ。
そして、かつて小隊ごと騎士団を脱走して永眠の森に挑み敗れていった白鷲騎士団第十五小隊長ラズムッドの実父に当たる。
エドワルドがすでに老境に差し掛かっているレオニスをこの戦いの大将として登用したのも、ひとえに息子の仇討ちという永眠の森への遺恨を重視してのことだった。
「まあ、今出てこなくとも、後で皆殺しにする結末は変わらぬのだ。捨て置いても良かろう。それで、陣地構築は予定通り進んでおるのか?」
「無論です。すでに永眠の森と他の魔族の領域とを分断するための木々の焼却、伐採作業は八割方完了、伐採した木材を利用した防壁も要となる地点では完成しております」
「まずは包囲完了、といったところか。だが、袋のネズミとなる前に構築中の陣地に奴らの方から奇襲を仕掛けてくるのではなかったのか?これでは肩透かしもいいところだぞ」
エドワルドの問いにレオニスも少し考える素振りを見せたが、やがて顔を上げると言った。
「正直申しまして、意外でしたな。この永眠の森の戦力は、雑多な亜人魔族で構成された混成軍だと聞いておりました。その鼻先で我らの陣地構築というエサをちらつかせれば、すぐさま襲ってくるものとばかり思っておりましたので」
「ではなぜ奴らは仕掛けてこぬ?」
「さて、よほど防備に自信があるのか、それとも何か打って出られぬ事情があるのか……これ以上は森の中の敵を捕らえて、情報を引き出す以外に知る術はありませぬな」
「……まあよい。元より魔族どもの考えを理解しようというつもりは毛頭ない。早まるかもしれなかった予定が元に戻っただけのことだ」
「さすがは若。その泰然自若ぶりはまさにラーゼン家当主にふさわしい」
「似合わぬ追従はよせ、レオニス。それよりもわかっておるだろうな?こと軍事行動において、我がラーゼン侯爵軍が他の貴族に後れを取ることなどあってはならんぞ。魔導派の連中はもちろんだが、軟弱者のユルト公やフレンシス辺境伯の後塵を拝するなどラーゼンの名を穢す行為と知れ」
「もちろん心得ております。どこよりも先に、陣地完成の狼煙を上げて御覧に入れましょう」
そのレオニスの宣言通り、永眠の森包囲のための陣地を一番初めに完成させたのはラーゼン侯爵軍だった。
二番目の貴族軍を離すこと半日の差をつけたその圧倒的な迅速さは他の貴族の競争意識に火をつけ、一斉攻撃開始の朝を迎えるまでには、ネズミ一匹逃さぬほどの芸術的な包囲網が完成したのであった。
そしてその間、永眠の森から亜人魔族の軍が姿を見せることは一度もなかった。
「それにしても、いくら私が考えた作戦とはいえ、魔導派の奴らに先陣を切らせるのは納得しがたいものがあるな」
「そう言われますな、若。あらゆる物事を正当に評価し、うまく利用してこそ良き君主というものですぞ」
騎士派、魔導派と区別はしていても、両者の軍の編成に大きな違いはない。
大多数を領民からなる一般兵が占め、援護を行う弓隊や後方支援の補給隊が続き、最後に正規兵である騎馬隊と魔導士隊が中核戦力となる。
だがそうは言っても、やはり騎士派と魔導派の軍構成に一定の差異があることは疑いようのない事実だ。
その名の通り、騎士派は騎馬隊で、魔導派は魔導士で、それぞれ戦力において優位性を持っていた。
そしてその違いがこの時有効に働いたのは魔導派の方であり、今まさに永眠の森総攻撃の先陣が切られようとしていた。
「カイゼン公、魔導士部隊準備完了いたしました!」
「うむ、では始めるとしようか」
「はっ!各魔導士部隊、攻撃開始!撃て!!」
『我がマナよ、業火の火球となりて我が敵を焼き尽くせ、ファイアボルト』
総勢三百人からなるカイゼン公爵の魔導士部隊の一斉詠唱が朝靄残る永眠の森に朗々と響き渡った直後、不明瞭だった視界を吹き飛ばしながらヘルメットサイズに統一された三百の火球が横一直線に並んで空へと打ち上がった。
「カイゼン公に遅れるな!!」 「今こそ魔導派の意地を見せよ!!」
続いて火球の列が打ち上がったのは、アドリアル侯爵軍とミュデル辺境伯軍の二つ。
数ではややカイゼン公爵軍に劣るものの、質では負けず劣らずの火球が次々と弓なりに上がっていく。
さらにその他の魔導派の貴族軍もそれぞれに火球を打ち上げ、永眠の森の青色の空を火球の赤色で埋め尽くしていった。
「おおっ、さすがに壮観ですな!あれだけの数と威力のファイアボルト、魔導派だからこそできる芸当と言わざるを得ませんな!やはり我らの魔導士部隊が張り合わなくて正解でしたぞ!」
「言われんでもわかっておる」
興奮気味のレオニスにそう言いつつも、エドワルドの苦々しい気分が消えてくれるわけではない。
(ふん、先代の頃に魔導派の連中がしゃしゃり出てこなければ、あの魔導士部隊もわが手にあったのだ。そうであったなら……いや、レオニスの言う通り、認めて利用することこそ肝要か)
大事なのはこの後の王都攻略にこそあると考え直したエドワルドは、永眠の森を焼き尽くすために放物線を描くように放たれた無数の火球が地表に到達する様をその眼で確かめようとした。
その確定したかと思われた結果が覆されたのはその直後だった。
バシイイイイイイイイィィィン!!
その何かを弾くような強烈な音と共に上空の火球が掻き消えた時、サーヴェンデルト有志連合軍にわずかな間静寂が訪れ、たちまち動揺のざわめきが一帯を支配した。
「み、見ろ!きっとあれがファイアボルトを弾いたのだ!!」
その声がどこから出たのかを確かめることなく、誰もが永眠の森の方を再び見た。
その森からニュルニュルと伸びていたのは、植物のツル。
無数の棘に彩られたバラのものと思われる、しかし大木ほどの太さはあろうかというツルが森のそこかしこから上がってきていた。
「……若。これである程度敵の意図が見えましたな」
「ククク。これで少しは楽しめそうではないか」
魔導派の失態も見られたこともあって、エドワルドの酷薄な笑みがレオニスの視界に浮かんだ。
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