第35話 ガーノラッハ王国 中編

「種を蒔く男?なんだそれは?密偵ではないのか?」


「いえそれが、周囲を気にするでもなくただ種を蒔いているだけだったそうで、密偵の可能性は低いと報告が上がっております」


 確かに、国境で起きた異変はどんな些細なことでも自分の耳に入れろと、ガーノラッハ自身が命じたのは間違いない。少なくとも周辺にはドワ-フ族が集まっている土地ははガーノラッハ王国一つだけのため、国境での出来事には特に神経をとがらせる必要があると考えての措置だ。

 実際に年に数回ほどの頻度で、ガーノラッハ王国の様子を窺っていると思われる人族の密偵の姿が国境沿いで目撃、報告されている。

 そのため、国境警備隊は不審者の見極めに長けているはずなのだが、その警備隊の判断では種を蒔く男はシロだという。


「近隣の農夫だという可能性はないのか?」


「目撃された場所は近隣の人族の集落から遠く、また事前に開墾した様子もなかったとのことで……」


「そこまで不審に思ったのだ。当然警備隊の詰め所に連れていき、詰問したのだろうな?」


「いえ、それが、常に国境線から一定の距離を取って種を蒔き続けていたそうでして。さすがに強引に国境を越えて連行するのは難しいと目撃した警備隊の者は判断したようです」


(その程度の問題を気にして己の直感を裏切ってどうする!)


 自分なら強引にでも連行した、と思いつつもガーノラッハは表情には出さない。


 人族との密接なかかわりは国境線においても同様で、現在は実に全体の七割が人族の王国と隣接している。それだけに国境をめぐる人族とのいざこざはドワーフ王として最も忌避すべき事柄であり、国境警備隊は不信を感じつつも王の意を汲んだに過ぎない。

 警備隊の判断は間違っていないと考えつつもどこか釈然としない思いを抱えたガーノラッハは、ふと別の可能性に思い立った。


「念のため聞いておくが、その男、トレントが擬態したものではなかろうな?」


 種を蒔く者、といえば多くの者が農夫を想像するところだろう。

 だが、亜人魔族にまでその範囲を広げると、トレントという種族もまたそれに該当する。

 といってもトレントの目的は農夫のように自分達の農作物を育てて消費するためではなく、森を造るという己が本能を満たすために種を蒔く。

 一見大した違いがなさそうに見えるが、その違いこそがガーノラッハのような為政者にとっては厄介極まりない。


「王はトレントの侵略だとお考えで?」


「怪しげな農夫、となればその可能性も論じてしかるべきであろう。それにトレントには擬態能力もある」


 ガーノラッハの言う通り、トレントの有名な能力として《擬態》が挙げられる。

 森をさまよう者に近づくために周辺の木と同じ姿になったり、中には人族などトレントとは似ても似つかない姿にまで擬態できる個体もいるという。


「しかし王よ、トレントが力を発揮できるのは森の中、しかも自分の根を張った範囲内だけと聞きます。対して、我が国土は木々の少ない土地の上に硬い岩盤で覆われております。また、警備隊も不審な点があればここまで不確かな報告を寄こさぬでしょう。果たして、そんな状況においても完璧な擬態を為し得るトレントがいるのでしょうか?」


「ううむ……」


 実はガーノラッハ自身も半信半疑で口にしただけに過ぎず、ギルムンドの違和感には頷かざるを得ない。


「……精々、各地の警備隊に見回りの徹底を命じるくらいしかないか……」


 ガーノラッハのどこか釈然としない思いを側近の二人も共有していたようで、考えすぎといえる王命に対して、神妙に頭を下げただけだった。






 そんなガーノラッハの思いも、言ってしまえば王一人の小さな予感に過ぎず、鉄鎖のガラントに端を発した魔族の領域の森攻略のための命令は着々とその準備を進めていた。


 そして、いつものように大臣以下官僚との会議を開いた後でフギンとギルムンドの二人を呼びつけ、先遣隊となる『漆黒の針』十小隊の任務についての最終確認を行っていた。


「……ではやはり、実質的な森の攻略を『漆黒の針』に担わせることになるか」


「はい。森に住む亜人魔族どもはかなりの数に及ぶばかりか一定の規律も存在するらしく、もはや軍と呼んでも差し支えないほどの脅威となっておりますが、その纏まりの要となっているものこそが……」


「我が大叔父が行方不明となった原因、というわけだな」


「はっ」


 森に深入りしない程度にあらゆる手を使って森に関する情報を収集したギルムンドが、確証に近い推測を述べた。


「それなら、わざわざ『漆黒の針』を投入せずとも、ワシら戦士団が動けばいいのではないか?」


 そこで、詳細な計画は全てギルムンドに任せきりなフギンが、「表」の最強戦力である戦士団の団長として発言するが、「裏」の最強戦力を保持する元帥が首を横に振った。


「おぬしら戦士団が動くと目立ちすぎる。特に今は人族の目が森に注がれているのだ。ここで戦士団を投入して大規模な戦闘になれば、人族の王国の目には侵略行為に映るかもしれん」


「しかも、今は武具の購入代金の件で土地を代替通貨にするかどうかで交渉しておる最中だ。ここで領土的野心があるなどと勘ぐられたくはない。分かったな、フギン」


「おお、これは失礼をした。戦士団は王か元帥殿の命あって初めて斧を振るえるという大原則、もちろん忘れておりませんとも!」


 実際にはそんな大原則を無視して独断専行に走った例はいくつもあるのだが、そんなことは忘れたと言わんばかりにいけしゃあしゃあと言ってのけるフギン。

 それでも未だ戦士団長の座にいるのは、その罪を購って余りある武功をことごとく立て続けてきたからに過ぎず、このフギンの言葉にはガーノラッハもギルムンドも苦笑するしかなかった。


「だがギルムンド、実際の攻略は『漆黒の針』が担うにしても、結局は軍を投入するという話だったはずだ。それを人族に侵略だと思わせぬというのは、少々無理があるのではないか?」


「心配は要らぬフギン。その程度のことを考えていない元帥ではないぞ」


「ほほう」


 ガーノラッハの言葉に思わず身を乗り出すフギンに、ギルムンドが言った。


「今回の軍投入は侵略にあらず。これはワシらドワーフにとっての本分、開拓と掘削なのだ。あの森が急激な拡大を遂げた原因の一つは、ほぼ間違いなく土壌に含まれる魔力が比例して増大したことにあるだろう。ならば、その土壌のさらに奥深くに存在する岩盤には、良質な鉱脈が眠っている可能性が高い。しかも、つい先日人族の計画が頓挫しばかりで、あの森の所有権を表立って主張する者は誰もおらぬ。我らが王国があの森を手に入れる絶好の機会だとは思わんか?」


「まあ、実際には外交ルートを通じて猛烈な抗議が来ることは確実なのだがな」


 官僚にはまた重荷を負わせる、と苦笑交じりのガーノラッハだが、それこそがギルムンドの案に賛同した何よりの証だった。


「なるほど、機会を得て名分も立った。これでガラント殿も無事発見できれば、ガーノラッハ王国にとって万々歳の成果と言えましょうな」


「無論、お主ら戦士団の見せ場も考えてある。さすがに烏合の衆の亜人魔族どもでは物足りんだろうが、なんでもあの森は果てが見えぬほどの大木が数え切れぬほどあるらしいぞ」


「フハハハハ!!同じ斧でも振るう相手は大木か!鈍った体を鍛え直すにはちょうどいい相手だと良いのだがな!」


 大笑するフギンにつられて、ガーノラッハもギルムンドも重要な会議中であることも忘れて笑う。

 その顔には今回の計画が絶対に成功すると信じてやまない思いが前面に出ている。


 当然、過去に国境沿いで目撃された男のことなど、ちらりともよぎっていなかった。






 先遣隊であり事実上の主力である『漆黒の針』十小隊がガーノラッハ王国の国境を越えて数日後、本格的な軍の出撃準備も整った頃かと考えながら、ガーノラッハが朝の執務のために私室を出た直後のことだった。


 いつもは執務室で控えているか、謁見の予約を入れて正式に会いに来るかのどちらかの方法しか採ったことのない王国軍元帥ギルムンドが、私室前の廊下で跪いて待ち構えていた。


「どうしたギルムンド。このような非礼、お主らしくないな」


 ガーノラッハの侍従に止められそうになったギルムンドに声をかけてその非礼を許したガーノラッハだったが、元帥という最も規律に厳しくあらねばならない男の次の言葉はさらに衝撃的だった。


「王よ、どうかお人払いを」


「なんだと?」


 これにはさすがのガーノラッハも渋い顔にならざるを得ない。

 王の侍従とはギルムンドやフギンとはまた違った意味での側近であり、彼らを疑うということは王その人を疑っているに等しい。

 一瞬「差し出がましい」と叫びそうになったガーノラッハだったが、ギルムンドのこれまでの忠義と功績を思い出して、ようやくその言葉を飲みこんだ。


「……少しの間ギルムンドと話す。先に行って支度を整えておけ」


 ギルムンドも含めて誰もがその言葉に驚いたが、王命とあらば侍従も従わざるを得ない。

 王に深々と頭を下げた侍従たちはギルムンドに鋭い眼差しを向けながらも、無言でその場を後にした。


「……わかっておるだろうが、お主の言葉次第では元帥の任を今すぐにでも解く。その覚悟はできておるのだろうな?」


「無論です我が王よ。不興を買ったのならば、この場で首を落としていただいても構いませぬ」


「よう言った。ならばその緊急の用件とやらを申せ」


「はっ」


 そう言ったギルムンドは一度だけ深く息を吸って吐いた後、彼自身も今日の未明に知らされたばかりの急報をガーノラッハに告げた。


「昨日の時点で軍の移動が開始されたと報告いたしましたが、今現在も軍は駐屯地から一歩も動いておりませぬ」


「……なんだと?しかし、お主は昨日確かに出発したとそうワシに報告したではないか?」


「……ここと駐屯地が都市一つ分ほどの距離で離れている以上、その予定であったとしか申し開きができませぬ。実際に、ある物資以外の準備はすべて整い、いつでも出発できるとの報告を受け取っておりました」


「ある物資?それ一つが無ければ我が王国軍が動けぬと、そう申すのか?」


「はっ。我が軍だけではありませぬ。その物資があるとないとでは、まさに生死すら分けると言っても過言ではありませぬ。いえ、軍だけではなく、生きとし生けるもの全てにとって必要不可欠な物資です」


 ここまで言われても、ガーノラッハにはその物資の見当すらつかなかった。

 当然だ。誰がその物資が進軍前に不足すると考えるだろうか。それほどその物資はごく身近に、ごく当たり前に存在していたものだった。


「王よ、水が足りぬのです。軍だけではありませぬ、王国中で井戸という井戸が枯れ、水が出なくなっているのです」

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