第29話 そして朴人はハンモックに揺られる

 ここは、主である朴人の二つ名にちなんで「永眠の森」と名付けられた森の中央部、かつてリートノルドの街のあった場所。

 といっても、朴人の力と我がままによって当時の建物はほぼ完璧な形で残っており、道々に生えた木以外に変化を見出すことはできない。


 そして、ここ元リートノルドの街は周囲の森に暮らす亜人魔族が立ち入りを禁じられている場所でもある。

 その理由もまた、快適に眠るスペースを確保したいという朴人の我がまま以外の何物でもないものだった。


 その聖域ともいえる場所に複数の者が立っている。


 主である朴人と、その朴人から唯一出入りを許された眷属、フラン。


 朴人の前に滅び去ったリートノルド子爵の印章を持ち帰るために「永眠の森」に侵入したS級冒険者パーティ『銀閃』。


 そして、朴人とフランの手によって仲間を殺され、自らは虜囚となった『双頭の蛇』のラルフとサティに鉄鎖のガラントの三人。


 数日間に渡ったリートノルドの街をめぐる最後の対決が、今幕を開けようとしていた。






 そして朴人は言った。


「単刀直入に言いますね。『銀閃』のみなさん、私の配下になる気はありませんか?」


 あまりに直接的すぎる朴人の言い方に、『銀閃』の四人は言葉も出ない。

 だが、それは全く予想できなかった事態に対応できていないという種類のものではない。

 二人の魔族(?)の前に立つラルフ、サティ、ガラントの三人の同業者を見ればそれくらいの予想は付く。

 だから『銀閃』の四人、正確にはパーティの意思決定権を持つクルスは動揺しているわけではなく、あくまで目の前の冴えない男の意図を量っているだけだった。


 ――ただし、クルスたちでさえ踏み込むのがやっとの場所に、どう見ても普通にしか見えない男がこの場の支配者のように振舞っているアンバランスさに背筋が凍る思いをしながら、だが。


「……駄目ですね。とりあえず肝心な用件だけはと思って言ってみましたけど、こういう説得とか小難しいことはやっぱり性に合わないですね」


 そう言った朴人の視線の先がクルスから微妙にずれる。

 その視線を今背中に受けていること自体は当の本人、ガラントもまさかわかってはいないだろうが、朴人の言葉で察したのだろう、一瞬クルスの目からもわかるほどビクリと体を震わせてからゆっくりと喋り出した。


「……面識は無かったと思うが、『銀閃』の四人で間違いないか?」


「ええ、ガラントさん……いや、ドワーフ族は敬称をつけられるのを好まないんでしたっけ?」


「……今となってはどうでもいい。すでに今のワシは、ドワーフ族を名乗る資格も、戦士としての矜持も失ってしまったからな」


「それはどうして……って、聞くまでもないですかね?」


「クルスの想像通り、ワシは仲間を失った。戦う意思を失った。己の武具への信頼さえも失った。当然だ、長い年月をかけてワシが鍛え上げた鋼が、技が、戦士の誇りが、何一つボクト様には通じなかったのだからな。覚えておけ小僧、自然の脅威を駆逐するために人族や亜人が作り上げてきた技術や文明が、大自然のほんの気まぐれで滅ぶこともあるのだということを。悪いことは言わん、降伏しろ」


「……」


 クルスは何も言わない。


 ランディ、ミーシャ、マーティンの三人はあくまでリーダーの意志に従うつもりなのか同じく無言だ。


 そんな状況を見かねてか、それまで様子を見ていたフランが喋り出した。


「ボクト様、ボクト様。ひょっとしてガラントさんに何も説明してないんですか?」


「そういうのはフランの役目ですからね。どうせ眷属化もフランに任せるわけですし」


「それはそうですけど……いえ、ボクト様に期待した私がバカでした」


「そうですね、フランはバカですね。もう少し賢さを身に付けてください」


「んなっ……!?」


 ……なんだこの光景は。


 今、クルスの頭を支配していたのはそんな思いだった。

 冒険者ギルド屈指の手練れをいとも簡単に始末し、捕虜すら取っている恐ろしい魔族にはとても見えない。

 それどころか、主の朴人と眷属のフランとの間には何の遠慮も見られない。

 なにより、自分で言うのもなんだが、五体満足の状態のS級冒険者パーティ『銀閃』を目の前にしているというのに、まるで脅威にならないと言わんばかりに無駄話に興じている。


 これじゃまるで……


 普通なら、ここで自分の直感を否定してあくまで常識的な物差しで物事を見ようとするのだろう。

 実際、白鷲騎士団第十六小隊も、双頭の蛇も、鉄鎖のガラントもそうだったんだろうとクルスは推測する。

 だが目の前の現実はどうだ?ラルフ、サティ、ガラントの三人は囚われの身となり、(手枷一つ付けてはいないが、それが逆に圧倒的な実力差を思わせる)白鷲騎士団第十六小隊は姿さえ見せていない。


 己の直感か、それとも社会の常識か。


 その二択を迫られた時、クルスの答えはすでに決まったも同然だ。


「じゃあラルフさん、頑張って『銀閃』の皆さんを説得してくださいね」


「あーー、久しぶりだなクルス。と言ってもお前は覚えちゃいないと思うが、お前とは一度だけ話したことがあるんだ。その時のことが妙に印象に残っていてな、コイツはひょっとしたら……って、そんな話はどうでもいいか。とりあえずご主人様、フランチェスカ様から聞いた限りのことを話すぞ。……まず、降伏してもお前らの最低限の生活は保障される。魔族が人族を眷属化したって例もあるって聞いたことがあるからそこは心配しなくていい、と思う。で、フランチェスカ様が俺達を配下にしたい理由なんだが……」


「そこまでで十分ですよ、ラルフさん。それに、あなたとの会話はよく覚えてます。まだ駆け出しのころの俺に対等に接してくれた唯一の先輩冒険者でしたから」


 そこで一旦言葉を切り、一呼吸置いた後でクルスは告げた。


「降伏します。これからはラルフさん達と同じく、フランチェスカ様の配下として非才を尽くすことを誓います」






「あ、ボクト様、こんなところにいたんで……って、なにをしてるですか?」


「見てわかりませんか?ハンモックを吊ってるんですよ」


 そうフランが朴人に声をかけたのはその翌日のこと、元リートノルドの街を吹き抜ける風は心地よく、天候にも恵まれてまさに昼寝日和、といった感じそのものだった。

 そんな中央広場に面した一角、二本の木が並んだ辺りで紐を木の幹に縛り付けている朴人の姿があった。


「ハンモック?なんですかそれ?」


「こうやって木と木の間とかにそれぞれ紐を引っかけて、その間の網の部分に寝そべる簡易ベッドですよ。特にこういう天気のいい日には何とも言えない心地いい眠りにつけるんです」


「……いやいや、この前のボクト様が中央広場でごろ寝していた五十日、その間に雨、風、嵐、雷の全部を見事にスルーして起きなかった人が言うセリフじゃないですよ」


「フランこそわかっていませんね。確かに私はどんな時、どんな状況でも寝られる自信があります。しかし、それと快眠を追求する精神は全くの別物なんです」


「いえ、別物と言われても……」


「フランは私の眷属なんですから、私と同じ境地に至らずとも、せめて睡眠の質の違いくらいは理解できるようにならないと。そんなことでは私を優しく起こすコツを何時まで経っても掴めませんよ」


「じゃあ理解できるようにボクト様が教えてくれるんですか?」


「ところでフラン、何か私に用があったのではないですか?」


「教える気、というより、睡眠時間を削ってまで教えるつもりが無いんですね……わかりました、報告を始めます」


 だんだんと朴人の性格を理解し始めてきた(諦め始めたともいう)フランは小さくため息をつくと、一度姿勢を正してから報告を始めた。


「まずは改めて各地の戦果からですが……何してるんですか?」


「何って、ハンモックの耐久力を確かめてるんですよ。実際に寝てみないと、ちゃんと紐が固定されているか分かりませんから」


「……じゃあそれでいいですから、絶対にそのまま寝ないでくださいね。さすがの私も怒りますからね!まずは各地の戦果からです!」


 そう言って朴人の返事も待たずに報告を再開するフラン。

 朴人は答えずにハンモックに寝そべってゆらゆらと揺れている。


「まずは私が担当した『双頭の蛇』ですが、メンバーのうち獣人族、人族のそれぞれ二人ずつ、計四人が死亡。リーダーのラルフさんとサブリーダーのサティさんが捕虜になりました。


 次にボクト様が直々に担当されたガラントさんとそのお仲間さん達は、死者が三人です」


「三人?確か一人は……そうそう、森の外にふっ飛ばしたんでした」


「はい。昨日一日をかけて捜索したんですが、残念ながらその一人が見つかりませんでした。ガラントさんの話では生死は五分五分、従って今のところは行方不明としか言いようがないですね」


「まあ、元々誰かが全員を取り逃がしたところで特に責めるつもりはありませんでしたから、そこはどうでもいいですけどね」


「でも懸念が一つ残ったことだけは事実です。ボクト様も頭の片隅で覚えておいてくださいね。覚えておいてくださいね!」


「覚えておきますよ。覚えていられる間はね」


「……三つ目の『銀閃』の皆さんについては報告の必要すらありませんね。全員がリーダーのクルスさんの意志に従って降伏してくれました」


「……一応、フランの言う通りに全員に降伏を勧めてみましたが、そんなに被害が大きかったんですか?」


「……はい。総合的な死者はそこまででもないんですけど、接敵時間に対する被害が段違いに多かったのが『銀閃』と対峙した妖精族です。妖精族代表のシャラさんとファラさんの報告から続報が入るまでのわずかな間に、『銀閃』のゲリラ戦法によって主力が討たれ、壊滅的な被害が出ています」


「主軸がそこまでの被害を出したというのは他には聞かないですね」


「他にも、『銀閃』が道中で始末した魔物は例外なく短時間で絶命したとしか思えないという報告ばかりが上がってきています。これらをまとめて総合的に彼ら『銀閃』を判断すると……」


「他のパーティとは一線を画した、恐ろしく効率的に敵を葬っていく処刑人、って感じですね。これがS級冒険者パーティ、ですか」


「私も初めてこの目で見ましたけど、あの全員の地味な外見からはとても想像できない惨状です。はっきり言って、彼ら『銀閃』がなりふり構わずに抵抗していたら、森への被害はもちろんですけど私自身も無事で済んだかどうか自信はないです」


「ならなおのこと、フランの判断は正しかったということですね。お手柄でしたフラン。それで、『銀閃』がああもあっさり降伏してきた理由は訊いて来たんですよね?」


「もちろんです。……といっても、すぐには信じられない理由でしたけど……」


 ここで初めてフランが言い澱む。

 未だに弱い精霊だった頃の感覚が抜けていないフランでも、『銀閃』が述べた理由は予想外でしかなかったからだ。


「でも実際にその耳で聞いたのなら、ありのままを報告してください」


 しかし、朴人から直接こう言われては言うしかない。

 フランはそう決意して言った。


「そのですね、人族の間でのしがらみが嫌になったから、だそうです」


「なるほど、よくわかりますよ」


「はい、なんでも、王族やら冒険者ギルドの幹部やらと接するうちに普通の生活が送れなくなってきて困っていたところだったと……よくわかっちゃうんですか?」


「もちろんですよ。人族は数が多い分だけ生活が多様になり、結果わずらわしいことが多くなるものなのです。そこから抜け出したいという願望はよく理解できますよ」


「……いや、まあ、ボクト様がそれでいいならこれ以上説明する必要はないっていうか、説明する気力が失せたっていうか……クルスさんの話を聞いた限りでは確かに核心はついてると思うんですけど……」


 そこでちょっとだけ思い悩む仕草を見せたフランだったが、すぐに自分の役目を思い出して報告を再開する。


「最後に、この森の亜人魔族の皆さんで当たってもらった、白鷲騎士団第十六小隊ですが、結論から言えば、双方被害甚大という結果に終わりました」


「そうですか」


 もう少し何かないのですか、とはフランも聞かない。

 朴人の倫理観が、普通のそれとはかなり乖離していることは最初から分かっていたし、何より彼らはただの移住者。フランにとってもそこまで気に掛ける対象ではなかった。

 もっと言えば、つい昨日自分の眷属になった元冒険者たちの方が大事に思えるほどだ。


「朴人様に最初の報告をした時にもすでにかなりの被害が出ていたんですけど、敵を完全包囲した後の皆さんの怒りが相当なものだったようで、控えめに言って、双方戦術のかけらもない血みどろの戦いになったらしいんです。数ではこちらの方が圧倒していましたけど、さすがは戦闘に特化した騎士だったようで、特に最後の一人に全体の半分の損害を与えられたようです」


「まあいいんじゃないですか」


 凄惨と言えるフランの報告を聞いても、朴人は眉一つ動かさない。動かす意味すら持たない。


「森を破壊するという、愚かの極みの行動をとった騎士を全滅する目標は達成したのです。彼らに被害の代償で咎める必要もなければ恩賞を出す必要もないでしょう」


「そうですね。私も、イーニャさん達を今回のことで眷属化する必要性は感じません。ボクト様の今回の望み、この元リートノルドの街の管理を任せる人員は最低限確保できましたから」


「このまま清掃や手入れをしなければ、人族の街は朽ちていく一方ですからね。勝手知ったる人族と、作業にうってつけのドワーフ族を確保できたので言うことなしです」


「報告は以上です。何か質問は……はいそうですよね。疑問の有無を考える時間があれば睡眠に使いますよね……」


 そういうフランが見ているのは、ハンモックに寝そべる良いポジションを見つけたらしく、本格的に横になり始めた朴人の姿。


「そうそうフラン、最後に一つ命令があります。今回フランの眷属になった人族の何人かに命じて、人族の社会の諸々を纏めて、次に私が目覚めた時に報告できるように準備しておいてください」


「人族の、ですか?そんなもの、別にわざわざ勉強しなくても……」


「生まれてすぐに一万年の間ずっと寝ていましたから、この世界のことについては疎いんですよ」


「あはは、一万年って、つくならもう少しましな嘘を……冗談ですよね?」


「信じるも信じないもフランの自由ですよ。私が魔王かどうかも含めてね」


「いえ、そこは一応断言してください!そういう曖昧なことばっかり言われると、私の眷属への説明が……って、ボクト様聞いてるんですか!?」


 フランの言葉に朴人は耳を貸さない。貸せばその分だけ睡眠時間が削られるからだ。

 そして、フランのセリフが終わる頃には、すでに朴人の意識はゆらりゆらりとハンモックのように揺られながら現実の外へと抜け出ていた。

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