第22話

 駅から先輩の家と俺の家は反対方向で、今は先輩の家と駅の間にある公園のベンチに2人腰掛けている。

 渥美と一緒に話した公園とは別の公園だが、この公園も俺たち5人がよく遊んだ公園である。名前までは知らない。


「少し話があるんだ」


 呟くように、先輩は言う。


「まず、今日はありがとね。楽しかった」

「いえ、俺の方こそ、楽しかったです。あとデートのマナーとか教えていただいてありがとうございます」

「まだまだ女の子の扱いが慣れてない所とか可愛かったよ」


 可愛いか。

 先輩からするとそう見えるんだろうな。

 正直女子と話すことなんて、家族を抜きに考えると、渥美くらいなものだ。慣れてないに決まってる。

 でも男としてはかっこいいって言われたい。


「それでね、ここからが本題」


 俺は話を聴く体勢を整える。

 何の話だろうか。

 もしかして告白?

 告白されたら、ど、どうしよう。

 しっかりと考えよう。

 そんな話なわけ無いのに、俺は舞い上がっていた。

 そして先輩は口を開く。


「話って言うのはね、私の先輩で、彼氏だった、君のお兄さん、及川優の話」


 俺は一気に体温が下がっていく感じがした。

 体温は下がっているはずなのに、背中や額から冷や汗が出てくる。

 悠や渥美なら、兄貴の話題が出ることもしばしばあるので、耐性ができている。

 淳二も兄貴の話をするだろうと、身構えていたから、兄貴の話題が出てきた時に対応できた。

 まさか、中村先輩から兄貴の話が出てくるとは思いもしていなかった。

 油断していた。

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 気持ち悪い。

 こんな所には居られない。

 どうにかなってしまう。

 だから。

 俺はそのまま腰を上げた。

 足は力が入らなかったが、無理やり歩き出そうとした。

 しかし左手が掴まれた。


「だめ! 帰らないで! 今の君に聴いて欲しい話なの!」


 先輩の腕を掴む力は弱かった。

 振り解こうと思えば、振り解けた。

 でも、しなかった。

 できなかった。

 仕方なく、もう一度ベンチに腰掛ける。


「聴いてくれる気になってくれてありがとう」


 聴く気にはなった。

“今の君に聞いて欲しい”

 そこまで言うのだ。

 聴かなければいけない。

 でも正直に言うのは恥ずかしかったから、余裕の無い頭で理由を探す。


「……先輩の、荷物持ちが、まだ、終わって、無かったんで」

「その理由でも良いよ。だからお願い、最後まで聴いて」

「わかり、ました」


 余裕が無い。

 怖い。

 吐き気がする。


「ありがとう。じゃあまず、私と優は付き合ってたんだ。そんな素振り見たこと無いだろうけどね。学校でも家でも徹底的に隠したから。でも土日とかよく遊んでたんだよ」


 確かに兄貴は土日に出掛けることが多かった。


「エーオンモールに、映画、ボウリングに、それこそ水族館は1番行った。色んな話もした。その中で優が1番話してたことって何だと思う?」


 いきなり質問されてもわからないし、答えられる余裕も無かった。

 それだけ衝撃だった。

 兄貴に彼女が居たという事実より、この人が兄貴と関わりがあったことや、兄貴のことを話すことが。


「無視は酷いな〜。まぁいいや。正解はね、優も含めた、君達5人のお話だった」


 俺達5人の話? なんで……


「特に信くんの話はよくしてたよ。あいつは凄い、天才だー! って。兄バカか! ってくらい褒めてた」


 天才? 俺が?

 そんなわけ無い。兄貴の方が勉強も、運動も凄かった。幅跳びだって、競技を初めてからは1度も勝てたことが無い。


「中学の時の私ね、優を虜にする信って子に嫉妬してたんだ。男の子に嫉妬するなんて、初めてだったよ」


 先輩が俺に嫉妬? さっきから何を言っているんだ?


「それで、及川くんが入学してきた時、どんな子か見てやろうって思ったの。好きな人を虜にする子はどんな人なのかってね。


 一目見た瞬間、周りとは違うって思った。


 周りとは目が違った。


 優と似てる。でも違った。


 こんな目をした子が居るんだって思った。

 この時ばかりは及川くんが男の子で良かったって思ったよ。

 この話を優にしたんだ。「雰囲気とか目が違った。本当に天才かもね。優も負けるかもね」って。そしたらね、「そうだろ! 俺の弟は凄いだろ! でも俺は負けねぇ! 俺は兄貴だからな!」って。笑っちゃうくらい無邪気に話してた」


 笑いながら、何処か遠くを見ながら、何かを思い出すように話す先輩。

 少し目が潤んでいるようにも見えた。


「そのまま私は中学を卒業した。そして私が高校1年生の時、優は相談してきた。


『俺、このままだと、信に負けそうなんだ……』


 初めての弱音だった。

 こんな優は見たこと無かった」


 兄貴が俺に負ける? そんなわけ無い。

 兄貴はいつも俺の目標で……


「凄い弱ってた。追われるのは怖いって。後ろからは追ってくるのに、前に誰も走ってないから目標が無い。暗闇を走っている感じがするんだって」


 俺はいつも追う側だった。

 遠い、見えもしない、少し見えたと思っても、直ぐに離れていく、兄貴、及川優という背中を追いかける。


「私もバスケ部で、エースだったから、少し気持ちはわかったけど、優は思い詰めてた。

 私はできる限り励ました。でもその日だけは全然テンションが戻らなくて。このままだと陸上まで辞めそうだった」


 兄貴が陸上を辞める?

 そこまで思い詰めていたこともあったのか?


「だから逆転の発想。負ける自分を否定するんじゃなくて、受け入れたら? って。そしたら優の顔は心持ちスッキリしてた」


 もしかして……


「次会った時、優は何とも無いような顔をしてた。そして話を聞いたら、弟に「俺はいつか負ける! でもその時まで抗う! って宣言してきた!」って。私思わず笑っちゃって」


 やっぱり、あの言葉だった。


「でも、その後すぐ、優は……


 死んじゃった」


 …………


「私は沢山泣いた。これでもかってくらい泣いた。

 その時の私は色んなことが重なってて、唯一の支えだった人に、あの世に旅立たれて、もう無茶苦茶だった。

 今思うと病んでたし、死のうと思ったことも何度もあった」


 自殺……


「でもそんな日々の中で、ある人に支えられて、今も何とか生きてる」


 支え……


「及川くんも、もしかしたら自殺を考えたことあるかもしれない。でも今はまだ生きてる」


 生きてる……


「色々な人に支えてもらって何とか生きてるのかもしれないけど、生きているのは及川くん、君の意志だ」


 俺の……意志……


「だからそんな及川くんに、この言葉を。





























 生きていてくれて、ありがとう」




























 だめだ……


「生きているだけで凄いことなんだよ。

 生きていなかったらこの話も、この励ましもできていない。

 墓まで持って行ってた。

 私と優の秘密として。

 弱い優は及川くんに秘密にして」


 こんなのだめだ……


「でも及川くん、君は生きてる。

 まだ生きてる“だけ”かもしれないけど。

 ただ、生きてる“だけ”でも、これからの未来は変えられる。

 だから、もう一度、この言葉を。


 生きていてくれて、ありがとう」


 もう涙は堪えられなかった。

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