二章第10話
青空をバックに風になびく白い布。小型コロッセオの壁から突き出た棒の先に括られた布を私は見据えて立っていた。小型コロッセオの外壁をぐるりと囲んだ物見台の上には私以外の皆が上から覗いている顔が見える。
「それでは制限時間は五分! よーい、始めぃ!!」
金色の懐中時計を手にしたダンテの張り上げた大きな声が響き渡ると私は布へ向かって駆け出した。
「今日は取らせないよ、兄さん!」
セバスチャンの威勢の良い声と共に強烈な風の渦が私の体の進みを阻む。
「くっ!」
強い風と表現するのは生温い程強く、息をするのさえ困難な風に腕で顔を庇いながら私も風の精霊フゥちゃんを呼び出すと、セバスチャンの作り出した風とは逆回転の風をぶつけた。強い風鳴りと共に放射状に風が広がり、抵抗が薄れた隙に再び真っ直ぐ布を目指す。
「おっと! そうは行くか!」
数歩も進まぬうちにジャックの声が耳に届き、同時に少し先の地面に生じた違和感に咄嗟に体が反応する。
地面から撃ち出された3つの土飛礫は私の体に届く前に、地面から突き出た土の手に抱き込まれるように叩き落とされる。
「前ばっか気にしてると危ないぜ!」
ジャックの言葉に後ろを反射的に振り返ると火の精霊が浮かび、首を振りながら炎の帯を吐きだした。
緩い攻撃だが火を避ける為に数歩後退しながら、私は少年たちの次の一手は何なのか思考を巡らせる。年相応の男の子たちらしい力押しが多い2人だが、今日は少し違う気がする。
そんな事を考えていると足元が急に頼りない感覚に襲われ、私は慌てて下へ目を向けた。
泥濘に変わっている地面。ズブズブと足首まで私の足が地面に沈んでいる。
「やった!」
「泥沼足止め作戦だぜ!」
上半身をコロッセオの縁から前に出し、私の様子を確認したセバスチャンとジャックは喜びのハイタッチをしている。
水の精霊と土の精霊の力を上手く融合させ、表面だけ固さを残し田んぼのぬかるみよりも重い泥沼へと変化させたのだろう。先週までそれぞれ精霊を直接ぶつけて来ていたのにこんなトラップ仕掛けてくるなんて!
(へぇ!)
感心している間にも私の足がゆっくり泥濘に沈んでいく。上に上がろうともがいてみるが重すぎる泥濘に足が動かずもがけばもがくだけ沈む速度が進んでいく。
「そしてぇ~!」
更にジャックは両手を前に付き出した。彼の前に現れた土の精霊がくるりと1回転すると私の周りに土の壁が瞬時に立ち、私を取り囲んだ土の壁が襲い掛かる。
「っな!」
乾いた硬い土の壁が私に巻き付くように包み込み、そして押さえ込まれ更に腰まで泥濘に押し込まれ私は今や大きな土の団子に頭だけ出ている状態だ。
「やっり〜! 時間までそのままでいてもらうぜ、フェリックス!」
「今日は僕たちの勝ちだよ!」
ヒャッホー! と時間はまだ残っているのに勝利を確信し喜び合う二人に私は苦笑が漏れた。可愛いなぁ、と思うと同時にさてこの状況をどう脱出するか、と考えを巡らせる。
(内側から土の精霊の力でこの土団子を壊す? でもジャックの土の精霊と私のダイちゃんは大体同じくらいの強さだから時間がかかるだろうし、壊せるか微妙だなぁ。それよりは……やれるかな。試してみよう)
「! ジャック!」
真っ先に私の変化に気づいたのはセバスチャンだった。
今、私の体の表面を二重の膜が包んでいる。風の対流膜を包み込む清流の膜。そして、私周りの土に水の精霊の力でどんどん水分を加えて泥水に変えていく。そしてー
「あっ!」
ードプン
水より質量の重い液体が耳元で大きく動く独特の音を感じ取りながら、私は状況を確認する。清い風と綺麗な水の膜のお陰で酸素の確保と泥水が体に纏わり付く心配は無くなったが、視界はゼロである。目の前真っ暗。しかもやはり動きが鈍い。精霊の力で水分量を増やしてはいるが真水の中で動くのもそれなりの負荷があるというのに、泥水なら更に筋力を要する。
(そう長くは動けなさそうだなぁ……)
両手両足を動かし、とりあえず進む。進む先は白布の真下。目指す方向はダイちゃんが道案内してくれる。体を必死に動かすがあまり進み具合が良いとは言えない。なかなか疲れるし。
(……ダメだ。疲れる! 上がろう)
早々に諦めた私は進行方向を真上に切り替える。少しばかり、勢いを付けて。
私は自分の体を出来るだけ小さく丸くなるように縮め、フゥちゃんの力を借りて気分は大砲の玉のように上へと押し上げられる。重たいものが私の体を阻む感覚と、それを後ろから強い力で押し上げる感覚を全身で受けながら大量の泥水の飛沫と共に外へと飛び出した。
「わっ!?」
(あ! そうか。土の中でもこの方法で推進力つければ良かったんじゃない? うわぁ〜バッカだなー私)
誰かの驚く叫び声を聞きながら、私の思考は冷静に自分の考えの回らなさを反省する。それも数秒の事で、すぐに私は軽くなった体を広げて空を見上げた。
目の前には青空にたなびく白い布。
風の力で宙を飛ぶ体は徐々に減速し、緩やかに下降しながら伸ばした手は布の端に触れた。
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