第11話

 アタシが昨日いっしょに検査して知った凛の妊娠を、どうしてメイが知っているのか、アタシにはわからなかった。


「麻衣や凛のことは何でも知ってるよ」


 困惑するアタシに、メイはちっとも答えにならない言葉をつむいだ。


「麻衣にはさ、これから凛の中絶費用を集めてもらおうと思うんだ」


 それが、アタシにもう一度ウリをさせるためにメイが用意した理由だった。


「今日のお客さん、もう見付けてあるから、後で待ち合わせ場所とお客さんの特徴言うね」


 だけど、凛は産む気でいる。

 アタシは凛がそう決めたなら、それが一番いいことだと思っていた。


 だからアタシはもうウリなんてしない。


「もしかして、あんた産ませる気じゃないよね?」


 アタシの表情から何かを悟ったのか、メイは言った。


「近親相姦で産まれる子が幸せになれると思ってるの?」


 メイは凛が妊娠しているということだけじゃなく、赤ちゃんの父親がツムギだということも知っていたことに、アタシは驚きを隠せなかった。


 たったふたりだけの秘密だった。


 凛がアタシ以外の誰かにそんな話をするはずがなかった。


「だから麻衣や凛のことは何でも知ってるんだってば。そんな不思議そうな顔しないでよ。友達でしょ? あたしたち」


 友達なんかじゃない、とアタシは思った。


「友達だよ」


 メイはアタシの心を見透かしたように言った。


「麻衣さ、ひょっとして、近親相姦がどうしていけないことだって言われてるか知らないんだよね?」


 そう尋ねられて、アタシは確か法律では、四親等以上離れていないと結婚できないと、いつだったか社会科の授業で習ったことを思い出した。


 叔父さんや叔母さん、甥っ子や姪っ子とは結婚できないけれど、従兄弟とは結婚できる、と。


 その理由まではアタシの少し足りない頭の中には入ってなかった。


「兄妹とかでこどもなんて作っちゃうとね、血が濃くなるの。そんなことしてもろくなことがないんだよ」


 メイは言った。

 近親相姦で産まれるこどもは精神的な疾患を持っていたり病弱であったり奇形であることが多いのだと。

 五体満足で産まれる可能性がフツーより何倍も低くなるのだと。


「ときどきものすごい天才が生まれたりもするんだけどね」


 メイはそう付け加えた。


「あんたさ、凛がそういう子を産むようなことになったら責任とれるの?

 凛が思い詰めて赤ちゃん殺したり、自殺しちゃったりしたら責任とれるわけ?

 堕ろさせるしかないんだよ」


 と、メイは言った。


 メイはすごく頭がいい子だった。


 試験はいつもトップクラスで、一学期にはアタシや美嘉や凛によく勉強を教えてくれたりもした。


 メイはいつも論理的に、事例までいくつも挙げて、中の中の成績の、あんまり頭のよくないアタシにもよくわかるように話した。


 こんな風に美嘉もいいくるめられたのだろうか、とアタシは思った。


「いくらかかるの?」


 そう尋ねながら思った。


 ツムギが凛の妊娠を知ったら、きっとツムギも産んでほしいと言うだろう。

 けれど生まれてきたこどもはいつか自分が近親相姦によって生まれた子だと知って、たぶん凛やツムギを憎む。絶望する。


 凛は赤ちゃんを産んじゃなかった。

 不幸を産み落とそうとしていた。


 止めなくちゃ、とアタシは思った。


 凛を止めてあげられるのは、きっとアタシだけだと思った。


「妊娠から9週6日までが、11万5500円、

 10週0日~11週6日までが、12万6000円、

 12週0日~22週0日までが、44万1000円」


 メイはアタシの質問に何も見ずにそう答えた。


 アタシがいくらかかるのか尋ねることくらい想定内のことだったのだろう。


 計画は、メイの頭の中に浮かんだときからずっと、彼女の思惑通りに進んでいるのだ。


「中絶はね、1日がかりでするか、2日かけてするか選ぶことになるわ」


 メイはそう言って、


「1日コースは朝九時に前処置を行い、同日の昼3時頃に中絶手術を行います」


 まるで何年か前の万博で見た、女の人の形をしたガイドロボットのように言った。


「2日コースは1日目の夕方に前処置を行い、次の日の昼1時頃に中絶手術を行います。

 尚、土曜日は別途料金が発生致します。プラ2万1000円になります。

 料金はすべて前納金にてお願いいたします。

 クレジットカードもご利用になれます」




 ウリを再開することになって、はじめてのお客さんとの待ち合わせ場所は駅前のマクドナルドで、アタシがアイスティーを頼んで席についたとき、天気予報は今日は一日晴れだと言っていたのに、ちょうど外はスコールのような激しい雨が降り始めたところだった。


 アタシがガムシロップをもらい忘れたことに気付いたときには、店内には傘を持っておらず雨宿りのためにやってきた人が溢れて、長い行列を作っていた。


 アタシの舌はまだこどもで、アタシはアイスティーにガムシロップを入れないと飲めない女の子だった。


 アタシには長い行列に横入りしてガムシロップをもらう勇気はなかった。


 あの列にもう一度並ぶのかと思うとため息が出た。


 立ち上がろうとすると、


「もしかしてガムシロ?」


 と、隣の席にいた、横浜では有名な中高一貫の男子校の制服を着た男の子に声をかけられた。


 半袖の白いシャツの下に「シュガーレス」っていうブランドのTシャツが見えた。


 白いシャツには校章入りの名札がついていて、水島十和と書かれていた。


 とわ、と読むんだろうかとアタシは思った。


 手足の長い、背の高い男の子だった。


「違ってたらごめん」


 と彼は言った。


 落ち着いた話し方をする男の子だった。


 ひとつかふたつ、年上に見えた。


「ううん、違わない」


 アタシがそう言うと、アイスコーヒーを飲んでいた彼は、


「俺使わないから」


 そう言って、アタシにガムシロップをくれた。


「あ、ありがとう」


 ついでだから、とフレッシュもくれた。


「ミルクティーにしたら」


 と言った。


「う、うん。ありがとう」


 彼の、ピアニストのように細く長い指をした、白い手からガムシロップとフレッシュを受けとると、アタシは彼に言われた通りにアイスティーをミルクティーにした。


 本当は、いつもならガムシロップはふたつ入れるところだけれど……。


 そんなことを考えていると彼の手が魔法のようにもう一個ガムシロップをアタシに差し出した。


「使わないからいつも残るんだけど、捨てるのもったいないからためてるんだ。

 俺、貧乏くさいかな」


 と、笑いながら彼は言って、アタシはありがたくそれももらうことにした。


「持ってると役に立つこともあるもんだね」


 ガムシロップがふたつ入ったミルクティーは、やっとアタシ好みの味になった。


「もう一個だけ聞いていい?」


 彼は隣の席から、トレイを持ってアタシの席に移動しながら言った。


 彼はそう言いながら当たり前のようにアタシと向かい合わせに椅子に座ると、


「もしかして、客待ち?」


 小さな声でそう聞いた。


 アタシが驚いた顔をすると、


「俺もなんだ」


 と彼は囁くように言った。


 そう言った彼の目を縁取る長い睫毛が頬に影を落としていた。


 とてもきれいな顔をした男の子だった。


 アタシにはホストにハマる女の子の気持ちはわからないけれど、こんなかっこいい人ならお金を出してもデートしてもらいたいと思う女の子もいるかもしれないなとアタシは思った。


「どうしてわかったの?」


 アタシがそう尋ねると、


「ウリやってる子は顔見ればわかるよ」


 と言われてしまった。


 アタシはてっきり自分は、雨が降り出す前に行列ができる前のマクドナルドでアイスティーを頼むことができた少し幸運な女の子にしか見えないと思っていた。


「でも君はお金がほしくてやってる子とは少し違う気がする。目が違うっていうか。

 あんまり立ち入って聞くつもりもないんだけどさ。君には向いてないと思うよ」


 と、彼はいつだったかはじめてアタシを買ったお客さんと同じことをアタシに言った。


「好きでしてるんじゃないから」


 とだけ、アタシはストローでアイスティーをかきまぜながら答えた。


 彼は何も答えなかった。


 返事を待ちながら、アタシはアイスティーをかきまぜつづけた。


「十和くんですか?」


 彼からの返事の代わりに別の声がアタシの耳に届いた。


 アタシは、あぁお客さんが来ちゃったんだと思った。


 もっと彼と話したいと考えている自分に驚いて顔を上げると、そこにはもっと驚くような顔があった。


 テレビでいつも見ている歌手なのか俳優なのかいまいちよくわからないタレントがそこにいたからだった。


 帽子とサングラスで変装しているつもりらしかったけれど、芸能人がかもしだすオーラっていうか、そういうのが隠しきれていなかった。


 その人は男の人で、やっぱり「とわ」と読むらしい彼も、「そうです」と答えて、彼が女の人じゃなくて男の人に体を売っていると知って、アタシはなぜだか少しだけ裏切られたような気持ちになった。



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