第10話 本能寺の変当日:仲間たちはどこに行く
家光秀と別れ、私とオババは亀山城に急いだ。
途中、京都方面から煙が登るのが見えた。
「オババ、あれを」
「ああ、本能寺だな」
「燃えている」
「ああ」
言葉を失ったまま、黒々と空に伸びる煙をみた。
オババも言葉少なだ。
「急ごう」
私たちは亀山城下の古川九兵衛の屋敷に走った。
屋敷に到着するとトミが微笑みながら出てきて、顔色を変えた。
「どうしたんや。その顔、怖いぇ」
よほど切羽詰まった顔をしているのだろう。オババを見ると、髪は乱れ、着物は泥にまみれたひどい姿だった。そうか、愛宕山を駆け下りて、それから、休みなくここまで歩いてきたんだ。私もひどい格好にちがいない。
「九兵衛は出立したのか」
「ああ、一昨日、こちらに立ち寄って亀山城に戻ったんやがな。昨日の昼頃かな、斎藤利三殿とともに出陣された」
「斎藤利三……。そうか」
九兵衛、今頃、本能寺の現場か。
「トミ、言ったように準備してくれたか」
「金になりそうなものを金子にして旅装の準備か。ああ、揃えた。九兵衛殿に聞いたんや。ほなな、九兵衛殿からもアメに従えと。それから、伝言を頼まれたえ」
「なんと?」
「楽しかったぞ、だとさ。まるで死に向かうみたいやわ。縁起でもない」
「そうか。時間がない。テンは」
「ここだ」
いつの間にか、テンが赤子を背に立っていた。ふくよかになっても動きは昔と同じでキレがいい。
「行けるのか」
「京都方面から煙が上がっている。あのせいか」
「ああ、そうだ」
「九兵衛殿に」と、テンの顔がゆがんだ。「説得された。連れていってもらえなかった」
表情のなかった殺人鬼のようなテンが、こんなふうに内心をあらわにするようになったとは。九兵衛と幸せだったんだろうな。
私は悲しかった。が、これも選んだ運命だから、仕方ない。
昔の足軽仲間で明智側に残っているのは、この二人だけ、あとは織田家中の庶民として生きているから、明智とは関係なく問題はないだろうけど。いや、一番問題なのは、テンの息子だ。背負われて泣いてる赤児だ。
古川九兵衛は後世に明智三羽鴉の一人として史実に残る武将。その直系男子は、まず殺されるだろう。
「よし、出発しよう」
「どこへや」と、トミが聞いた。
「大阪、枚方」
「ええが、お前たち、少し休め。ひどい顔だし、その姿だ。せめて、なにか食べてから」
「いや、急ぎたい」
「そこに何があるんや」
「徳川家康がいて」
「徳川? なんやそれ」と、トミが怪訝な顔をしている。
まだ、松平だった? いや、家康が徳川姓にかえたのは1566年で、16年も前だ。単にトミの立場じゃ、知らないってだけかも。
「私を信じて欲しい。この時代を生き延び、その子を育てたければ、徳川家康のもとで暮らすのが一番なんだ」
「そか」と、トミがうなづいた。
「九兵衛殿は追っかけて来れるだろうか」と、テンが希望にすがるように呟いた。
「九兵衛か」
その時、京都方面から、カクゥクウゥと鳴く鳥の集団が西に向かった飛び去った。火の手に逃げたのだろう。
「ところでな、アメ。こっから、枚方まで、どのくらい時間がかかり、そして、いつまでにつかにゃあならん」と、オババ。
「家康を捕まえるつもりなんだろう?」
「それは」
家康は信長につけられた案内役であり監視者でもある長谷川秀一とともにいて、明智光秀の謀反をまだ知らない。
のんびりと京都へ向かっているはずだ。史実によれば大阪府の枚方近辺で知らせを受けたらしい。
この時、家康の側には徳川四天王と呼ばれた酒井忠次、榊原康政、本多忠勝、井伊直政などを含む34人の随行者がいた。
明智の軍勢1万3000に比べれば、微々たる人数。
彼は危険を察知して、右往左往するはずだ。
6月2日。
午後遅くに家康に異変を伝えた者がいる。
その後、彼らは有名な『神君伊賀超え』を行い、岡崎城まで戻る。その道中は非常に危険であり、家康最大の危機でもあった。一揆勢や伊賀忍者に狙われる危険がある道を避けるため、崖登りなど、危険な登山道を戻った。もう、ロッククライミングのような道もあったらしい。
私はテンを見た。
赤子を背負って行けるのだろうか?
「どうした、アメ」
「いや、徳川につくのが最良の策だけど、でも、道中がね、赤ちゃんつきで大丈夫かなと思って。戦闘もあるし」
「その前に」と、オババが言った。
「アメほどの天然方向音痴が、枚方まで今日中に到着できるのか」
あ、そっち。そっちもあった。
いや、むしろそっちの方が難しい。
(つづく)
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