685話 過剰治療のサリエ

「今日は我がハイルディン侯爵家のパーティによく来てくれた。今宵は存分に楽しんでくれ。……乾杯!」


「「「乾杯!」」」


 貴族のパーティが開かれている。

 ハイブリッジ騎士爵家からは、第七夫人のサリエと第八夫人のリーゼロッテが出席している。

 食いしん坊のリーゼロッテは食事に夢中だ。

 一方のサリエは、貴族たちと交流するタイミングを伺っている。


「おお、サリエ=ハルク嬢ではないか」


「難病により長期間、療養されていたとか。お元気になられたようで、安心いたしましたわ」


「まあ、お気遣いいただき、ありがとうございます。皆さんのおかげで、こうして元気になりましたわ」


 とある貴族夫妻に声を掛けられ、サリエがそう返答する。

 侯爵家令嬢のリリーナには侮られてしまったが、別にサリエの貴族界における評判は悪くない。

 病に伏せる前には何度か社交の場に顔を出していた。

 当時はまだ幼かったものの、将来性を感じさせる美貌や確かな教養、しっかりとした貴族意識などには、一目置いている貴族も少なくなかった。


「しかし、しばらく見ないうちにずいぶんと大人びたな。ついつい目が奪われてしまったよ」


「ええ。まるで女神のように美しいです。その美しさは、まさに芸術品ですね」


「そんなことありませんわ。私は、まだまだ未熟ですもの」


 サリエが謙遜するように言う。

 彼女は難病により長期間伏せっていたこともあり、その肌は日焼けしていない。

 そのため、透き通るように白く見える。


「ですが、1つだけ訂正していただいてもよろしいでしょうか?」


「何かな?」


「私の名前はサリエ=ハルクではありません。ハイブリッジ騎士爵家に嫁ぎましたので……」


「おお、そうであったな。これは失敬した。サリエ=ハイブリッジ殿」


 貴族の男が訂正する。


「噂の新貴族に嫁がれましたのね。やはり、とても素敵な方なのでしょう?」


「はい。自慢の夫であります」


「そうか。それは、めでたいことだ。だが、その夫が羨ましい。こんなにも美しく成長した君を独占できるなんて……」


「ええ。本当に……。私たちの息子と結婚してほしかったぐらいですね」


「お言葉はありがたく受け取っておきます。ですが、私は既に嫁いだ身ですので……」


 サリエが苦笑しながら言う。

 この貴族夫妻の発言は、半分は社交辞令だが、半分は本音だった。

 それほど、今のサリエの容貌は美しいのだ。

 そうして話を弾ませる彼女たちの前に、ある人物が姿を現す。


「こんにちは、皆様。楽しまれていますか?」


「これはこれは、リリーナ=ハイルディン嬢。お久しぶりですな」


「お目に掛かれて光栄でございます」


 貴族夫妻が頭を下げる。

 そこに現れたのは、このパーティの主催であるハイルディン家の令嬢、リリーナだった。

 ずいぶんと気合いの入ったドレスを着ており、その姿はとても美しい。

 パーティ前にはサリエに嫌味を言った勝ち気で高飛車な少女ではあるが、その外見は整っており、社交界でもなかなか人気の高い美少女なのだ。

 だが、そんな彼女にサリエは違和感を覚えた。


(あれ……? リリーナ様は、もっと露出の多い服装を好まれていたような……?)


 以前の彼女なら、もう少し肌を見せるような格好をしているはずだ。

 しかし、今日の彼女の服は、どちらかと言えば露出の少ないものだった。

 特に胸については、すっぽりと覆ってしまっている。

 貞淑で控えめな女性が好みそうな服だ。

 彼女らしくない。

 サリエはそんなことを思った。


「リリーナ様。お綺麗ですね。特にそのドレス、とても素晴らしいです」


「あら、ありがとうございます。あなたも似合っていますよ、サリエさん。さすがは新貴族の妻となる女性。とてもよく似合っていて素敵ですわ」


 リリーナは高飛車な少女だが、他の貴族もいるこの場で嫌味を言うほど愚かでもなかった。

 貴族夫妻やサリエから褒め言葉をもらって、少し機嫌を良くしたというのもあるだろう。


「ところで、リリーナ様のドレスのお好みが変わったのですか? 以前はもっと大胆に肌を露出させたものを着られていたと思いますが……」


「……っ!」


 サリエの言葉に、リリーナが固まる。


「あっ」


「それは……」


「え?」


 貴族夫妻の気まずげな声を聞いて、サリエが首を傾げる。

 何やら失言だったらしい。

 上機嫌だったリリーナの表情がどんどん暗くなっていく。


「あ、あの……?」


「ごめんなさい。皆様。ちょっと気分が悪くなってきたので、席を外しますわ」


「あ、リリーナ様!?」


 そのままリリーナは会場を出て行ってしまう。

 サリエは慌ててその後を追う。

 そして、着替え用の控室に入った。


「リリーナ様。どうされたんですか?」


「……」


 サリエが問いかけるが、リリーナは無言のまま俯くだけだ。

 やがて、彼女はぽつりと呟いた。


「ねえ、サリエさん。あなた、仕返しのつもり?」


「え?」


「どうせ、前からいけ好かないと思っていた女が落ちぶれて、ざまあみろと思っているんでしょ。だから、他の人の前でわざわざ話題に出して、わたくしに恥をかかそうと……」


「違います! そんなこと思いません! むしろ、何のことかすら……」


 サリエは必死になって否定する。


「ああ……。サリエさんは、わたくしのことなんて眼中になかったのね。だから、何も知らないと……」


「だから、何のことですか?」


 サリエは困惑していた。

 リリーナが何のことを言っているのか、本当に分からないのだ。


「もういいわ。これを見なさい」


 リリーナはそう言って、上半身のドレスを脱ぐ。

 その下からは、白いブラジャーに包まれた豊かな胸が現れた。

 しかし、その谷間の部分には大きな傷跡がある。


「これは……」


「少し前、魔物に襲われて負った怪我の跡よ」


「……」


「これのせいで、わたくしは結婚相手を探すのに苦労しているの。貴族としての評判はガタ落ちだし、この容姿では男性の方も敬遠してしまう……。娘がこんな傷物になってしまったのよ。お父様にも恥をかかせてしまったわ」


「そんな……」


 サリエはショックを受けていた。

 リリーナがそんなことになっていたなんて、知らなかったからだ。


「……まあ、あなたには関係ないわよね。イライラして、つい嫌味も言ってしまったわ。ごめんなさいね。わたくしは社交の場から消えるから、もう会うこともないでしょう」


「ポ、ポーションは使わないのですか? もしくは、高位の治療魔法士に依頼するか……」


 サリエがおずおずと言う。


「もちろん、お父様が大金を払って高名な治療魔法士にお願いしてくれたわ」


 リリーナは苦笑した。


「だけど、駄目だったの。傷口が大きすぎるって……」


「そ、そうですか……」


 サリエが沈黙する。

 侯爵家のツテで用意した治療魔法士ですら、傷跡をなくすことができなかった。


 自分も治療魔法は使える。

 その腕に自信はあるが、ここで自分が出る幕はあるのだろうか。

 リリーナに無用な希望を抱かせることにはならないか。

 彼女は少し迷ったが、意を決して口を開いた。


「リリーナ様。私がハイブリッジ騎士爵家に嫁いだことは知っておられましたよね?」


「ええ、そうね……。さっきは『第七夫人なんて』と言ってしまったけど、あなたが羨ましいわ。わたくしなんかをもらってくれる殿方なんて、もう誰もいないもの……」


 リリーナが自嘲気味に言う。


「実は私、冒険者としても活動しているのですよ。そちらは知っておられましたか?」


「え? ええ、一応は知っているわよ。何でも、”過剰治療”とかいう二つ名を持っているんでしょ? ギルド貢献値は、2000万ガルだったかしら?」


「はい。その通りです」


「そう言えば、あなたも治療魔法も使えるのね。いつか腕を上げて、わたくしの傷跡を消してくれる日が来るかも……。なーんて、厚かましい希望かしら? 無理よね……」


 リリーナは寂しげに笑う。


「いえ、やらせていただきます。差し支えなければ、今」


「えっ!?」


「私に挑戦させてください。治療魔法については自信があります。これでも、二つ名持ちですから」


「でも……。お父様が用意してくださった高位の治療魔法士でも無理だったのよ? いくら二つ名持ちでも、あなたの実力じゃあ、きっと……」


「やってみないと分かりません」


 サリエはきっぱりと言った。


「それに、リリーナ様は素晴らしい方です。その高飛車な性格はどうかと思うときもありますが……。侯爵家の令嬢として、高潔で誇り高い生き方をしていると思います。そんな方の貴族人生がこんなところで終わってしまうなんて、私は嫌です!」


「……サリエさん」


「だから、やらせてください! もし失敗しても、また腕を上げて再チャレンジします!」


「……分かりましたわ。そこまで言われたら、断れませんわね」


 リリーナはくすりと微笑んだ。


「あなたなら、わたくしの傷跡も消せるかもしれない。期待していますわ、サリエ=ハイブリッジさん」


「はい! ありがとうございます!」


 サリエは嬉しそうにそう返答する。

 そして、治療魔法の詠唱を始める。


「我らが創造主よ。彼の者にひと欠片の恩寵を与え給え。癒やしの光。全てを包み込む聖なる力よ。オールヒール」


 サリエの両手から優しい光が溢れ出し、リリーナを包む。

 その輝きは、まるでリリーナを祝福しているようだった。


「これでどうでしょうか?」


 サリエは恐る恐る尋ねる。


「……信じられないわ」


 リリーナは呆然としていた。

 胸の傷跡は完全に消えていたのだ。


「綺麗……」


 サリエは思わず呟いた。


「凄いですわね。まさかこれほどの治療魔法があるとは……。本当に感謝しますわ、サリエさん」


 リリーナは心からの笑顔を見せる。

 それはサリエが久しぶりに見る彼女の素顔であった。


「リリーナ様が喜んでくれて嬉しいです」


 サリエも満面の笑みを浮かべた。


「あなたのおかげで、わたくしの人生は救われましたわ」


 リリーナは感極まって涙ぐんでいた。


「大袈裟ですよ」


 サリエは苦笑いをする。


「大袈裟なものですか。傷物になった貴族の娘なんて、役立たずもいいところ……。これでお父様に恥をかかせないで済みます。そして、素敵な殿方と巡り会って結婚して幸せな家庭を築くこともできる。全てサリエさんのおかげですわよ」


「お役に立てて何よりです」


 サリエは嬉しかった。

 リリーナのために頑張って治療魔法を使った甲斐があったと思ったからだ。

 そして、無邪気に喜ぶリリーナを見て、素直に可愛いと思ったのだった。

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