ACT71 ふたりの戦い

 玉座に佇む聖女――その美しさに、ヴェルは思わず息を呑んだ。

 光の無い真紅の瞳は、窓に映る偽りの空を仰いでいる。

 その傍らには、見えない騎士を従えるように剥き出しの聖典刀を幾振りも浮かべており、自らもそのひとつを携えている。

 やがて聖女は訪れたヴェルへと目をやるが、言葉よりも先に向けられたのは〝耀けし刃〟の黄金に煌めく剣だった。

「クローディア!」

 ヴェルは、その魔女へと姿を変えようとしている聖女の名を叫んだ。

 しかしクローディアは先程から同じ言葉を譫言のように呟くだけだった。

「我は、我を脅かすその全てを赦さない」

 彼女の発する言葉を、ヴェルは記憶の底から探り出す。

 聖女戦争にて、紅き魔女ジゼリカティスが、蒼き聖女ウェンデレリアや聖女の騎士に向けて放ったとされる言葉。

 物語として語り継がれてきた百年前の魔女、その最期は今の自分と同じ白外套に身を包んだ者の握る聖典刀によって、穿たれて死した。

 だが不思議なことに、今こうして握っている聖典刀はその紅き魔女であったリッカの祝福を受けている。未だ自分を自分としてこの剣を握っていられるのは、彼女を拠り所として力を使っているからだ。

「クローディア。俺は君を救う。この悪夢から必ず、君を救い出して見せる!!」

 クローディアへと駆けるヴェルを、宙に浮く聖典刀が阻んだ。

 斬り払い、叩き付け、ヴェルは猛攻を突破する。

 ヴェルへとクローディアの剣が斬りかかった。

 刃を刃で躱し、翻って、死角から攻め込む聖典刀を伏せてやり過ごし、立ち上がると同時に襲い掛かる一振りを左手で掴み取った。

 直後、クローディアの放つ憎悪の意識が流入する。

 だがそれはリッカの祝福によって相殺され、ヴェルは意識を何とか保つことが出来た。

『我に与えよ〝流れし大気〟』

 憎悪に耐えつつ、右手の聖典刀で風の聖典術を呼び出す。

 そして左手の聖典刀を衝撃波に乗せて撃ち出した。

 銀色の矢となった聖典刀が宙に舞う一振りを捉え、その発動機関を貫いて破壊する。

『我に与えよ〝穿ちし閃耀〟』

 ヴェルは更に聖典術の矢を紡ぎ、撃ち出した聖典刀の発動機関を撃って壊した。

 呼吸を整えつつ、ヴェルは全ての聖典刀の位置を把握。

 残るは三振り。クローディアを守護するように黒い波動を纏わせて目まぐるしく動き回る二振りと、クローディア自身が持つ一振り。

 ヴェルは感じていた。もしも自分を本気で殺そうとするのなら他にもやりようはある。だが今のクローディアは全てが甘い。剣に攻撃させつつ、クローディアは聖典術を使って遠距離攻撃に徹することだって可能なはずだった。

 なのにクローディアはそうしない。あくまで聖典刀を操って攻撃するのみで、それすらも何処か手を抜いているような気がしてならない。

(迷っている)

 ヴェルは直感。まだ彼女は、魔女ではない。

 纏う剣の一振りが地を這い火花を撒き散らしながらヴェルへと刃を走らせた。

 それをヴェルは見切り、飛び越える。

 だが眼前にもう一振りの切っ先が現れた。

 咄嗟にそれを受け止めるが、そこへ更にクローディアの刃が襲い掛かる。

『我に与えよ〝捩伏せし狂飆〟』

 ヴェルは聖典術を発動。

 空中の二振りを風の剣で同時に薙ぎ飛ばし、クローディアを受け流す。そしてそのまま聖典術の暴風を床に叩き付けて跳躍。天井のシャンデリアを掴んで更に飛翔距離を稼いだ。

 その不規則な動きを追いきれなかった剣が一つ、天井に突き刺さる。

 それを見逃さなかったヴェルは宙返りして反転。動きを止める聖典刀の発動機関に深々と刃を穿った。その壊れた剣を切っ先に突き刺したまま天井から引き抜き、直進してくる聖典刀へと叩き付ける。衝撃で落下する聖典刀に向けて一撃。発動機関を破壊した。

 再び床へと降り立ったヴェルは、クローディアへと剣先を向け、対峙する。

「目を覚ませクローディア。世界を生かすも殺すも君次第だ。このままでは、本当に世界は滅びてしまうぞ!」

「我は、我を脅かすその全てを赦さない」

 沈黙。

 静寂。

 クローディアの聖典刀が紫電の煌めきを見せた、その一瞬。

 刃は既にヴェルの懐にあった。

 切り上げられた剣閃に赤い毛先が虚空へ散る。

 間を置いて素肌に吹き付ける、斬り裂かれた空気がその斬撃の速度を知らしめた。更に頭上で返された刃はすかさずヴェルへと牙を向く。

 阻止した振り上げる剣に伝わる凄まじい衝撃にヴェルは慄いた。

 ヴェルが見せたほんの一刹那の隙すら見逃さなかったクローディアは、ヴェルの腹を蹴り飛ばす。だが距離を置いたかと思えば急速接近し、剣を大きく振り翳した。目に捉えきれない刃の軌跡は、ヴェルを確実に追い詰めていく。

『我に与え――……』

 戦況を打開すべく聖典術を紡ごうとするが、その隙すらクローディアは見切っていた。半端に紡がれた〝捩伏せし狂飆〟は斬り裂かれ、むしろその剣の速度が風を作りヴェルの頬を冷やした。

 そこでヴェルは自身に込み上げてきた感情を知る。

 それは恐怖。

 それは戦慄。

 意識を支配せんとするそれらは聖典刀を握る指先に宿り、手を伝って身体を震わせる。首を通して唇と歯を揺らし、目には涙を浮かばせる。

 殺される。

 次は受け止められるかもしれない。だが次の刃は。今度の剣閃は。その次に襲い掛かる剣は。冷酷な刃はいつ首を刎ね、いつ腹を抉り、いつ心臓を突き刺す?

 と―― 

 不意に、何かがヴェルの掌を濡らした。

 最初は自身から流れ出る焦燥の汗かと思った。

 だがしかし、その飛沫は自分ではなくクローディアの方から飛んでくる。

 涙だった。

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