ACT63 愛の力
旧首都ランセオンを発った列車は、峻厳な中央山脈を抜けてスレイツェンへと走っていた。
今や新たなる世界の中枢となったスレイツェンへと向かう列車は連日乗客の数を更新し続けている。
それまでこの線の利用客が学園の生徒だったとあって普段は空の目立っていた客車も今はあぶれる程の乗客に埋め尽くされており、通路の床すらまともに見ることの出来ない程の大混雑だった。
ヴェルとリッカもまた、そんなあぶれた乗客だった。混雑に客車に乗ることすらも断念した二人は今、列車最後部のデッキに乗り込んで後方へと流れていく景色を眺めている。
だが最初に乗り込んだ時は、余裕を持って客席に座ることが出来たはずだった。発車時刻の一時間前以上から乗降場に並び、余裕を持って座席を確保できると踏んでいたヴェルの計画をものの見事に破綻へと追い込んだのは、横で〝革命記念・銘菓ネルパージ焼き〟と書かれた箱を幾つも抱え、中の焼き菓子を食しているリッカであった。
その見るからにトロカテア焼きの紛い物を売り歩く売り子の姿を、リッカが発車時刻直前になって見つけてしまい、わざわざ乗っていた列車から飛び降りて購入に走ったのだ。
その突然の行動にヴェルもつられて列車を降りてしまったのが運の尽きだった。結局駆け込み乗車をしてなんとか間に合ったものの、乗客による壮絶なる座席の争奪戦には完敗し、こうして敗残者よろしくデッキの手摺りに背中を預けている。
購入当初は喜々としていたリッカだったが、表情は次第に雲行きが怪しくなり、今、二人の間には不穏な空気が流れている。全ては多大なる犠牲を払ってまで手に入れたネルパージ焼きのせいである。
所詮は革命の特需に乗じた類似品である為、元祖たるトロカテア焼きの味には到底追いつかない。それでも「トロカテア焼きは、悪しき聖典騎士団を髣髴させる。新たに生まれたネルパージ焼きこそが聖女騎士軍の象徴だ」などと謳っていたこともあって、売り子の声に多くの客が殺到していた。そこまで言うならとリッカも流行に乗ってみたが、その評価は表情の物語るとおりだった。
「……マズい。マズい。マズい。マズい。マズい」
勢い余って売っていた全てを買い占めてしまったその紛い物をひたすらに消化する作業をリッカは文句を垂れながら続けている。
そしてそれ以上にヴェルが不機嫌だったのは、リッカに強引に買わされたからだった。
「だから言っただろうが。安易に紛い物に手を出すと火傷すると」
「最初はヴェルだって乗り気だったじゃない。〝新たな味への開拓だー〟とかなんとか言っちゃってさ。責任とってよ。はい半分」
真紅の瞳を不機嫌に歪ませるリッカは、ヴェルに残ったネルパージ焼きの箱の半数、合計七つを強引に押し付ける。
それに対してヴェルは腕を組み、受け取りを拒否した。
「数はお前の責任だ」
「ちぇー。男らしくないでやんの。これがおねえちゃんだったらどうしただろうねぇ?」
「そりゃあクローディアだったら食ったかもしれん。だがお前はクローディアではない」
「まぁまぁそう仰らずに。好きな人の妹ってことでここはひとつお願いしますよ。ほらヴェルナクスさん、良く見るとボクってばクローディアに似てない?」
「おいリッカ、これを見てみろ。ネルパージ焼きもよく見るとトロカテア焼きに似ているぞ。良かったな、お前の大好物じゃないか」
切り返すヴェルにリッカは返す言葉を失う。
「……うー。このリッカさんが今度こそヴェルの恋路の助っ人となりますからぁー」
しぶしぶヴェルは、リッカの抱えている箱の中からひとつ焼き菓子を手に取り、ひとまず眺めてみた。分厚い円盤型の中に餡が詰まっている形状は一見してトロカテア焼きそのものに見える。
恐る恐る口に運んでみた。
不味かった。
何もかも元祖から越えてやろうという有り余る欲望の丈を叩き込んだかのような味。端的に言えば外は岩、中は泥。半生の生地と分量を見誤ったのではないかと疑う砂糖のざらつきが残るクリームが口の中で同化して不協和音を作り出している。これで売ろうと決断した者の顔が見て見たい。試作品を味見したのだろうかとヴェルは味に顔を顰める。いや、そもそもこれは完成品なのだろうか。まだ試作段階なのではないか。というよりもこれは失敗作なのではないか。仮に金を積まれようが、クローディアに食えと命令されようが勘弁願いたい代物。
それがヴェルの、この物体に下した評価だった。
「お味は如何? ヴェルナクス・エスカウィルさん?」
「……地獄を見た」
「まぁそうだよね。でもボクだけじゃ食べきれないな。ヴェルも無理って言うし。そうだ、ならこれ全部クローディアへのお土産にしてしまおう。うん、それがいい、そうしよう」
「こっ、こんなものをクローディアに食わせるわけにはいかん!」
言うとヴェルはリッカから全てのネルパージ焼きの箱をぶんどり、泣きながら口の中に放り込んでいった。
「流石。愛の力は偉大だ……」
その様子を見てリッカが呟いた。
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