ACT19 再会
あくまでいつも通りを装いつつも、頭は聖典術のことでいっぱいになっていた。
何より今の自分にはリッカという決定的な証拠がある。だがそのリッカはと言えば、肝心な時にはいつも居らず、スレイツェンの町をふらふらと彷徨うばかりで聖典術のことに関しては何も教えてくれない。そうしてリッカと出会ってからこの二週間というもの、クローディアは何一つ新たな情報を手に入れていなかった。
(今日こそはその秘密、暴かせてもらおうじゃない)
「居た!」
「ディア先生!」
「探したよぉ!」
帰り道。学園内に乗り入れている蒸気トラムの沿線をひとり歩いていると、三人の初等部生徒がクローディアを見つけ、駆け寄ってきた。パトリスとクライヴ、ノエルである。
「どうしたの、みんな?」
「俺達、丁度ディア先生を探していたところなんだ。聖女の騎士様がディア先生に会いたがっているって、リッカが言ってた!」
息も絶え絶えにパトリスが言う。
「私に?」
(聖女の騎士が直々にやってくるなんて。私、何かやらかしたっけ……)
思い当たる節ならば数え切れない程にある。
聖女の騎士になる為と言って、過去には様々な事をしでかした。古城にある玉座の間を見てみたくて、最上階を目指して吹き抜けを登ろうとしたが足を滑らせて死にかけたこと。デザンティスに行くと言って自前の手漕ぎボートで中央海を渡ろうとしたが、遭難して警察の警備艇に救助されたこと――漁業以外の理由で船を出すのは重罪である――など、下手をすれば禁固刑を言い渡されるようなこともした。その都度アスキスにこっぴどく叱られ、リューシンガに怒られた。それだけで済んだのはクローディアがまだ幼かったからだ。
だが全て済んだ話だ。それらを理由に聖女の騎士がクローディアを逮捕しに来る可能性はまず有り得ないし、あるとしてもやってくるのは聖女の騎士ではなく、警官のはず。
(ではリッカか?)
勝手にほっつき歩くリッカが普段何をしているのかなど、クローディアの知ったことではない。とすれば何かをやらかしたリッカを引き取る為に自分が呼ばれたのだろうか。しかしそれだけのことで聖女の騎士が首都ランセオンから自分を訪ねにやってくるわけがない。そもそもリッカが「聖女の騎士がクローディアに会いたがっている」と言ったのだ。
(となれば、もしかしたらリューシンガお兄様が?)
そうだったらいいな、と考えつつクローディアはパトリスに尋ねた。
「……一応聞くけれど、その聖女の騎士様って私の知っている人?」
「ええっと、確か名前は――」
パトリスがその名を口にした瞬間、クローディアは目を丸くして教職員棟のアスキス研究室へと全力疾走した。
庭園を駆け抜け、教職員棟に辿り着き、脇目も振らずに研究室へ。
勢い良く扉を開けて部屋を見回す。
最初に目に入ったのはリッカ。
ソファに寝転がりながら、何処から持ってきたのか解らない大量のトロカテア焼きを頬張りながら、アスキスの聖典術に関する研究論文を読み漁っている。いつもならその態度を注意したり、聖典術についてのあれこれを聞き出そうとしたりするところだが、それはひとまず後回しだ。
やるべきことがある。
尋ねたいことがある。
だがその対象は見当たらない。
まだ此処までは来ていないということか。
クローディアは、そこでやっと抱えていた教材を机に置き、深呼吸する。
(どうして、今になってあいつが来るの!?)
その考えのみが、クローディアの頭を駆け巡っていた。
「凄い顔だよ、おねえちゃん」
リッカに言われ、クローディアは鏡を見る。
確かに凄まじい顔をしていた。昔、絵本で見たあの恐ろしき紅き魔女ジゼリカティスの顔のそれにそっくりだと思った。普段は上質な馬の尾にも似てさらりと降りている赤いリボンに結ばれた金色の髪も、ごわごわとして逆立っている。なろうと思えばこんな顔にもなれるのね、私って。とクローディアは一人無駄に納得する。
「珍しいわね。寝るとき以外は絶対に此処になんて来ないのに」
「来客があるらしいからね。お留守番」
「ならせめてそこでお店を開くのはやめてくれない? みっともないわ!」
「今、ボクは快楽に溺れる楽しみを謳歌している最中だから無理」
「堕落は害悪と思うことね。いいから片付けなさいリッカ!」
「聖女の騎士様だってね。おねえちゃんにとってどんな人なの?」
尋ねるリッカの言葉に、クローディアは意図せず過去を思い出して顔を赤らめる。
それを掻き消すように首を振り、手元に落ちていたトロカテア焼きの空き箱を片付ける。
「好きなんだ?」
「……忘れたわ、そんな昔のことなんて」
「だってさー。残念だったね、ヴェルナクス君?」
リッカが、誰も居ないはずのキッチンに向かってそう投げかけた。
「ヴェルナクス!? えっ!? どういうこと!?」
「だから言ったろうリッカ。こんなことをしたって古傷を抉るだけなんだって……」
「いやぁー、妹と致しましては姉の恋路の成就を願うのは当然の事でしてー」
キッチンから出てきた白外套の青年の姿を見て、クローディアは目を丸くした。
最後に別れた三年前。
そこで停止していたはずのクローディアの時計が動き出す。
凛々しくなった。あの日にあった少年らしさは無く、今や一人の立派な聖女の騎士となった彼。着せられていたような印象が強かった白外套が、今はとても良く似合っている。
深緑色の瞳の左の目元に縦に走る見慣れない切り傷は、彼が数多の過酷な任務を乗り越えてきた証だろうか。だけど、少し寝癖のある赤い短髪は相変わらず。
懐かしい顔。一度は恋して、愛した顔。
けれど、そこに立つのは甘ったれた学生だった彼などではなく、聖女の騎士となった彼。そして、最後の最後で心を踏み躙り、裏切った彼。その名を口にすることはもう二度と無いのだろうと思っていた、彼――ヴェルナクス・エスカウィル。
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