第14話 改心
2026年 4月12日 日曜日 22:42
川が氾濫したかのように、教会の内部は中心部から溢れ出た血の激流に襲われていた。
激流は教会内部にあったベンチを押し流し、ドッペルゲンガー達と誠をも襲う。
三名は腰まで浸かる血の流れに足を取られないよう必死に抗いながら、戦闘も忘れその激流の原因を見つめていた。
「ほんと、待たせちまったな……」
教会の中に、声が響いた。
晶の声だった。
パァンと、風船が割れるような音と共に中心部に浮いていた紅い球体が割れると血の激流も止まり飛沫が教会に舞った。
そして彼女が現れた。
「こりゃぁ良い……これがアタシの力! コイツがあれば、もうヘマはしねえ!」
フルフェイスのヘルメットを被り、金色の毛皮と黒い服を身に着け血まみれの釘バットを持った姿で彼女は現れた。
「ククッ、ククク! そうか、奴め……今回の儀式を乗っ取りその身に悪魔を宿したな!?」
激流が収まり、入り口から少しずつ抜けていく状況の中。
突如姿を変え現れた晶に、アモンは笑いながらそう叫んだ。
「オイオイオイ」
「乗っ取られた……? おいオレ、儀式が乗っ取られるなんて聞いてないぞ!」
「落ち着けおれ、今有利なのは──」
「落ち着けだと!? ふざけるな、さっきから聞いてない事ばかりだ! おれ以外の悪魔と契約してるガキに今度は違うガキに儀式が乗っ取られただと!? 」
「へっ……自分同士で仲間割れかよ、情けねえ」
晶の変化した姿を見て、完全に自らが優位に立っていたと思っていた男のドッペルゲンガーがもう一人の自分へ怒りを露わにする。
そんな状況を見て、彼女は呆れた表情を見せる。
釘バットを自身の右肩へトントンと軽く何度か叩きながら、ゆっくりとドッペルゲンガー達へ歩いていく。
「くっ……おれ、争いは後だ!」
「仕方ねぇ──」
「へっ、掛かってこいよ女しか襲えない臆病者!」
「──舐めるなよ、ガキがぁ!
左手の人差し指でクイクイと手招きをするように挑発をしながら、晶は不敵に笑った。
その挑発に、男のドッペルゲンガーが激昂する。
「ぶっ飛ばすぜ、アエーシュマ!!」
晶は笑みを見せたまま、バットの先端をドッペルゲンガー達へ向ける。
ドッペルゲンガー達は鏡写しの様にナイフを構え、晶へ駆けてゆく。
彼等は素早く駆け寄る。
「うぉらぁ!」
晶は釘バットを上段に振りかぶり、大きく地面へ振り下ろす。
「そんな大仰な振り!」
「オレ等には当たらないんだよ!」
そんな大仰な動きは当然彼等に躱されるが……メットの中の晶は笑みの表情を崩さなかった。
ドッペルゲンガー達は左右に分かれ、バットが地面に振り下ろされるのと同時に晶の心臓目掛けてナイフを突き出した。
それは確かに彼女の心臓に命中し……弾かれた。
「なっ──」
「ナニィッ!?」
「おらぁっ!」
ナイフは確かに彼女のスーツへ突き刺さったが……まるで見えない障壁でもあるかのようにそれは弾かれる。
そうして、二人は虚を突かれた隙に晶は地面へ振り下ろしたバットを今度は左へ薙ぎ払った。
「おぉぐっ!」
釘バットが男のドッペルゲンガーの左わき腹へめり込む。
それと同時に、晶は右足で女のドッペルゲンガーの腹部に蹴りを叩き込んだ。
「ぐはぁっ!」
「す、凄い……」
ほぼ同時に両端の壁へ、ドッペルゲンガー達が吹き飛んだ。
それを見た誠は思わずそう呟く。
「ようキング」
「は、はい!」
「待たせて悪かったな……こっからは、アタシらが暴れる番だ!」
「──あぁ!」
あまりの迫力に思わず背筋を伸ばした誠だったが、サムズアップする晶を見て彼もまた不敵な笑みと右手の親指を立て返した。
「い、一体何が……」
「起こったのだ……ナイフは確かに奴に突き刺さった筈だ!」
「へっへっへ、アタシにはな……もうテメエらの攻撃は通用しねえ! さぁ、覚悟しな!」
壁に叩きつけられ、疑問を口にしながらゆっくりとドッペルゲンガー達が立ち上がる。
そんな彼等に自らの頑丈さを誇示すると、晶は男のドッペルゲンガーに向き直った。
「キング、そっちの女はお前に任せる。 あっちは、アタシがやる!」
「分かった、気を付けて」
「へっ、誰に言ってやがる」
晶は誠へ振り向きもせず、そう言うと男の方へ向かっていく。
誠もまた、入り口近くからゆっくりと女のドッペルゲンガーへと向かっていく。
二人の表情は見るものを畏怖させる、自らへの自信が現れた表情だった。
「くっ、くそ……こんなガキどもに!」
「ガキガキうるせえな、テメェ良い学校出てんだろ? もう少し頭の良い表現できねえのかよ」
「う……うるせぇ、馬鹿ガキが! お前なんかに……俺の、俺の苦労の何が分かるってんだよぉ!」
「知らねえな、テメエの苦労なんざ! 分かってるのは……テメェが犯罪者ってことだけだ!」
「殺してやる……お前達さえ死ねば、おれは、おれはまだ!」
必死の形相でナイフを構えるドッペルゲンガーと、それに向き合う魔人化した晶。
彼女の後ろでは誠が女ドッペルゲンガー相手に、先ほどまでの借りを返さんと一気呵成に攻め立てていた。
「呆れて何も言えねえな……来い、クソ野郎」
「うおおああああ!」
形も何もない、ナイフを振り回しながら男は晶へ突撃を行った。
彼はここまでの出来事で一気に混乱し、冷静に物事を考えられなくなっていた。
今、憔悴しきった男が考えている事は最早思考と呼べるレベルのものですらなかった。
「ふんっ!」
男が晶へナイフを突き立てるが、先ほどの様に刃先は彼女の腹から先へは進まない。
当然、そうなることを理解している晶はナイフの先端が届くと同時に男の腹部へ左の拳を突き立てた。
「おごぇ……っ、か、はっ……」
「こいつは最初の女性の分!」
男の体が、浮かび上がった。
晶はそのまま男の頭を掴み上げると、真後ろの地面へ体ごと叩きつける。
「こいつは三人目の分!」
教会の床に罅が入り、男は肺の中に入っていた息を捻り出される。
だが晶の攻撃はまだ止まらず、床で倒れている男の胸倉を右手で掴み上げると自らの頭を大きく後ろへ振りかぶる。
「これは四人目の分!」
晶の頭は元来石頭だったが、魔人化したことでそれがより強固なヘルメットと言う形で現れた。
その、岩をも砕く硬度のヘルメットが勢いを付けてドッペルゲンガーの頭部へ直撃する。
「あがぁっ……!」
「そして、こいつが────」
頭から血を流し、涙と鼻水も浮かべる男。
今までイケメンだった男の顔が、今まで出てきた事の無い不細工な顔へと変わった。
体系も細身から90キロ以上はあるであろう、太った肉体に戻る。
「や、やめてくれ……頼む! 俺が悪かった、殺さないでくれ!」
晶に胸倉を掴まれたまま、男は泣きながら彼女へ懇願した。
そんな男の言葉に、晶は強く歯を食いしばった。
「その言葉を……テメェは被害者に何回言われた! 何回踏みにじった!! お前は人から奪っておいて、自分がそうなるのは嫌だってのか!!」
「ひいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ! ひゃ、ひゃめてくれえええええぇぇぇぇぇ!」
「こいつが────マキの分だぁぁぁぁぁぁぁ!!」
泣き喚く男を軽く空中に放ると、晶はバットを投げ捨て両の拳を強く握った。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!」
「あぶぅばばばばばばばばばば──!」
まず初めに、右の拳が男の胸へ直撃した。
男の体がその衝撃で、重力によって地面に落ちることを許されなくなった。
一発目の衝撃で空中に固定された男は、今度は左手による打撃を受けた。
鉄拳による素早い乱打は、十秒間ほど続いた。
その間、男の体は一切地に足を付けることが無かった。
「これで……最後だ! オラァァァァ!」
99発目の乱打を行い拳を引くと、晶はその場で左に一回転を行うと最後の百発目の拳を回転の威力を乗せ男の顔面に叩き込んだ。
「ひぃぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
男は螺旋状の回転を伴ったまま、奥で誠と戦闘を繰り広げている女ドッペルゲンガーの場所まで飛んで行った。
「キング、避けろ!」
「え、うわっ!?」
「なに!?」
戦闘中に突然飛んできた男を、誠はアモンの助言で間一髪で避ける。
だがドッペルゲンガーは誠の攻撃を捌くのに精一杯で避け切れず巻き込まれ、二人揃って壁に激突した。
「あ、が、が……」
「ゆ、ゆるじで…………」
壁と男に挟まれる形になった女ドッペルゲンガーは、左腕を痙攣させながら幾つかの言葉を吐いた。
「ば、馬鹿な……オレの計画は、完璧だったのに……こんな、ガキ共にぃ……!」
「へっ、大したことない完璧だったな」
晶がバットを拾いながら、ゆっくりと二人へ近づいていく。
「折角、逃げられ、たのに……」
「逃げられた?」
女の発言に、誠は聞き返す。
「あぁ……そうか、お前は……ソロモンの──」
だが女は問いに返答しないまま、指先から黒い靄になっていく。
「やめてくれ、俺を消さないで、助け──」
誠を怯える目で見ながら、天へ腕を伸ばしながら女のドッペルゲンガーは消滅した。
「何だったんだ?」
「……さぁ」
首を傾げる晶の問いかけに、誠は明瞭な答えを返せなかった。
「ま、いいけどな……とりあえず問題の悪魔は死んだってんなら、あとはこいつだけだ」
晶は壁にもたれ掛り、気絶している男へ近づくと右手で平手打ちをした。
「おい、起きろ」
パァンと小気味いい音を立てて、晶の平手打ちが決まった。
すると向こう側に行っていた男の意識が、徐々に戻り始める。
「ぅ……あ、あ……?」
「おう、起きたか」
「ひっ──うわああああ!!」
晶の顔を見るなり、男は壁を貫きそうな勢いで後ずさりをしそのまま立ち上がる。
だが逃げようと出口の方を向いた瞬間、誠の姿を確認すると今度は自らの頭を両手で抑えるように縮こまった。
「こ、こ、殺さないでくれ! ゆるじでぐれぇ!」
「だめだ、許さねえ」
「ぞ、ぞんなぁ……で、でもしょうがないだろ! こんな力を手に入れたら、誰だってやるだろ!」
晶の冷徹な瞳と一言に、男は怯えながら叫んだ。
「お、おれだって頑張ったんだよ! だが世間はおれに冷たかった、世間の流れで氷河期になったのにおれ達世代は失敗作だと揶揄されて冷遇され、親も絶望しながら死んだ! それでも頑張ったさ!」
悲痛な叫びが、教会に響き渡った。
「でも、もう社会はおれ達を必要として無い、もうおれには何も残ってないんだよ……だから自殺しようとした、そうしたらあの悪魔が現れて……」
「だから見ず知らずの人間を襲ったってのか!」
「しょうがなかったんだ、あいつの言葉を聞いているとおれの考えが全て……正しい事の様に思えて……」
「悪魔は人間の心、欲望を刺激する……この男の様に鬱屈とした感情や欲を抱えている人間は正に狙い目だったのだろうな」
涙を流しながらの男の独白にアモンが付け加えた。
「じゃあなんだ、こいつのやった事は悪くねーって言いたいのかよ!」
「アモンは補足しただけさ、こいつのやったことは……勿論許しがたい事だと俺は思う」
「一思いにトドメを刺すか? ククク」
「あぁ、ここでアタシが──!」
晶は、バットを真上に振りかぶった。
「やめてくれぇ!! 頼む! やめてくれぇぇぇー!」
「みんなッ……テメェにそう言ったんじゃねえのか!? だが、テメェは平気で奪っていったんだっ!」
ガァン! と、男の直ぐ真横の床が砕けた。
「ヒィィッ!!」
自らの命を奪われると思っていた男は失禁する。
「ト、トドメを刺せよ……勝ったお前等にはその資格がある……」
嗚咽を響かせながら男は晶へ告げる。
だが、晶は杖の様にバットを地面へ突き立てると高らかに告げた。
「いいや、殺さねぇ。 お前に死なれたら、お前がやった罪の証明が出来なくなる」
「……お、おれを殺さないのか?」
「最初からキングが言ってた筈だぜ、お前を捕まえるってな」
晶の言葉に誠は頷く。
「あぁ、お前が犯した罪は現実でしっかり償うんだ」
「……分かった、おれが全て悪かった。 現実で、罪を償うよ……すまなかった」
誠の真っすぐな瞳と言葉に、男は感銘を受けたのか落涙しながらそう誓うとそのまま気絶した。
「へっ、終わったな」
「あぁ、お疲れ様だクイーン」
「まさか儀式を乗っ取るとはな、最初はどうなることかと思ったが良くやったぞ」
互いの顔を見合わせ、誠と晶は頷きあった。
「何かムカつく物言いだなコイツ……元はと言えばテメェの作戦が悪かったせいだろ」
「魔人として一体化している時は、知能は契約者に引っ張られるのだ。 つまりキングの知性が低いのが悪い」
「え、俺のせい!?」
そんな中で、アモンの一言が晶を刺激し誠は彼女に胸倉を掴まれそうになる。
だが彼女は誠の胸ではなく肩に右手を置く。
「今回は、マジで助かった。 アタシ一人でやってたら解決しなかったと思う、サンキューな」
「……いや、良いんだ。 この力を俺は人の為に使うって決めたから、力になれて良かったよ」
そう言って、誠は右手を彼女へ差し出した。
晶は少しして、その意図に気づくと右手で彼の手を握り返した。
二人は笑いあい、互いを認め合う。
それは、少し不思議な青春の瞬間だった。
「さて、それでコイツ……どうやって警察まで運ぶんだ?」
「うーん、彼を入り口まで運んでから現実に戻って警察に通報……?」
「ククク、それに関しては我の言う通りにするが良い」
自然と解かれた握手の後、晶は気絶している犯人へ顔を向けた。
二人で意見を出し合うが、良い解決策が見つからない所にアモンが再びの提案をしてきた。
誠と晶が訝しげな表情を浮かべながら、再び悪魔の甘言に乗るのだった……。
─────────────────────────────────────
2026年 4月12日 日曜日 23:00
新宿御苑から程近い、新宿警察署では現在警察官たちが慌ただしくしていた。
「また暴行犯か! これで五件目だぞ、警邏中の奴らは何をしていた!」
「いえ、はい、それに付きましては──」
「地方の田舎ならまだしも、東京の新宿でこんなにぽこじゃか犯罪を起こされては困るのだよ、私の出世にも響く!」
捜査一課の一室から、そんな怒声が響く中。
部屋の外では出世コースから外れた警官がブラブラと通路を歩いていた。
覇気のない、やる気のない態度の男は当てもなく歩き回り……警察署の入口にある自販機の前まで辿り着いた。
小銭入れの中から、百円玉を探している時……ふと玄関の外に何かが舞い降りるのが見えた。
それは炎で出来た翼を生やした、軍服を来た男──誠だった。
「は────?」
魔人姿の誠は右手で抱えていた太った男を地面へ降ろすと警察署内外へ響く声でこう叫んだ。
「警察署の諸君、夜遅くまでご苦労な事だ。 此度、君たちを騒がせた連続暴行犯ドッペルゲンガーはこのキングが捕縛した!」
拡声器、または巨大なスピーカーでも使っているのかと言うような大声に警察署の人間たちはこぞって窓を開き広場に居る誠を見た。
「な、なんだなんだ?」
「君、コスプレなら別の場所でやりたまえ!」
ざわつく警察署内の声を物ともせず、誠は続ける。
「我のこの右に居る男が、諸君らが探していた犯人である。 我が去った後、心行くまで尋問を行うが良い!」
「犯人……?」
「何を言って、おい、誰かアイツを追い払え!」
誠の発言を聞き、窓から見ていた何人かの警察官が男の元へ急行する。
「クク、クククク! 初の顔見せはこんなところか、では精々良い噂にして我の名を広めてくれたまえ、諸君!」
そう言って、誠は両手を広げるような動作を行う。
すると再び炎で出来た翼が彼の背中から生えた。
「うわっ、え、な、なんだ!?」
「放火か!?」
「では、次の事件でまた会おう諸君! ククク、フハハハハ、フハハハハハハハハ!! 」
大声で笑いながら、誠は生やした翼でそのまま天高く飛び上がっていった。
「お、俺……夢でも見てるのか?」
「私、頭おかしくなったのかな……」
それを見ていた警察官達は、呆然としながらそれを見送るのみだった。
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