第79話
目ん玉をひん剝く、というのは字面だけ見ると滅茶苦茶に大仰な気がするけれど、きっと今の私はまさに「目ん玉をひん剝いている」状態にあると思う。
アメリカのコミックみたく外に飛び出してしまった私の目に映るのは、なんともまあ扇情的な水着姿の矢来さん。
マイクロとまではいかなくとも、面積の小さな黒のビキニ。谷間を全く隠せていないからか、胸元には申し訳程度に半透明のレースがかかっているのだけど、ネグリジェみたいになっていてかえって淫靡な雰囲気を醸している。
「……矢来さん。あなた、どんな水着選んでるのよ」
「どんなって……。自分に似合いそうなやつを選んだだけだよ」
なるほどな。と納得しかけてしまいそうになる。
実際、こんな大胆な水着を着こなせる人なんて、日本人だと一握りだろう。
適材適所、ではあるのかもしれない。
しかし、にしてもだ。
「たしかに、その水着が矢来さんに似合ってるのは否定しないわ」
「えへへ、よかっ――」
「でも、ダメ」
「えっ」
私から称賛の言葉が貰えると思っていたのだろう。矢来さんは私の否定する言葉に目を丸くする。
「えっ、じゃない。ダメに決まってるでしょ。……そんなエッチなの」
「エッチって……海道さんと同じ通販サイトで買った、普通の水着だよ?」
「い、いやいや。だとしてもよ」
「わたしに的にはー」
薄い布きれだけで身体を隠した(私もだが)矢来さんが、一歩距離をこちらに詰めてくる。間近に迫らられると、身長差の都合上私は見下ろされる形だ。
ここが更衣室の角であることもあって、端から見ればカツアゲの現場だろう。
実のところは、流れている空気は何とも甘いものなんだけど。
「こんな普通の水着で興奮しちゃう海道さんが一番エッチだと思うな」
「そ、そんなこと」
「そんなことあると思うよ。だって、海道さん、考えてもみて? この水着を、わたし以外の人が着てたらどう思う?」
「矢来さん以外の人が……?」
言われるがままに私はその光景を想像する。
他の人の目もある屋内プールで、露出度の高い水着な女性。
「大胆というか、気合い入ってんなーってなるかしら」
「でしょ? 別に、あの人エッチだ! とはならないよね?」
「それがなんなのよ」
「つまり海道さんは、水着自体にはエッチな気分になってない」
また一歩、矢来さんが身を寄せてくる。もはや壁ドンだ。私の背中はロッカーの扉にぶつかってしまい、これ以上逃げ場がない。
水着だから当然なのだけど、私の曝け出された太ももに矢来さんがそっと手を這わす。
その瞬間こそ悪寒のようなものがしたけれど、それはすぐに甘美なくすぐったさに様変わりした。
矢来さんは私の顔の隣に手をつく代わりか、私の頬に手を添えた。
「海道さんはね、わたしのことをエッチな目で見てるんだよ」
「なっ……」
聞き捨てならなかった。矢来さんの言うとおりなら、私はまるで所構わず発情している猿みたいになってしまう。
だけど、即座に否定もできなかった。
前もって、他の人がこの水着だったらという想像をさせられるという、矢来さんらしからぬ狡猾な誘導をされてしまっているからだ。
「まあ、海道さんがわたしのことをエッチな目で見てるのは今に始まった話じゃないけどさ。初めて一緒にお風呂に入った時も――」
「わ、わかった! わかったから! そうね、私はあなたを少なからずそういう目で見てる。認めるから、並び立てないでくれる!?」
このままじゃあ、私が矢来さんへ湿っぽい視線を送っていたシーンが列挙されてしまいそうだ。なにより、矢来さんは事細かにその情景を覚えていそうで怖い。
「だけどね、矢来さん。私があなたのことをそういう目で見ていることを差し引いても、あなたの格好、やっぱり大概よ」
「えー、そうかな?」
「そりゃ、今日みたいにガラガラのプールだったらいいわよ。でも、他にお客さんがたくさんいる日だったら? 絶対、注目集めちゃうじゃない」
「見られたって、わたしの身体は減らないよ?」
「それはそうだけど……。なんか、嫌なのよ。他の人に、矢来さんが見られるって思うと」
もちろん矢来さんは私の恋人ではあるけれど、所有物ではない。極論、矢来さんが全裸であたりを闊歩していようがそれは矢来さんが自由だ。
だけど、恋人である以上は私にだって譲りたくないものがあるし、ワガママだって言いたくなる。今回がまさにそれだ。
「え、えへへへ」
「わふっ」
私の醜い独占欲を聞き届けた矢来さんは、唐突に若干気味の悪い笑みを漏らし始めたと思ったら、次いで私のことを遠慮の欠片もない勢いで抱きしめてきた。
胸元の薄いレース越しとはいえ、やはり通常の服よりもより明確に矢来さんの柔らかさと温かさを感じる。
「な、なに?」
フガフガと矢来さんの胸に息を吹きかけながら私は言う。
「いや、海道さん可愛いなーと思って」
「今の私のどこに可愛い要素があったのよ。むしろ、面倒くさいやつでしかなかったでしょ」
「それすらも可愛い」
「……私、矢来さんと一緒にいると駄目人間になっちゃいそう」
「そうなったらわたしが養ってあげるからね」
「それは遠慮しておくわ」
なんだか、矢来さんなら本当に私が死ぬまで面倒を見てくれそうな気がした。だけどまあ、それだと私が矢来さんに寄りかかっているだけであり、伴侶としては不甲斐ないというか、もっとこう支え合って生きていきたいのだ。
そもそも矢来さんだって完璧な人間ではない。
時には転んでしまうことだってあるだろう。そんな時、私が矢来さんに身体を預けていたら、二人そろって倒れてしまう。
やはりそれはダメだ。矢来さんが困っている時には、手を差し伸べてあげたい。たとえそれが独善的であったとしてもだ。
「うーん、でも困ったなあ。わたし、これ以外の水着持ってきてないよ」
「……まあ、いいわよ。どうせお客さんも少ないでしょうし。私だって、矢来さんを困らせたいわけじゃないから」
「そっか、ごめんね。海道さんの好み、ちゃんと聞いておくんだった」
しょんぼりと眉を下げてしまう矢来さん。違う。私は矢来さんにこんな顔をしてほしくて一緒に遊びにきているんじゃない。
「…………好みではあるから」
「うん?」
「だから、その……。他の人に見られたくないくらい魅力的に思うぐらいには似合ってると思う」
「……うん、ありがとう。それなら、今後は海道さんの前だけで着るね」
「ええ。……私の前だけで水着になるって、それがどういう場面かはちょっとわからないけど」
「そのうちプライベートビーチとか行くかも!」
「ふふっ、そうね。行けたらいいわね」
高校生が語るには大層な夢な気もする。私はプライベートビーチが具体的にどこにあるのかも知らないし、かかる費用の概算すらできない。
それでも、何故か。
矢来さんと二人きりのビーチで、水を掛け合っている光景は想像できた。
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