第66話
「ほななー」
駅舎内へ消えていく唯に手を振って見送る。
ファミレスを出たところで、唯は先に帰ると言いだした。それが私と矢来さんを二人にするためなのは言うまでもなく。
唯の姿が見えなくなったあたりで矢来さんが口を開く。
「寒いけど、ちょっと歩こっか」
「ん、それはいいけどこの辺、何もないわよ?」
私たちはまだ学校の最寄りにいる。
駅前こそ商業施設があれど、少し行けばすぐに住宅街になるような土地だ。景観の良い場所なんてない。
「それでもだよ」
言いながら、矢来さんが手を出してくる。握った手は少し冷く、それが冬がもう近いことを知らせていた。
目的地なんてものはないのだろう。矢来さんの足取りは適当そのものだ。
五分も歩けば閑静な住宅街に入る。人気がなくなった道で矢来さんはポツリと呟いた。
「ここって、学校の通学路だよね」
「え、まあ、そうね」
「学校の周りを海道さんと歩いたこと、そういえばなかったなーって」
「ああ……」
急に散歩を提案してきたのはそういうことだったらしい。
矢来さんらしからぬ風情を感じた。
「明日からは一緒に登校する? って言っても、駅から学校までの数分だけど」
「んー……。海道さん、普段は小波さんと来てるの?」
「と、思うでしょ? 実は一人なのよ。唯、起きるの遅いから」
正確には、入学当初だけは二人で地元から一緒に登校していた。もっとも一か月ぐらいで唯に付き合っていたら遅刻してしまうと危惧した私が逃げ出したのだけど。
「そうなんだ。なら、ご一緒させてもらおうかな」
「なら、八時に駅でいい?」
「大丈夫だよ。えへへ、同伴登校だね」
「なんでわざわざやらしい言い方にするのよ」
「響きに特別感があっていいかなって」
歩きながらも器用に私へ身体を擦り寄らせながら矢来さんは言う。
誰ともすれ違うこともなく、私たちは学校の校門前にたどり着いた。校舎には僅かに電気が灯っている部屋があるけれど、あれは職員室だろう。こんな時間までご苦労様です。
「で、前もって登校した気分はどう?」
「うーん、寂しい。かな」
「寂しい? どうして」
予想外の返答に首を傾げる。
「もちろん明日から一緒に学校へ行けるのは嬉しいよ。だけど、今みたいにはいかないでしょ?」
「今みたい……。あ、なるほど」
言葉と同時に少し強く握られた手で、私は矢来さんの言わんとしていることを理解した。
「手、繋げないものね」
「うん。せっかく一緒に登校できるのにね。願いが一つ叶ったら、今度はまた別の願いが生まれちゃった」
「ま、それぐらいがいいんじゃない? 私とやりたいことがなくなった、なんて言われたら泣きそうだし」
「海道さんとしたいことならいくらでもあるよ。それに、今みたいずっと湧き出てくると思う」
「なら、ちょっとずつ消化していけばいいのよ」
「じゃあ、今一個いい?」
「なあに?」
街頭と、雲一つない澄んだ空から降ってくる月明かりに照らされた矢来さんの顔が近づいてくる。
まったく、矢来さんは相変わらずワンパターンだ。
だけど、満更でもない自分がいるのも事実で。
黙って矢来さんの唇を受け入れる。手とは打って変わって熱く潤っていた。上唇が軽く食まれ、溶け合って侵食される。
それでも流石に野外だからか、矢来さんはすぐに離れる。
光源が足りず矢来さんの顔色はハッキリとは伺えない。それでも嬉しそうに頬を緩めているのはわかる。
「これで、また一つお願いが叶ったよ」
「それはよかった。ところで」
「うん」
「矢来さんのそのキスしたいってお願い、無限に復活しない?」
「する! なんなら今もした!」
「そうだろうと思った……」
「つまりわたしは海道さんに飽きることはないんだよ」
「口が上手いんだから」
そんな風に言われてしまったら自然と口角が上がってしまう。
表情を隠すように私は矢来さんの手を引いて来た道を振り返った。
「そろそろ帰りましょうか。明日も学校だし」
「うん! あ、帰ったら電話してもいい?」
「お風呂入った後ならね」
「わたしは汚い海道さんでも受け入れるよ」
「そういう意味じゃないんだけど? あと汚い言うな」
まだ身も心も綺麗なはずだ。それこそ、私を汚すとしたら矢来さんだろうに。
……我ながら、この思考は気持ち悪いな。いや、そういう未来が訪れることを期待していないわけじゃないのだけど。
しかし、問題は私たちは女同士なわけで。
どういう行為をすればいいのかイマイチわからないし、いざ行為に及んだ場合経験済みにカウントしていいものなのかも判然としない。だけど、初体験は矢来さんがいい。それだけはハッキリとはしている。
矢来さんは、この手の問題について考えているのだろうか。
手をつなぎ隣を歩く矢来さんを見やる。いつも通り、若干アホっぽいニコニコ笑顔。
少なくとも、今この瞬間矢来さんの頭は私と一緒で楽しい以外の感情はなさそうだ。
まあ、この問題に関しては気軽に構えるのが正解なんだろう。
事に及ぶ前から唸っていたって仕方がない。悩むのは、まあ、矢来さんとそういうことになってからでも遅くはないはずだ。
それが、いつかはさておき。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます