第55話 ちゃあちゃん
2011年7月15日未明、ちゃあちゃん(母方の祖母)が亡くなった。
83歳だった。
同年5月に肺に水が溜まり、救急車で運ばれたとき「もう助からないかもしれません」と医師から宣告を受けたが、見る見るうちに回復し、退院して家で普通に生活していた。
15日の昼間も出歩いていたので(さすがに入院後は体力が低下し、出歩く事は少なくなっていた)、「ああ、随分元気になったなぁ」と安心していた矢先の事だった。
ちゃあちゃんの家に泊まっていた姉曰く、ちゃあちゃんが苦しげに母を呼ぶ声がしたらしい。
姉は慌てて母を起こし、救急車を呼んだ。
ちゃあちゃんは病院に搬送されたが、母と叔父が見守る中、すーっと息を引き取ったらしい。
最後は意識が無くなり、苦しまずに逝けたそうなので、それだけは安心した。
連絡を受けた俺は、ちゃあちゃんの家に向かい、姉と姪っ子と留守番をしていて、病院に向かった父からちゃあちゃんの死を聞いた。
夜中の3時頃、ちゃあちゃんの亡骸は家に戻ってきた。
葬儀屋さんが24時間営業だという事を初めて知った。
翌朝、仕事に向かった。
昼にあるHIPHOPクラスだ。
いつも、どんな事があっても、クラスが始まってしまえば頭が切り替わるのだが、流石に何だか気持ちがそわそわした。
夕方、お坊さんが読経をしてくれた。
法事などでは戒名の部分は、まだ戒名がついていないから、名前のままだった。
弔問に来てくれている人たちと話すと、ちゃあちゃんの知られざるエピソードが飛び出す。
昔、ちゃあちゃんがリーダーとなり、近所の人を
日本人の旅行団体=農協観光と思っていた現地の人に
「ノーキョーサーン!」
と言われ、ちゃあちゃんは即座に
「あたしゃ東京だよ!」
と返したとか。
会話と笑いは人間に必要なものだなぁ、としみじみ思った。
近所のお婆さんたちには本当に救われた。
納棺の前に死に化粧をしたちゃあちゃんは、まるでただ眠っているだけのようで、何だかまだ実感が無かったが、手を触ったら、さっきまでドライアイスで冷やされていたのもあってか、物凄く冷たくて、ああ、死んじゃったんだな、と改めて感じた。
15日の夜、母とこんな話をした。
俺「じいちゃんが死んですぐの正月に、ひろくん(従兄弟)が『そう言えば、じいちゃんの夢を見たよ』って言ってたの、覚えてる?」
母「え?どんな話だっけ?」
俺「うん。ひろくんの家族とちゃあちゃんで、じいちゃんに呼ばれて、何故かインドに行く夢。空港に着くと『よく来たな』ってじいちゃんが迎えに来てて、ホテルの一室に案内されるの。で、その話を聞いてたちゃあちゃんが、ひろくんに間取りの事とか色々質問始めてさ、『浩之、この紙にその間取りを描いてごらん』って描かせて、『この部屋にお父さん(じいちゃん)と泊まった!』って言い出してさ」
母「あ!あった!あった!そんな話!」
俺「ちゃあちゃんが『お父さん、“俺がもし死んだらここ(インド)にいるよ。お釈迦様の国だしね”ってやけにインドが気に入っちゃってねぇ』って言って、もし、霊魂というものが本当にあるとするならば、じいちゃんはインドにいるのかもね、なんて話してたじゃない?」
母「うん」
俺「ちゃあちゃんは、何処に行くのかねぇ?」
母「何処だろうねぇ?」
ちゃあちゃんは子供たちの結婚を機に世界中を旅して廻った。
恐らく、北極、南極以外の大陸には行ったと思う。
いつもは気丈な母が、流石に気落ちしていた。
ちゃあちゃんの性格上、笑って送って欲しいと思うはずだ、そう思った僕は落語好きな母に『黄金餅』に出て来る
「金魚ォ、金魚ォ、
すると、涙ぐんでいた母がケラケラと笑い出した。落語の力って凄い、と思った一瞬だった。
ちゃあちゃんの人生は、波乱万丈の人生だった。
見合い結婚が当たり前だった戦時中、じいちゃんと恋愛結婚をし、戦争で兄たちを失い、東京の焼け野原で
東京の復興と共に生きて、世界中に旅行に行けるようになったちゃあちゃんは、我が祖母ながら、物凄い豪快な人物だったと思う。
やっと、じいちゃんとまた一緒になれるね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます