第195話 準備

 「――それでは、今から卒業式の準備に取り掛かってもらう。二年一組のみなさん、本日はよろしくお願いします」


 ステージ前に集められた俺たち二年一組の総勢四十名は、校長先生か教頭先生かの話を聞いていた。

 ここに来るまでの廊下では、「あぁだりぃ」だの、「早く帰りた~い」だの、始まる前からどんよりとした空気感に支配されていた。


 しかし、そんな雰囲気になってしまうのも無理はない。

 だって、彼ら彼女らは部活に入っていたり、放課後に友達とショッピングしたりと、本来であればそっちの予定を優先させたいと思っているからだ。


 それを学校の、それも自分たちの知らないところで勝手に決められてしまおうものなら、不満の一つや二つくらいは出てきても何もおかしいことではない。

 昨日は、柳先生のあの打ちひしがれた表情に、誰も文句を言うことができなかったが、先生の目と耳の届かない範囲であれば、やはり本音がこぼれてしまうのかもしれない。


 かくいう俺も、実はそっち側の人間ではあった。

 しかし、俺の横を歩いている彼女はどうやらちょっと捉え方が違っているようだった。


 「ねぇねぇ伊織」


 「どうしたの?」


 「なんか……ワクワクするね!」


 「え、何が……?」


 素で疑問が声に出てしまった。

 ぶっちゃけ、何をどうしたらこの卒業式準備というものにワクワクする要素を見出せるのかが、脳をフル回転させてもわからなかったからだ。


 「だって、わたしたちが先輩たちの新たな門出に関われるんだよ? 楽しみだし、先輩たちに良い思い出を作って卒業してもらいたいな~って」


 「ゆ、結衣……」


 泣きそうになった。涙腺が緩んでしまったのはここだけの話にしておこう。

 結衣は聖人か何かだっけ……?

 本気で追う思ってしまうほど、今の言葉が純粋で、嘘なんてこれっぽっちも含まれてなくて、正真正銘の本音で紡がれていたから。


 「結衣はお世話になった先輩とかたくさんいる?」


 「うん! テニス部の先輩はもちろんなんだけど、それ以外にもたくさんいるんだよ!」


 「そっか……」


 たくさんの良き先輩に囲まれた結衣は、きっと高校生活が俺なんかよりもずっと充実しているのだろう。


 「伊織は? 伊織はお世話になった先輩とかいるの?」


 「あ、あぁ……俺は……まぁ、色々な意味でお世話になった人なら……」


 体育祭のときにひと悶着あった竹下先輩。文化祭実行委員長の松山先輩。

 そのときいっぱいのかかわりだったかもしれなかったが、それでもそのときの印象が強すぎて、今でもそのときの光景が鮮明に思い出されてしまう。


 「じゃあ、伊織もその人たちのために一生懸命準備しないとだね!」


 「そ、そうだね……」


 何でその人たちのために――なんて言いたくなったけど、結衣のこの濁り一つない笑顔で言われてしまったら、自分の考えていることが泥水のように濁っているように思えてしまう。

 だから俺はその言葉をぐっと飲みこんで、代わりに小さく頷いた。


 前に立っている先生からのひと通りの説明が終わると、早速作業に取り掛かることになった。

 あんな決まり方をして、本当にチームワークを発揮して準備なんてできるのかと正直不安な部分は多々あった。

 それでも、一年という時間をかけてじっくりと形作られたクラス内の結束力は、俺が思っていたよりもずっと強くそして固いものだったらしい。


 流れるような作業進行を目の当たりにしてしまえば、学校のお偉いさんたちが言っていたことも、少しは賛同できそうな気がしなくもない。いや、もちろん柳先生の意見にも賛成賛同してるんだけどねっ!


 体育館の床にシートを引き、ぴんと張ったテープに沿って椅子を並べていく。

 しかし、驚いたことに、体育館一杯に並べていく何百という数の椅子がステージ下に眠っていたのだ。


 「こちらに持って来てくれ」という声のする方に、両腕に一体いくつのパイプ椅子を抱えて往復したことだろうか。これはもう筋肉痛確定だろう。帰ったらサロンパスでも貼ろうかな。


 「――よし、一組の生徒はこっちに集合してくれ!」


 準備があらかた終わったところで、柳先生の声が体育館に響く。

 それを聞いたクラス四十人近くが、ぞろぞろと体育館後方のちょっとしたスペースに集まって行く。


 「えー、それでは。こちらの事情で手伝わせてしまって本当に申し訳なかった」


 「あはは~。たしかにそうだけど、意外と楽しかったよね~」


 「それな~。お前ロープに足引っ掛かって盛大にこけたもんな!」


 「ちょっ⁉ それをここでいう必要はないだろ⁉」


 「いいじゃん別に~」


 最初は乗り気じゃなかった生徒も、どうやら何だかんだ言って楽しく準備ができたのかもしれない。

 そんな様子を見た柳先生の表情は、少し和らいだように見える。


 「それはよかった……のか? まぁ、いい。お前たちが嫌な顔をせずに最後まで付き合ってくれたおかげで、今年も無事卒業式ができそうだ」


 「先生大げさ~」


 「そ、そうだな……少し大げさだったかもしれないな……」


 ふぅ、と大きく息をつくと、柳先生は周りを見渡す。


 「――いつ言おうかタイミングを計り損ねていたが、ここで言うとするか」


 え、何を……?

 このちょっと感動的(?)な雰囲気。実は私今年度限りで異動することになったとか? ないそれ急過ぎで心の整理が整わないんだけど――


 「準備は後ろが決まっているから迅速に進めなければいけないということで、クラス単位でやってもらったが、片付けに関しては、別にそうでなければならないわけではないという上の判断が出た」


 あ、先生の異動とかではないのね。

 ということはつまり……?


 「片付けに関しては、各クラスからくじ引きをして代表者四名を選出することになった」


 「「「おぉ~‼」」」


 先生やったね! ついに自分の意見が上に通ったんだね!

 柳先生に労いお祝いの言葉を送ろうかと思ったが、しかし、ある場所に引っ掛かりを覚える。


 分散選出になったのはいいけど、やっぱりそこはくじ引きなのね。推薦とか指名とか、学級委員がやるとか、そういうのではなくて、あくまでもくじ引きシステムを貫くのね。

 なにそれ、この学校くじ引き好き過ぎかよ。

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