第150話 舞台
石に願いを込めてその場所を後にすると、視界が真っ暗に慣れる前にすぐに出口に辿り着いた。
どうも俺たち人間は、暗闇から光が当たる場所に出ると睡眠状態から起床したと勘違いでもするのだろうか。ここから出た人たちはほとんどみんな大きく伸びをしている。
そんな彼ら彼女らの行動が光合成をしているみたいに見えてきて、ちょっと笑いがこみ上げてくる。
そういえば、受付のおじさんが、この胎内めぐりをすると「心が生まれ変わる」とか何とか言ってたな。
腕時計を見る限り、入る前から十分もたっていないが、どこかすっきりしたような気分になったような気がしないでもない。
あの石とか暗闇に何か霊的な効果があるとは到底思えない。
しかし、こうして大々的に「ご利益がある」と言われるようになったのは、俺たちの単なる「思い込み」の側面が強いのではないだろうか。
「病は気から」という言葉にあるように、人間は自らの精神状態で体調を左右されてしまうくらいに脆弱な生き物だ。
逆説的に、そういった思い込みはプラスにも作用することがあるのであり、ご利益を感じた人から知らない人へ――。そうした伝播が一種の共通認識を生み出したのかもしれない。
俺は大きく息を吸うと、両手を空高くに突き上げて、ゆっくりと息を吐く――今、光合成できたかな……? できるかな……? できるわけないよね……はい。
それから俺たちは順路に従って轟門をくぐり、回廊を抜けると、ついに本丸中の本丸、清水の舞台――の前に、本堂を見ることにした。
「へぇー、清水寺といえば『清水の舞台』だと思ってたから、ここに仏像があるって知らなかったよー」
薄暗い本堂をゆっくりと歩きながら、北間さんが感心したようにつぶやく。
どうしてもこういうスピリチュアルなところって声のトーンを落としたくなっちゃうよね。
わかる、ものすごくわかる。何なら、俺は教室でも声のトーンを落としてる――いや、むしろ声すら発してないこともある。
ということは、俺の中では教室も大変スピリチュアルな場所として認識してるのか。……よし、これからは毎日のお参りを欠かさずにしなきゃね。
「――あれ~、清水寺の仏像って……何か変じゃない……?」
「あっ、たしかに……。腕がぴょーんってなってるね……」
高橋さんと結衣は「それ」に気付いたようだった。
「おっ、二人とも、お目が高い。さすが文系日本史選択は違うね」
「やっぱり何かあるんだね~、高岡先生」
「先生はやめてくれ……。そ、そう。清水寺の千手観音は左右の腕を頭の上に伸ばして、釈迦如来像の形をした仏像を持ってるんだよ」
「あっ、本当だ! 手の上にちっちゃい仏像が乗ってる! かわいい~!」
結衣は指をさして喜んでいる。こらこら、仏様に指をさしちゃいけません。
でも「かわいい~!」と言っている結衣も「かわいい~」から許す。もはやかわいいは正義、ジャスティス。
それからさらに進むと、要約皆さんお待ちかね、清水の舞台のお出ましだ。
そこから見える絶景を早く見たいとは思ったが、それを物理的に阻んでくるのが「人」だ。
とにかくここだけ異常に人が多い。
制服姿の学生ももちろん多くて、中には見たことのあるような顔もちらほら見えるが、それでも圧倒的に多いのはその他大勢の一般の観光客だった。
「清水寺といえば?」と聞かれてこの場所を言わない人の方が珍しい。
だから「清水型十一面千手観音像」と答えるようなやつがいたら、そいつは相当の歴史マニアかひねくれ者で間違いない。
後者であれば、きっとそれを聞いた質問者がその後の言葉に詰まって冷や汗を流すのを見て快感に思っているのだろう(偏見)。
ようやく人の壁から抜け出し、欄干へと繰り出す。
「「「「うわぁ……」」」」
四人の声が重なって流れていく。
眼下に広がる景色は絶景と言わずして何と言えばいいだろうか。
紅葉で色付いた山肌のモザイク模様と、その先に広がっている京都市内の街並み。「自然」と「人工」という相反する景色が一度に目に飛び込んでくる。
「――そ~だ。忘れないうちに写真、写真!」
高橋さんは思い出したようにポケットから携帯を取り出すと、さっきと同じ要領で、見知らぬ人にお願いをしに行った。
「――ありがとうございました~。……じゃあ、次は結衣と高岡くんね」
「うんうん、そーしよー」
そして四人での撮影が終わると、高橋さんと北間さんはまた俺と結衣のツーショットを撮ると言い出したのだ。
さっきからの疑問がまた一段と深まる。なんでこの二人はこうもツーショットを撮ろうとしてくるのだろうか……。
「あ、その後は私と瑞希で撮ってくれる~?」
「わ、わかった……」
俺と結衣は欄干に残ってさっきみたく近づいてピース。
「うんうん、いい感じだね~」
「じゃ、じゃあ次は俺が撮るよ」
俺と結衣が欄干から退き、その場所に北間さんと高橋さんが入れ替わるように立つ。
「行くよ。はいチーズ……うん、撮れたよ」
お互いに撮れた写真を見せ合う。うん、さっきよりかはましな顔で映っているからよしとしよう。
後ろで待っている人に場所を譲り、さて次のスポットへ行こうとしたところで、結衣の手が俺の肩に触れる。
「――どうしたの……?」
「あ、あのね……さすがに伊織に黙っておくのは申し訳ないと思って……」
「う、うん……」
「実は、昨日ね――」
そう言って結衣は昨日の女子部屋での一件を俺に話してくれた。
「――ってなって、あの二人に付き合ってることを話しちゃって……。だからたぶんツーショットを撮ろうとしてくるんじゃないかなって。今まで黙っててごめんね」
「そういうことだったのか~」
今日の観光が始まってから感じていた違和感がすっきり飛んでいった。
「い、伊織……怒ってる?」
結衣はかすれるような声で小さく尋ねる。
「いやいやいや、そんなことないって。まぁ、そうなったら俺も隠せる自信がないから、しょうがないと思う」
「あ、ありがとう……」
結衣はほっと息をつき、そして人の塊の先に見える景色をもう一度眺める。
「――こんなにきれいな景色を伊織と見れて……よかったな」
「っ……⁉ げほっ、げほっ」
水を飲んでいた俺は、そのお言葉に思わずむせてしまう。
「い、伊織っ……⁉ だいじょうぶ?」
「う、うん。大丈夫大丈夫……あはは」
咳払いをしてつっかえを取ると、俺も結衣と同じ方向に視線を向ける。
「――俺もだよ」
ちょうどそこで風が通り過ぎ、二人の言葉を静かに掬い取っていった。
「――ちょっとー、お二人さーん、そこで突っ立ってるとおいて行っちゃうよー」
北間さんの声が耳に入ってきて、慌ててそちらを振り返る。
「ちょ、瑞希……何いい雰囲気の二人に割り込んでんのよまったく……」
高橋さんは小さな声で北間さんを止めようとしているけど……ちゃんと聞こえました。
「――ご、ごめん二人とも! 結衣、行こう」
俺と結衣は、少し前を歩く二人に急ぎ足で向かった。
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