第149話 願い事

 身震いをしつつも、やなg――じゃなくて仁王像の横をくぐり抜け、階段をのぼりながら鐘楼を横目に通り過ぎていく。


 すると、三重塔がすぐ横に鎮座しているのが視界に飛び込んできた。

 さっき遠目から見ていても迫力を感じていたが、目の前に来ると、その圧巻のたたずまいに、思わず立ち止まって見入ってしまう。


 さぞかしここに来ている人という人が壮大な朱色の塔に視線やカメラを向けているのだろうと思っていた。

 しかし、俺の予想に反して、人の流れは鮮やかな朱色ではなく、正面にあるお堂に向かって流れていた。


 「どうしてみんなそっち行くんだ……?」


 俺が慌てて境内マップが描かれているパンフレットを開こうとすると、「それきた!」と言わんばかりに、北間さんの目が光った。


 「ふふふ、高岡くん。さっきは物知りだと思ったけど、どうやら清水寺の大事なスポットの一つを見落としているようだね……」


 「な、何だって……⁉」


 そんなはずはない……はずだが。


 「清水寺は『清水の舞台』と『三重塔』が有名どころだから、そこについては結構深く調べて来たけど、もしかして、それ以外にも隠れ有名スポットがあるとか……?」

 

 「甘いっ!」


 北間さんは俺の言葉を即座に一刀両断した。


 「これから回るところはまた後で言うとして……。まず、たくさん人が向かってる正面のあのお堂は『随求堂』っていうの」


 「ズ、ズイグウドウ……?」


 「そう。あのお堂の中には、人々の求めに随って願いをかなえてくれる仏様がいるんだって」


 「ふんふん」


 「で、あのお堂を『母親のお腹』に見立てて、その中を歩くから、『胎内めぐり』って呼ばれてて、そこでお願いしたことは何でも一つだけ叶えてくれるんだって」


 「へ、へぇ……それは全くのノーマークだったな……」


 思わず納得の息を漏らす。

 自分の知っていることだけを深く調べたところで、所詮それでカバーすることができる範囲はたかが知れている。


 それは大型トラックを運転しているようなもので、どうしても知っていることと知らないことで、知識の死角が生まれてしまう。

 そういう意味では、一つを極めることはできなくても、何事も広く浅くが無知をなくすということに関してはベターな方法なのかもしれないな。


 「やったー、何か高岡くんに勝ったって感じで嬉しいな!」


 「そ、そうですかぃ……」


 うぅ、やはり面と向かって負けを突きつけられるのは悔しい。よし、明日回るところは今日中にあらかた調べておくか。


 「とりあえず混んでこないうちに行こーよ!」


 北間さんは先頭を切って歩き始め、俺たちもそれについて行く。

 入口に立っているおじさんの説明を受け、靴を脱ぎ、百円を払って中に進んで行く。

 激混みとまではいわないまでも、さすが京都の名所なだけあって、すんなりと人を気にすることなく進むことはできないようだ。


 「じゃあ、私と奈緒は先に行くから、お二人はその後でー」


 「え、ちょっと、北間さん……? 四人で行けば……って、あぁ……行っちゃったよ」


 俺が引き留めようとするも、北間さんと高橋さんはそそくさと階段の先の暗闇に姿を消してしまった。


 「え、えっと……じゃあ行こうか、結衣」


 「あ、あはは……そうだね」


 俺と結衣も先の二人を追うように階段を下りていく。

 一段降りる度に、どんどんと視界から光が消えていき、しばらくすると完全に真っ暗になってしまい、すぐ隣にいる結衣の姿すら見えない。

 ……え、結衣、いるよね。俺一人じゃないよね……? 俺こういうの結構真面目な方で苦手だから、一人取り残されるとか、マジで勘弁してねっ!


 すると、距離感は全くつかめないが、前の方で先に入って行った北間さんと高橋さんの声がした。


 「――待って待って、これちょっと暗すぎなんだけどー。奈緒―、聞こえて――って、あんたどこ触ってんの!」


 「え~何が~? 手の先もよく見えないから、どこ触ってるのかわからな~い!」


 「今あんたが触ってるのは――って、言わせるなバカっ!」


 真っ暗で見えないだろうけど、周りにはきっと他の観光客もいるんですよ、お二人さん……。もう少しクールに行きましょうよ、クールに。


 暗闇で視覚が完全にシャットダウンされてしまった今、頼りになるのは人の声と左手で掴んでいる数珠くらい。

 目の前がどうなっているのかすらわからないから、石橋を叩いて渡るようにゆっくりと壁際の数珠に沿って足を前に出す。


 視覚が失われた分、その他の感覚機能にステータス配分でもされているのだろうか。妙に聴覚、触覚が冴えわたるような感じがしてきた。

 さっきよりも周りのひそひそとした会話も耳に入ってくるし、左手に当たっている数珠に神経が集中している。さらに言えば、足元からの冷気で身体がぶるっと震える。


 今が十一月であることに加え、常に日が当たらないこの場所は、気温以上にずっと冷え込んでいる。

 今しがた肌をそっと撫でていったひんやりとしたのは、冷気だよね。「霊気」じゃないよね……。


 そのとき、制服の裾がくいっと引っ張られる。さっきのはやはり霊気だったのか……⁉

 思わず身体がビクッと跳ね上がる。


 「――い、伊織……そこにいるよね」


 「ゆ、結衣か……大丈夫。今結衣が掴んでるのは俺の制服だから」


 あ、焦ったぁ~。暗闇だと、どうしてもそういう方向に考えがちなもんで……。

 しかし、どうしたものか。俺の制服を掴む手は腰、背中と移動して、右手に到達したのだ。


 「ゆ、結衣さん……?」


 「暗くて誰も見てないから……いいでしょ?」


 あぁ……そんなこと言われたら心臓がアウトバーンになってしまうでしょ……。

 全身の血の巡りが以上に早くなるし、結衣と手を繋いでいるなんて。しかも暗闇でお互いが見えないのに……。 

 右手に結衣の小さな手の温かさを感じて、嬉しいような、恥ずかしいような……。


 でも、そんな動揺を結衣に悟られぬように進んで行く。

 すると、視界の先にぼんやりとした光が見えてきた。さっきまで本当に何も見えなかっただけに、ちょっとまぶしさすら感じる。

 その光の前に行くと、石が照らされていた。


 「これを回して願い事するんだって。……い、一緒に回そ?」


 「お、おう……」


 俺と結衣はそっとお互いの手を放し、その石へ向け、二人でそれを回した。


 「――ねぇ伊織。なんてお願いした……?」


 「えっ……、そ、それは内緒。他の人に言うと、仏様は願い事を叶えてくれないらしいよ」


 「そうなの……⁉ 危なかった~、わたし、今伊織に言おうとしてたよ……」


 咄嗟に思いついたよくある言葉で、何とか乗り切る。


 ――これからも、結衣と一緒にいられますように。


 こんなこと、本人の前で言えるかっての――。

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