第144話 攻防

 ひよりちゃんの男子撃退もあって、女子の露天風呂は平和な時が流れ始める。

 広い広い露天風呂で泳ぎ始める子、まるで海水浴場にいるみたいにお湯をかけ合いっこする子、ただただ湯船に浸かって身体を温めながら友達とおしゃべりする子などなど……。


 ちなみに、わたしと瑞希ちゃん、奈緒ちゃんはそのうちのひとつで、露天風呂の端っこで三人肩を並べながら、その光景をぼーっと眺めていた。


 「それにしても、この温泉気持ちいねぇ~」


 「そうだねー」


 奈緒ちゃんと瑞希ちゃんは大きく息をついて気持ちよさそうに湯船に浸かっている。

 わたしも二人に倣って「ふぅ~」と息をつく。そうすることで、今日一日の疲れが溶け出していくような感覚を覚える。


 観光地の温泉は、やっぱり家で入るお風呂よりも何倍も心地よく感じる。

 もちろん「炭酸泉」とか「アルカリ泉」とかで、疲労回復とか冷え性改善とかいった効能があるからだというのはあると思うけど、それ以上に、こうやってお友達と一緒に湯船に浸かって他愛もない話をすることこそが、一番の効能だったりして……。


 しかし、そんなゆったりとした心地いい時間も長くは続かないのが修学旅行というものかもしれない。

 ひと際強い風が露天風呂を駆け抜けたとき、不意に瑞希ちゃんが口を開く。


 「――そういえばさ……」


 その微妙な間に何やら不穏な空気を感じる。

 しかし、続けて瑞希ちゃんは夜空に向かってぽつりとつぶやくように息を吐く。


 「――奈緒って意外と大きいよね……」


 「えっ……?」


 突然の言葉に、奈緒ちゃんは動揺を見せる。


 「お、大きいって何が……?」


 奈緒ちゃんの額に一粒の雫が伝う。それは温泉の水滴か、冷や汗なのか……わたしにはわからなかった。

 その雫が奈緒ちゃんの額を伝う間は、周りの時が止まったように静まり返っていた。

 しかし、それが湯船に落ちた瞬間、一気に時間が加速したように瑞希ちゃんが奈緒ちゃんの胸にその両手を伸ばしてがっしりと掴んだ。


 「とりゃー!」


 「ちょ、ちょっと瑞希、何してんのよ!」


 「うるさいっ! 奈緒がこんなに大きな果実をたぷたぷと湯船に浮かべていているのが悪いんだ! この贅沢野郎め!」


「あっ、ちょっとほんとにやめ……あっ……」


「どうしたらこんなに大きくなれるんだよ! ちょっとうらやましいぞこのこのー!」


 奈緒ちゃんは必死に抵抗するも、瑞希ちゃんは一向にその両手を奈緒ちゃんの胸から離さない。それどころか、動きがどんどんと激しくなっていく。

 湯船に浮かんでいる二つの膨らみが水面に浮かんだり沈んだりを繰り返していて、さっきまでの穏やかな時間は過去のものと化していた。

 しかし、やられてばかりではないのが奈緒ちゃんだった。


 「み、瑞希~! あんた、いい加減にしなさいよ~!」


 ちょっとした隙をついて奈緒ちゃんも瑞希ちゃんの胸に両手を伸ばす。


 「ふんっ! あんたも羨ましいんだったら、私が揉みしだいてあげるよ! そうすれば大きくなるかもよ!」


 二人ともお互いの胸に手を伸ばしている。


 「な、奈緒……お前の揉み方は何かこう……っ……手つきが……あっ……シンプルにエロいな……っ!」


 客観的に見る限りでは、先に仕掛けた瑞希ちゃんはスタミナ切れっぽくて、逆に今のところでは奈緒ちゃんが優勢に見える。


 それにしても、わたしのすぐ近くでこんなことが起きるなんて、想像もしていなかった。

 普段からわたしを含めた三人でいることが多い。その中でもこの二人は仲がいいから、教室でもじゃれ合っている。

 でも、こんなに顔を上気させてまで胸をもみ合っているなんて……なんかとてもシュールな感じがする……。


 そのときのわたしはそんな他人事のように見ているだけだったけど、後々後悔することになる――どうしてこの二人からはやく距離を取らなかったのかって。


 二人のすぐ近くでその光景を眺めていると、突然二人の手がピタッと止まると、その視線が一斉にわたしの胸元に向いたのだ。


 「――そういえばさ……ねぇ、奈緒」


 「――そうだね……瑞希」


 「え、えっ……。どうしたの二人とも……?」


 さっきまで暴れていた証拠に、湯船が波打っていて、ちゃぷんちゃぷんと、わたしの身体にぶつかる。


 「結衣はさ……自分の胸って、どう思う……?」


 「わ、わたしの……?」


 視線を下に移すと、たしかに二つの膨らみは見えるけど、決して奈緒ちゃんとか瑞希ちゃんには及んではいないと思う。


 「わ、わたしは……まぁまぁぼちぼちってところかな……あはは」


 「「へぇ……」」


 低い口調でそう頷くと、二人は徐々にわたしとの距離を詰める。


 「どれどれ。本当にそうか私たちが調べてあげるよ……」


 わたしを見る二人の顔は、いつものそれではなかった。

 まるで、獲物を虎視眈々と狙う獣のようだった。


 「い、いえ……そういうのは本当にだいじょうぶなんです……」


 とてつもない恐怖を感じ、とっさに両手で胸を抱き、後ずさりする。

 しかし、もともといた場所が悪かった。すぐに露天風呂の縁の岩に背中が当たる感触がする。


 「逃げなくていいんだよぉ~、結衣……」


 「そうそう。ほらー、湯船に隠してないでしっかりと私たちにも見せてよー。女の子同士なんだから……」


 「み、瑞希ちゃん……? な、奈緒ちゃん……? 二人とも落ち着いて、落ち着いてって……」


 「結衣ー、私たちはとっても冷静だよー」


 「結衣が暴れちゃったらわからないけどね~」


 そしてわたしと瑞希ちゃん、奈緒ちゃんの距離が1mにも満たなくなったところで、二人が目を合わせてうんとうなずいた。


 「かかれー!」


 「うぉりゃ~!」


 「ちょ、ちょっと二人とも! や、やめてぇ~」


 「ざっぶ~ん」と湯船が大きく空高くに舞い上がり、わたしの叫び声が露天風呂中に響き渡った。

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