第91話 小道
「――ごめ〜ん!」
遠くの方から達也が手を振りながらこちらにやってくるのが見えた。
「ほんと悪かった……」
達也はぜぇぜぇと肩で息をしながら深々と頭を下げる。
せっかくの海水浴の日に寝坊なんて言語道断。もしのうのうと来ようものなら、一発ボディーブローでもお見舞いしてやろうと思っていたのだが、ここまで素直に謝られると怒るに怒れない。
「まあ、とりあえず。言い訳とかは後で聞くから、とりあえず海行くか」
「そうだねっ!」
「そうね……。達也には後でたぁっぷり働いてもらうから……」
近藤さんの後に、不気味な言葉を残しつつ、佳奈さんは先頭切って歩き始める。
俺は近藤さんと、海であれをしたいこれをしたいなどとおしゃべりをしながら佳奈さんに付いて行った。
しかし、歩き始めてすぐ、佳奈さんが最寄りの海水浴場に向かう道ではなく、なぜが改札の方に歩いていくのに気付いた。
「佳奈さん。海はこっちじゃない?」
ここに何年も住んでいるなら、海までの道くらいマップを見なくても行けるはずなのに。まさか道を間違えた……なんてことはどうしても考えられない。
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「何を?」
そのにんまりとした顔、やめてもらえません? すごく怖いので……。
「今日はちょっとだけ遠出します」
「えっ、マジ⁉」
ほぉら言わんこっちゃない。何だ、俺たちは今からどこへ連れて行かれるの?
表面上は海水浴と謳いつつ、実は断崖絶壁から飛び込み大会――なんてことはないよね……?
「まぁ、遠出っていっても電車ですぐいけるところだから、そんなに遠出って感じじゃないかもだけど」
「そ、そうなんだ……」
その「すぐ行ける」っていう言葉にもう怪しい匂いがプンプンと漂ってくるように感じるのは俺だけですかね……。
もしかして俺以外の全員が知っていて、俺だけ知らない――なんてことはないよね……? ……ね?
「――おぉ! ちょうど電車来るじゃん! ラッキー!」
佳奈さんは俺の心配をよそに、ホームに滑り込んできた電車を指さしながら軽快な足取りで階段を下って行ってしまった。
俺たちも置いて行かれまいと、佳奈さんに続いて電車に乗り込む。
たまたま席が空いていたから、達也、佳奈さん、近藤さん、俺の順番で座席に横一直線に座っていく。
電車の中は灼熱の外気とはうって変わり、異常なまでに冷房が効いていて、汗ばんだ身体が一気に冷え始める。
思わず「さっむ……」と独り言をつぶやくと、
「ほ、本当だね……。夏とは思えない……」
隣に座っている近藤さんが両手で身体を抱き、小刻みにプルプルと震えていた。
「だ、大丈夫⁉」
「う、うん……。暑くなるって言ってたから、結構薄着できちゃったんだけど、まさかここまで冷房が効いているとは思わなかったよ。いつもの通学で使う電車とは比べ物にならないくらい……」
「え、えっと……」
心なしかさっきより唇が青くなってきているようにも見える近藤さんをこのまま放っておいたら、海に着く前に体調を崩してしまうかもしれない。
「――こ、近藤さん。これ、もしよかったら使ってよ」
俺は自分の身体を拭くために持ってきた大きめのタオルを鞄から取り出して近藤さんに渡す。
「あ。ありがとう……」
近藤さんはそれを肩から掛けて深呼吸をする。すると、さっきまで目に見えていた震えも徐々に落ち着いてきて、唇の色ももとの艶のあるピンク色に戻っていった。
俺はそれを見て一安心。注意をもとに戻し、目を閉じた。
それから乗り換えを挟み、さらに電車に乗って揺られること数十分。
「この駅で降りま~す」
佳奈さんが立ち上がるのを見て、残りの三人も席を立つ。
ここから歩いて――と思いきや、バスに乗る。そしてまたまた揺られること十数分。
海の真ん前――ではなくて、なぜか辺境の地で佳奈さんは下車ボタンを押した。佳奈さん曰く、「おしゃれな道だから歩こう」とのこと。
俺らが反対したところで佳奈さんにかなうとは思えず、抗議の声は自分の中に押しとどめることにした。
バス停を降りると、強く濃い潮風が頬を撫でる。
海沿いに住んでいるから潮風を感じるのはいつものことで、普段は何も感じることはないけど、どこかに遊びに行って感じるこの潮風は、どこか特別で心地いい。
自分が浮かれているからそう感じるだけかもしれないが、それはそれでいいのかもしれない。それだけ何かに楽しみを抱けるようになったのだから。
俺は息をめいいっぱいに吸い込んで歩き出す。
しかし、バス停を出発してしばらくすると、車が通れるような通りはほとんどなくなり、あたりは背丈の高い塀に囲まれた小道へと様変わりする。
これが佳奈さんの言っていた「おしゃれな道」なのか。
その塀を形成している石垣は苔が生えているのだろうか、少し緑がかっていて、そこに長い年月経ち続けていることを無言のうちに示しているようだった。
それをさらに頭上から覆うように深緑の木々が伸びている。これが真夏の日差しを遮ってくれるから、日陰はさっきまで歩いていた道路とは段違いに涼しくなる。
小道は曲がり角が多く、地図なしで来てしまったら、きっと迷路のように感じてしまうだろう。
ただ、佳奈さんは迷うようなそぶりを見せることなく先頭で突き進んでいる。おそらく案内アプリでも使っているのだろう。まさかこんな細かい道まで頭に入っているなんてないよね……?
小道を歩き始めてからもうどれくらいたっただろうか。いくら涼しいとはいえ、それでも25℃くらいはあるだろうし、それにずっと歩いていると多少なりとも疲れだって出てくる。
そう思っていたが、ここに来てアスファルトを踏む足に砂の感触を覚える。それはたしかにさっきまでは感じなかったもので、着実に海に近づいていることの証左であった。
それからすぐに日陰が途切れ、日向に出たかと思うと、まっすぐの道の向こうに太陽に照らせれてきらめくさざ波が見えてきた。
小道に入ってから終始無言だった俺たちは一気にやる気が戻ってくる。
「やっと着いた~!」「よし、このまま突っ走れ~!」
佳奈さんと達也はそのまま走って行ってしまった。
「高岡くんも、早く泳ごうよ!」
近藤さんが俺の裾を引っ張ってくる。
「そうだね。よし、行こう!」
「うん!」
俺は走り始める近藤さんに引っ張られながら、海岸までの直線を駆け出した――。
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