第88話 フラグ

 ベッドの上でダラダラしていると、携帯が着信を知らせる通知とともに振動し始める。

 俺はよいしょと起き上がって机の上に置いてある携帯を手に取って画面を確認する。そして息を呑んだ。


 なぜなら、相手が近藤さんだったからだ。

 最近は二人で会話することはあっても、電話をすることなんてしばらくしていなかった気がする。


 面と向かっていないから直接会って話すよりも平気という人もいるが、相手の顔が見えない分、自分の言葉にどう反応しているかを声だけで判断しないといけないから、俺はむしろ電話の方が緊張してしまうことが多い。

 俺は「ふぅ」と深呼吸をしてから、通話ボタンをタップする。


 「――も、もしもし?」


 「あ、もしもし……高岡くん?」


 通話口からは、近藤さんの声が聞こえてくる。それについ安心してしまうのだったが、いつもの優しい声音に加えて、近藤さんの声には少し戸惑いが混じっているようにも感じた。


 「ど、どうしたの……?」


 「え、えっとね……。つ、次の水曜日って予定あったりする……?」


 「水曜日……? 特に予定はないけど……」


 「じゃ、じゃあさ、その日に佳奈と海に行こうって話になってて……。それに高岡くんもどうかなって思って……」


 「う、海……⁉」


 俺は驚きが隠せず、大きな声を出してしまった。


 「そ、そうだよね……。いきなりこんなこと言われたらその反応になっちゃうよね……」


 「あっ、いや、その……今のは嫌とかじゃなくて……」


 違うんだ。違うんだ、近藤さん!

 近藤さんと海に行くのが嫌なわけがないじゃないか。どんな予定があったとしても俺は近藤さんの方を優先するに決まっている。そうすると断言できる。いつでも近藤さんファーストだよ!


 ただ、俺の内心を上手く伝えることができなかったせいで、近藤さんは明らかにテンションが落ちてしまっていた。


 「近藤さん、その日に一緒に海に行ける……いや、行きたい。俺も近藤さんと海に行って遊びたい!」


 「本当に?」


 「うん、本当に!」


 「そ、そっかぁ……よかった」 


 近藤さんはそう安堵の声を漏らす。


 「ちなみに、どこの海水浴場にするの?」


 「それなんだけどね。佳奈がこれから決めるって言ってたから、わかったらまた連絡するよ」


「そっか。まぁ、海はすぐ目の前にあるから、そんなに悩むこともないと思うけどね」


 今住んでいるところからさほど遠くない場所に海が広がっていて、毎年大勢の観光客が海水浴をしに訪れている。だから、このあたりの人たちも海水浴といったら対外はここでしていると思う。


 「たしかに……」


 近藤さんは「ふふふ」と笑みをこぼしていたのだが、


 「あっ、そうだ」


 そう言って急に黙り込んでしまった。


 「……近藤さん?」


 俺の反応にも応じることなく、こちらに聞こえるか聞こえないか程度の独り言をブツブツとつぶやいている。

 そして、小さく「よしっ」と言ってから、近藤さんの声がまた大きく聞こえ始める。


 「一緒に海に行けるのはいいんだけどね。その、あの、えっと……」


 だが、聞こえてきた声は、所々で躓いてしまっていて、明らかに何か悩んでいるようだった。


 「……だ、大丈夫?」


 「あっ……ごめんね。これから話そうと思っていることがちょっと言い出しづらくて……」


 「そ、そんなに重大なこと?」


 近藤さんが何を言い出そうとしているのかまったく見当がつかない俺は、あれこれと想像するのではなく、近藤さんに話を促すことにした。


 「えっと……驚かないで聞いてくれるかな……?」


 「う、うん……」


 「うん」とは言ったものの、「驚かないで聞いてくれ」と前置きされてから言われることほど腰を抜かしてしまう衝撃的な内容であることは、漫画やアニメでは鉄板の流れなんだよな……。

 ま、まさか現実でそんなことなんて起きるはずがないよね……。


 「――海に来ていく水着を……一緒に選んでくれませんか?」


 「ぶはっ⁉」


 これは決して擬音語でもなんでもなく、正真正銘、俺の口から出た言葉だ。

 ちょ、ちょっと……フラグ回収早すぎません?

 定石な展開ではあるものの、これが実際に自分の身に起きるとまったく平常心を保っていることはできず、俺はたちまちベッドから転げ落ちてしまった。


 腰を強打してしまい、その音に電話口からは「だ、だいじょうぶ?」という焦りを帯びた声が聞こえてくる。

 俺は痛みに耐えながらも電話口の向こうに「大丈夫」と返す。


 「え、えっと……。俺が一緒に近藤さんの水着を……選ぶの?」


 体勢を整えてもう一度近藤さんに尋ねる。


 「う、うん……。わたし、どれを選んだらわからなくて悩んじゃうと思うから、一緒に来てくれると……うれしいなって」


 「っ……」


 近藤さんと二人でお買い物はいいよ? 嬉しいし、楽しいし。

 でもね? 水着って……。俺男だよ? 

 女性向けの水着なんてそんなに見る機会だってないんだよ? 

 それに、俺もどれがいいとかわからなくなって迷宮入りするかもしれないんだよ?


 「そ、そういえば佳奈さんは?」


 そうだよ。あの人いるじゃん。きっと俺なんかよりもずっとセンスのいい水着を選んでくれると思うんだけど……。


 「彼女と彼女の水着を一緒に選びに行く」という、めったに――というか、人生に一度あるかないかの超貴重なイベントではあるが、近藤さんが俺が選んだ似合わない水着を着るくらいだったら俺は潔く諦めるしかない。きっと血が出るくらいには唇を噛んで悔やむだろうが。


 「わたしも佳奈を誘ったんだけど、佳奈は宮下くんと買いに行くみたいで……」


 「そ、そうなんだ……」


 「う、うん……」


 「わかった。俺たちも一緒に買いに行こうか」


 「えっ、いいの?」


 「うん。もちろん」


 声ではそういったものの、内心めちゃくちゃドキドキしている。これでしていないなんていう奴がいるんだったら出て来い。


 「じゃあ買いに行く日はわたしから連絡するね」


 「お、おっけー」


 「高岡くん、ほんとにありがとうね」


 「そ、そんなことないって。じゃあまた」


 「うん、ばいばい」


 「ばいば~い」


 そこで通話が終了するが、気づいたら俺は全身汗だくになっていた。

 マジか。これってマジだよな……。


 電話が終わった後も、緊張やら興奮やらいろいろな感情がグルグルと頭を駆け巡ったせいで、その日はまったく眠れなかった。

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