第70話 欠席

 ――数日後。

 最近は梅雨らしい空模様が続いていて、相変わらずのチャリ通である俺は憂鬱な日々を送っていた。


 それに加えて今一番厄介なのが、気温だ。

 暦の上ではそろそろ夏を迎えるというのにもかかわらず、朝晩はぐっと冷え込んでいて、Tシャツでは肌寒く、上着を羽織らないと過ごしずらくなっていた。

 しかし、朝晩の冷え込みとはうって変わり、昼間は異様に蒸し暑くなり、Tシャツ一枚でも汗ばんでしまうほどだ。


 「うわぁ、気持ちわる……」


 寒くて少し厚着をして登校するも、漕いでいるうちに汗をかいてインナーがしっとりと肌に張り付くという最高に気持ち悪い感触の中、教室に入る。


 もちろん、俺の登校時間はいつも始業ギリギリだから、クラスはいつもどうりガヤガヤと騒がしい。


 そしてこれも当たり前のことだが、俺に「おはよう」なんて言ってくれるクラスメイトはほとんどいない。

 ――ただ、近藤さんを除いて。


 しかし、俺の席の隣、つまり近藤さんの席は空席だった。


 「あれ……?」


 近藤さんは普段部活の朝練をしているから、早くから学校には来ていて、俺が席に着くときにはいつも座っているはずなのに……。

 もしかして――。


 「ほらー。席に着けー。欠席にするぞー」


 始業のチャイムとともに、柳先生が教室に入ってくると、クラス内に散らばっていた生徒が続々と自分の席へと戻っていく。


 「じゃー出席を取るぞ」


 生徒全員が席に着いたことを確認して名簿を開くと、あくびをしてから出席を取り始める。

 いや、生徒の前で堂々とあくびするなよ。せめて噛み殺しなさいよ。あなた、先生でしょ。先生。


 一人一人の名前を読んでいくのだが、相変わらずだるそうな声だこと。

 先生のその低いテンションが移りそうになるぜ、まったく。


 「――近藤……は今日は休みだな」


 あぁ、やっぱり。風邪でもひいてしまったのだろう。この朝晩と昼との寒暖差は、身体に大きな負荷をかけてしまうから、無理もないか。


 俺は近藤さんに「お大事に」と短めにメッセージを送った。あんまり長すぎても、かえって読むのも億劫になっちゃうかもしれないからね。

 早く良くなって近藤さんが復帰するのを待ってるしかないよな……。


 そう思っていたのだったが――それで終わるほど、最近の俺の生活は単純に出来てはいないのだった。

 それは放課後。突然の出来事だった。


 「――伊織!」


 授業も終わり、さて今日もさっさと家に帰りますか、と荷物をまとめていたところで、俺の名前がコールされる。

 え、何……? ご指名ですか? と思っていたが――。


 「――やっぱりお前か、達也」


 「せいかーい。よくわかったな」


 「当たり前だ。俺にはお生憎様友達が少ないんでね。そんな大声で、しかも、俺のことを『伊織』って呼ぶやつの心当たりにはお前しかいないんだよ。残念だったな」


 「い、いや……。そんなに堂々と『友達少ないアピール』しなくていいんだぜ。なんだ? 同乗してほしいのか? かわいそうだねって頭でも撫でてほしいのか?」


 「いや、そんなことは断じてありえない。お前になんか俺の頭は撫でるどころか、指一本も触れさせてたまるか」


 「ふーん、なるほど……。俺の頭をなでていいのは結衣ちゃんだけってことか」


 「――⁉ は? は? は? い、意味わかんねぇし? なんでそこで近藤さんが出てくるんだよ」


 「図星だな? ……まぁいいから落ち着けって伊織。何そんなにムキになってるんだよ」


 「う、うるせぇ。余計なお世話だっつーの。……っていうか、なんでお前ここ来たの?」


 「ははは」と笑っていた達也は、そこで何かを思い出したようにはっとした表情になる。


 「そうだそうだ。すっかり忘れてた。そのために来たのに」


 達也は廊下の方を向くと、手招きするようなそぶりを見せる。すると、廊下からこちらにやってきたのは、佳奈さんだった。


 「あはは……どうも。佳奈さん」


 「久しぶりだね、伊織くん」


 「――で、達也。佳奈さんが俺に用があるとか?」


 「いやいや。そうじゃなくて……。詳しいことは佳奈ちゃんから」


 「え? 私? まあいいけど」


 佳奈さんは達也に誘導されて俺の目の前に立つと、咳払いをして話し始める。


 「伊織くんは、今日結衣が風邪ひいて休んでるのはもちろん知ってるよね」


 「うん、そりゃあもちろん」


 「おっけ。じゃあ今日私と達也と伊織くんで結衣の家にお見舞い行くから。ぱっぱと準備してね」


 「なるほど。お見舞いに近藤さんの家に――って、えっ⁉」


 なんだそんなことかと思っていたけど。いやいや……。佳奈さんはたしかに「近藤さんの家に」お見舞いに行くって言ったよな。全然そんなことなかったし、めちゃくちゃ衝撃的だったわ。


 ってか、もう決定事項なのね。あくまで俺に拒否権はないと。いや、拒否するつもりなんて毛頭ないけどさ。

 だって近藤さんが心配だもん。お見舞いしてあげたいよ。決して「近藤さんの家に行けてやっほーい!」とか、そんなことは一切ないからね。


 「――おい、伊織。早く準備していくぞ。俺と佳奈ちゃんは先に校門まで行って待ってるから、追いついて来いよ」


 そう言い残して、達也と佳奈さんはほとんど密着してるんじゃないかってくらいの距離感で歩いて行ってしまった。


 俺は、いつか近藤さんとあんな風に歩けたらな――なんて思いつつ荷物をまとめ始めた。

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