冬深し・君と過ごす最後の聖夜
聖なる日。クリスマス・イブニングの日に訪れた奇跡は、
志桜里の容態は秋の頃に比べれば落ち着いており、何とか病状を化学療法で落ち着かせているみたい。このまま、何も起こらずにたまにこういう風に外出して過ごせるだけでも僕は嬉しいのだけど。でも欲を出せば、完治は難しくても持病持ちになったとしても、社会復帰できることを強く望む。それは、ミツキの願いも同じ。
免許を取得したミツキの運転するSUVは少し大柄で、なぜこの車を買ったの、と訊けば、事故っても死ななそうだから、と。いや、事故を起こすような運転しなければいいでしょう。しかし、やられることもあるのよ、と心配性になったミツキは言う。慎重な運転をするミツキのハンドルさばきに、志桜里も僕も少しだけ沈黙してしまった。だって、気が散ると絶対にぶつけるから。助手席に座る僕は、後部座席で借りてきた猫のようにちょこんと座る志桜里に振り返ると、なにやら、神妙な面持ちをしていた。ハンドルに食らい付くミツキが心配なのだろう。
「ちょっと、シュン君。なにか話してよ。暗いよ」
「いや、だって……ねえ。ところで志桜里、なにか食べたいものとかないの?」
「えっと、うん、甘いもの食べたい。それよりもさ、いいの。クリスマスなのに。本当は二人で過ごしたいんじゃないの?」
「ねえ、志桜里。僕は志桜里とも過ごしたいよ。クリスマス。それに、念願の外出なんだから、遠慮なんてしないでよ」
「そうだよ。志桜里ちゃんは、もっとわがままになっていいんだよ?」
病院から自宅までは僅か二〇分。バイパスを降りて駅前通りを過ぎると、ようやく自宅に着いた。たった二〇分だったとしても、僕と志桜里は無事に車から降りられることに胸を撫でおろした。ミツキが派手に車をぶつけるんじゃないか、と神経をすり減らしていたのだから。
おじゃまします、と何やら恐縮している志桜里の背中を叩いて、僕は言う。志桜里らしくないよ。もっと堂々と上がりなよ、と。病気が彼女を弱々しくしてしまったわけではない。実際に、僕の姉さんの
今では、そのミツキは堂々と玄関から上がって靴をそろえると、座って、とダイニングテーブルに僕と志桜里を着かせて、お茶を入れてくれる。その様子を見て志桜里は、ミツキって
「志桜里ちゃん夕方には帰らないといけないんだから、さっそくクリスマスしよう」
しかし、飾り付けもしていない部屋でケーキを食べるのも少し寂しい気がするね、なんて言った僕に勝ち誇ったような顔をするミツキは、ちゃんと用意していますよ、と。
「では、皆さん、離れへ行きましょう」
「まさか、ミツキ。昨日珍しくいないと思ったら……」
先に寝ていて、というミツキの言葉に従い、ベッドに横になった僕の隣にミツキが来ることはなかった。誰もいない隣の空間に手を伸ばして、寂しい思いをしたのが今朝の話。ということは、また徹夜で飾り付けをしたのかな。相変わらず元気なのね。ミツキは。
上がりまちを踏みしめて歩く廊下は、すでにクリスマス一色。左側の引き戸を開ければ、僕とともに過ごしたクリスマスを彷彿させるような飾り付けがされていた。茶色いグレンチェックのソファが二つに、黒いソファが一つ増えていて、真ん中にアンティークのテーブルと部屋の片隅に置かれた大きいポインセチアの生け花。壁という壁にぶら下がるクリスマスオーナメントを一人で飾り付けしたのだとしたら、気の遠くなるような時間が掛かかってそう。
「ミツキ、すごい。相変わらずマメだね」
壁に掛けられた大きいソックスに触れながら志桜里が呟く。少しその瞳は潤んでいる気がしたけれど、微笑みがそれを否定するように明るい表情になった。ソファに腰かけると、ありがとう、とミツキに笑いかける。病気になる前には見ることの出来なかった志桜里の表情に、良かった、と心からミツキは喜ぶ。そんな様子に、僕も嬉しくなった。
「花プリ時代からマメだったの?」
「うん。リーダーだったからね。今考えると、ミツキがいなければ成り立たなかった気がする。それなのに、もう私と碧唯、それに月島は言いたい放題。ソロになってから、ようやくそれに気づいたわ」
ミツキの用意した苺の沢山乗ったケーキは三人で食べるには少し大きく、スポンジの中にも半分に切られた苺が埋められていて、まるで宝探しをするみたい。苺を掘り起こす遺跡発掘。慎重にゆっくりと少しずつ発掘進めるよ。
志桜里ちゃんは苺が好きなのよね、とミツキは言って、付属していたキャンドルを箱の中に戻した。ミツキは蝋燭が寿命を連想させるから、と敬遠する。まして、スピリチュアルに
暗幕のようなカーテンを引き、暗くした部屋でクリスマスツリーを点灯させてミツキが歌う曲は、花鳥風月プリズムZのクリスマスソング。志桜里も懐かしんで一緒に歌っていた。なんて贅沢なクリスマスイブなのだろう。ミツキと志桜里、そして僕の三人でクリスマスを過ごせる日が来るなんて思ってもみなかった。花プリのことは今でも愛している、と言ったミツキに志桜里も同意する。
その後、なぜかボードゲームがやりたいと言った志桜里に、ミツキが大賛成をしてなぜか母屋にある——僕の家族はパーティー好きだから——人生ゲームを引っ張り出してきて。僕が一人で借金を抱えて破産するパターンが、なんと三回も続く縮小版人生は、やはりミツキも志桜里も強かった。さすが、厳しい芸能界を生きてきただけのことはある。
人生ゲームが終わり、いよいよプレゼント交換の時間。僕から志桜里に渡したプレゼントは、ストール。これを巻いて、また外出できるといいな、という希望を込めて。これから冬本番になる寒さで冷えないように。心まで温かくなるように。僕からの願いを込めて。
箱を開けた志桜里はとても喜んでいて、ありがとう、元気になってまた外出できたら絶対に使うね、と。その言葉に思わず僕は顔を背けて涙を堪えた。
ミツキが渡したプレゼントは、ジル・スチュアートのタオルとハンドクリームのセットだった。志桜里の受けている化学療法は、手足の皮が剥けてしまうこともあるらしく、それを思ってのプレゼントらしい。使えなかったらごめんね。
でも、志桜里はとても喜んだ。欲しいと思っていたけど、なかなか僕とミツキに言うのは悪いと思っていた、と。そういうものは遠慮せず言って欲しい。僕が告げると、志桜里は泣きそうな瞳を擦り付けてありがとう。いつからこんなに素直な子になったんだ。
当然買い物に行けない志桜里からプレゼントを貰う訳にはいかないために、気持ちだけ貰うと言ったのに、あとで届くから、と彼女は言う。通販でごめんね。
そんな楽しい時間もあっという間に過ぎてしまい、志桜里の帰る時間に。病院まで送り届けた僕とミツキは、また明日来るから、と志桜里に告げる。寂しがるのかと思いきや、志桜里は少し涙目だけど満面の笑みで、楽しかった。
その笑顔が殺し文句のように僕とミツキの心にとどめを刺した。帰りのミツキのSUVの中で二人して大号泣をしてしまい、コンビニに寄って、しばらく泣き
夕闇の中に散りばめられた星の瞬く午後七時に、二人椅子を倒してサンルーフから見上げる空に思いを
風が奏でる冬の記憶は、ミツキとの別れを惜しむ日々の切なさ。でも、今は志桜里を失いたくないという切実なる願い。助手席に寝転ぶ僕の手を握り、ミツキは言う。なんで人は出会いと別れを繰り返すんだろうね、と。大切な人ほど儚く消えちゃうんだね。シュン君はもういなくならないよね。志桜里ちゃんもきっとシュン君みたいに帰ってくるよね。
「うん。きっと大丈夫。だって、一時は意識まで失ったのに、今では外出できるくらいになったんだから。それに僕たちがくよくよしていたら、志桜里はどう思うの。僕が転校してきた時には、みんな僕に声すら掛けてこなかったよ。当たり障りのない言葉ばかりで、本心を言う人は朱莉しかいなかった。だから、気を使われるのは本当に辛い。自分の葬式を先に見ているみたいでね。志桜里もきっとそう言うんじゃないかな」
「うん。そうだよね。シュン君ありがとう」
家に帰ると、珍しく姉さんが帰宅していて、宅配便を受け取ったよ、と。中身は志桜里からのクリスマスプレゼントだった。僕とミツキにお揃いのマグカップ。名前が入っていて、添えられた印字のメッセージには、こんなものでごめん。一生大事に使うよ志桜里。
★☆☆
翌日、訪れた病院で看護師から告げられた言葉は、今日は面会できないです。理由は発熱したから。もしかして、昨日の外出が原因なの。そうだとしたら、僕たちのしたことが裏目に出てしまったということなの。
「発熱は、外出に関わらずしますよ。むしろ、発熱しても精神状態が安定しているので、結果的にはよかったんじゃないですか。あんなに笑っている鳥山さん初めてです。先生もきっと、積極的に外出させるんじゃないでしょうか」
看護師の話を聞いて、僕とミツキはほんの少しだけ救われた気がした。しかし、面会ができないとすると、帰るしかない。持ってきたタオル類や洗濯物を看護師に預けて
————
「倉美月くんと花神楽美月さんじゃない」
「新井木さん……こんなところでいったい?」
訊ねた僕の瞳を見据えたまま、ゆっくりと近づく新井木遥香は、僕の肩に手を置いて呟く。倉美月くんの快気祝いは何がいいの、と。そんなもの要りませんと答えるが、話を全く聞いていない様子。視線をミツキに移すと、にっこりと微笑むその表情は、まるで裏の顔を隠す悪女のよう。
「わたしはもう花神楽美月ではありません」
「では、ミツキさん。お元気そうでなによりね」
「もしかして、志桜里のお見舞いに?」
「ええ。鳥山さんがお病気だと知って。いろいろとお付き合いさせていただいた関係もあるし」
「新井木さん、あの時、なんで僕に
「————だって、ミツキさんを追い込めば、倉美月くんは戦うでしょう。
「まさか……新井木さんて確か今、楠川田の会社の……」
眉根を寄せたミツキは新井木に詰め寄って、あからさまに嫌悪感を示す。そんな表情をするミツキを見たのも初めて。それに対して新井木は、軽くあしらうように口元を手で隠して鼻で笑う。どこまでも嫌な感じのする女。
「ええ。代表をしています。お陰様で」
「まさか、お父さんを脅していたのって楠川田じゃなくて……」
新井木遥香は何も答えなかった。ただ微笑んでいるだけで。しかし、新井木遥香の鋭い視線を向ける先のミツキは奥歯を噛みしめる。ミツキの憶測ではあるが、
「想像力豊かで面白いですね。まあ、でも確かに、あたしは、欲しいものは何でも手に入れたい。それが人のものだと分かっていると、なお燃えちゃうのよ」
「それで……楠川田の会社も……?」
漏らした声を宙に漂わせたまま、今度は後ずさりするミツキは、僕の腕に抱きついてその指先に力を込める。絶対に渡さないから、と僕だけに聞こえる声で呟いて。
「ふふ。それよりも、あたしの手に入らなかったものは一つだけ」
ゆっくりと近づく新井木遥香は、僕の耳元で
————あなただけ。
「僕は……どんな手を使われても、あなたの元にはいかない。もし、ミツキと離れなくちゃいけないときには、自害してでもミツキの
「シュン君……」
「いいわ。もう興味ないもの。あたしが欲しいのは、病に苦しむ余命幾ばくの王子さまだったのだから。あなたにもう魅力なんてないわ」
じゃあね、と言って立ち去る新井木遥香は、看護師に紙袋を手渡すと振り返ることなくエレベーターホールに消えていく。まるで、異世界の魔女のように。
後味の悪いシチューの粉がずっと舌に残るような感覚を覚えたまま、僕とミツキは病院を後にした。車に乗り込むまで僕の腕から離れようとしないミツキが、新井木遥香に抱く思いはどんなものだったのか知る余地はない。だが、その表情からして殺意すら抱いているのではないか、と思うほど険しいものだった。ミツキにもう終わった話だから、と頭を撫でると、ようやくぎこちない笑顔を僕に見せて、しばらく沈黙した。ハンドルを握って、ギアをドライブに入れると、閉じていた瞳を開いて、短くため息を吐きアクセルを踏んだ。
☆★☆
年末年始も外出できるならしていいよ、と言った僕の提案を静かに否定した志桜里は、大晦日とお正月なんてお世話になるわけいかないじゃない、と電話口で否定した。そんなこと気にしなくていいのに。しかし、その方が自分も気が休まるから、なんて。じゃあ、お正月明けにまた外出しようと言ったら、喜んで受け入れた。
今年も残りあと一〇分。母さんと姉さんに飲んじゃいなよ、と言われたアルコールをきっぱりと否定したミツキは、来年にはお付き合いします、と言って映し出されるお笑い番組を楽しんでいた。母さんが人気お笑いコンビに
「でも、和佳子さんすっごく面白いですこれ。わたしも出たかったなぁ。現役時代に」
「ねえ、ミツキちゃん。ミツキちゃんはもう私の子供よ。倉美月家の一員。飛鳥の妹。春夜と一緒になるんでしょ。なら、ね」
「————はい。お母さん」
姉さんは、素直でよろしい、とビールを片手に顔を赤らめるミツキの頭を撫でた。なら、あたしは姉さんとお呼びしてよろしくてよ、と訳の分からない日本語でミツキの顎に手をやる姉さんは、そのままくすぐり始める。もう、お姉さんまでわたしをワンちゃん扱いして、と言ったミツキはすごく嬉しそうだった。
「今年はみんなでいかない? 元朝参り」
はい、と威勢よく手を上げたミツキを覗いて、父さんはともかく、母さんも姉さんも無反応。寒いし、とか、眠いし、とか、階段上がると酔いが回るから、と。だめだ、この人たちは、と諦めてミツキと玄関から出て行く。僕たちに、気を付けてね。やる気のない声を上げる姉さんは、ワイン探しに勤しんでいる様子。また去年の過ちを繰り返すのか。
階段を一歩一歩踏みしめて上がる。初春という音だけは温かそうな冬の冷気は、除夜の鐘と交じり合い耳元を凍てつかせる。両脇の投光器の
「シュン君……見られちゃうよ」
「見られても構わないよ。だって、有名人じゃないし」
そうじゃなくて、恥ずかしいでしょ、と言ったミツキの口を再び塞ぐ唇はやはり氷菓のようで、ラズベリーの薫り。あけましておめでとうございますと告げる町内会のおじちゃんとおばちゃんに丁寧に挨拶をして、甘酒を貰う僕とミツキは、その熱さに顔をしかめる。その様子を見ていた町内会の人たちが言う。倉美月君と花山さんは、随分と大人になったね、と。そして、よく似ているから、きっと結婚するね、なんて。意味が分からない。
「ほら、結婚は似ている人とするってよく言うじゃない」
なるほど、と納得するミツキは、僕の顔をまじまじと見て、唸りながら言う。
「わたしの本当のお父さんは、シュン君みたいな人だったんだね、きっと」
「そうなの?」
「いや、見たことないから分からないけど」
「じゃあ、どうして?」
「だって、お母さんとわたし、そっくりだってよく言われていたから」
今度は、僕がなるほど、と唸ってしまった。
お賽銭を入れて鳴らす鐘の音に告げる願いは一つ。ミツキには悪いけど、志桜里のことだった。
「シュン君ごめん。今回は、シュン君のことお願いできなかったの」
「志桜里のことでしょ」
階段を下る僕たちとすれ違う女子高生たちは、会釈をするのみで何の反応もしなかった。ただ、今の人、すごく可愛くなかった、と噂されただけで。随分と僕とミツキを取り巻く環境が変わったのだな、と思わずミツキの肩を抱き寄せる。ミツキも、僕のお腹に手を回してくっついた。なんだか、二人だけの時間が嬉しいの、と。
二人きりの部屋で朝までルーレットを回し続ける。三人でする人生ゲームは少しだけ僕も勝つことができた。僕とミツキ。それに志桜里の分は二人で交互にルーレットを回して。志桜里はやはり強かった。億万長者になって、子だくさん。それに、少しばかり慈善活動なんてしちゃって。ミツキは志桜里に追いつき追い越し、また抜かれて。
人生もこんな風に笑いながらルーレットを回して、気楽にいけたらいいのに。僕はたまたまルーレットで良い目が出ただけ。運が良かっただけ————僕と志桜里にどんな違いがあるの。
ねえ、志桜里。
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