番外編:修学旅行【3RD】
太陽の匂いをたっぷりと浴びた少し暖かい海水の色は、
「すごいね、シュン君みたいなお魚がいっぱいいるね」
「僕みたいなのって。魚の顔に似ているなんて一度も言われたことないんだけど」
「そうじゃなくて、
「僕、そんなに人懐っこくないけど……」
「そう? わたしには人懐っこいじゃない」
それは人懐っこいって言わない気がする、とは言わなかった。なんとなくミツキの言いたいことが分かるから。スッピンのはずなのに、メイクをしている時とあまり印象が変わらないのは、元から綺麗なのだろう。でも、日焼け止めを塗らないで、顔が焼けたら仕事に差し付けがないのだろうか。なんて、そんな心配をしてしまう。
寄ってくる魚を防水ケースに入れたスマホのレンズの中へ収めていく。黄色い魚はなんていう名前なのだろう。あと、透明な青い魚もいた。
「しゅ、シュン君!? ちょっと」
「どうしたの?」
「亀さんがいるの!!!」
え、と声を漏らした僕の言葉が
「ほんとだ。すごい」
「写真撮れた?」
「あ。すっかり忘れてた」
「もう。ってわたしもなんだけどね」
そう言って、えへへ、と笑うミツキは再び潜っていき、まるで人魚のように華麗に遊泳して姿をくらました。置いて行かれた、と思った矢先に一〇メートル向こうで顔を出し、撮れたよ、と叫ぶ。その声にうちの高校の男子は釘付け。中には魚を撮っているフリをしてミツキを撮るけしからん男子もいるくらい。もう、ミツキは目立ちすぎ。こっちが困ってしまう。
「海で泳いだことないのに、すごいね」
「うん。ここってあまり波がないから」
「それにしても運動神経が良すぎだよ。できない種目はないんじゃないの?」
「バレーボール」
「え? バレー? なんで?」
「だって、痛いの」
潜水をするミツキは決して波音立てず、
「冷えちゃった?」
「ううん。むしろ暑いくらい。そうじゃなくて、シュン君はそろそろ休まないとだめだよ」
「え? 全然大丈夫だけど?」
「駄目です。息を止めるのも心臓に負担かかるんだから。ね」
僕の手を引くミツキは、虎ノ門のホテルで僕が発作を起こした後あたりから、過剰なまでに僕を心配する。いや、心配というよりは、僕を管理していると言った方が正確かもしれない。東北の病院に入院したときのお母さんキャラよりも過保護になっていた。ただし、飛行機の中では、そんな余裕はなかったみたいだけど。
薬の時間、活動する時間、それに、食事の管理。例えば、僕はバナナを食べることができない。なぜなら、バナナを食べると薬の効果を阻害してしまうから。
昨夜の夕食の料理にバナナのソースが含まれていたのだが。それを食べようとした僕の手を取り、
ホテル敷地内のお店で夜食を買ったら、いきなり全部調べられて、食べられるか食べられないかのチェックが入った。新之助は引き気味で言う。お前の嫁は恐い、と。
「うん? シュン君どうしたの?」
「ううん。考えることが同じで、嬉しくて」
僕はそう言って、ラッシュガードからリングを通したチェーンを見せると、ミツキは驚いて
全方位どこを見ても壮大で美しくて。感じる空と海はアクアマリンのような煌めきで。それでいて、僕の彼女は最愛で。撫でる肌は少しだけ熱を帯びていて。だけど指先は少し冷たくて。とても、とても愛おしかった。この美しい世界に存在するミツキのすべてが。
「うぅ。シュンく~~~ん。もう。言わなくても付けてきてくれるなんて」
「それも嬉しいんだけど。でも、正直、ミツキが来てくれたことが一番嬉しいんだけどね。ミツキが来なければ、僕も来なかったかもしれないし」
「よかった。飛行機がんばって」
そうだね、と言ってミツキの頭を撫でる僕は、周囲の視線なんてどうでも良くなっていた。もはや、これ以上隠していてもどうなるわけでもないし、二人して週刊誌に載せられてからは、逆に開き直ってしまったというか。高校生活はこれでいいと思う。
ミツキの僕に対する浮気疑惑は次第に薄れてきたのだから、人の噂は長続きしないものだ。そう。僕がミツキと付き合っていることを隠さなければ、噂は次第に消えていく。僕とミツキの仲が良ければ、あのミツキが浮気するようには見えない、なんて噂が飛び交っていく。これでいい。
姉さんの作戦の受け売りだ。策士倉美月飛鳥は言う。あんた達、隠し通せないなら堂々と付き合いなさい。仲が良ければそういうものだとみんな認識するものよ、と。
そうは言っても恥ずかしい。気まずいのだ。しかし、ミツキは人の目も
「ねえ。でも、いくらなんでもベタベタしすぎじゃない?」
「そう? だって、こうしていないと心配なんだもん」
「なにが?」
「それは、シュンが周りをいかに見ていないか、よね。シュンは空気読めなすぎ」
花柄のワンピース水着で僕の顔を覗き込んだ
「朱莉ちゃんの班は楽しいですか?」
「男子が馬鹿ばかりで。もう疲れちゃった。それより、ミツキちゃんも大変だよね」
「ねえ、朱莉。なんでミツキが大変なの」
「はぁ。やっぱりシュンはシュンだわ。ミツキちゃん、ちょっとお手洗いに行こう」
「え、あ、それは、その。ちょっと」
ミツキの腕を引き、無理やり連行していく朱莉は人さらいなのか。僕に手を伸ばしたまま連れていかれるミツキは、朱莉ちゃん待って下さい、なんて言いながらも強引に連れ去れてしまった。いったい朱莉は何をしに来たのか。
「
「シュンさま。今晩みんなでパンケーキ食べに行こうって言っているんだけど来ない?」
「ねね、シュンさま。夜は暇?」
気付くと数人の女子が僕の周りを取り囲んでいた。その様子は、まるで僕を
僕に話しかける女の子たちはきっとハワイの海と空に毒された人たちで。テンションが高くなってしまった人たち。だけど、僕に気を使い話しかけてくれる優しい人たち。輪に入れてくれるのは嬉しいのだけれども。
ただ僕はバカップルと言われようが、ミツキと一緒にいたい。この特別な時間をみすみす逃したくないし、せっかくのオアフ島でミツキを一人にするなんてことができるはずもなく。
「あんたら! 彼女がいる人を誘うなんて頭おかしいんじゃないの!!」
「出た、シュンさまの二号。気持ち悪いのよ。ったく」
「誰が二号だ。失せろ!!」
戻ってきた朱莉とその陰に隠れようにしてこちらの様子を
朱莉は少し大人になった方がいいと思う。なぜそんなに怒っているのか。二号とはどういう意味なのか。朱莉に唾を掛けられそうになった女の子たちは、捨て台詞を吐いて
「シュン君、大丈夫だった?」
「え? なにが?」
やっぱり鈍感王子だね、なんて言う朱莉にミツキが深いため息を吐いて呟く。そうなの、もう付き合う前から鈍感王子で、なんて。僕って鈍感なの。王子ってなに。初めてそんな言葉をミツキから聞いた気がする。もし、なにか傷つけていたりしたらごめんなさい。
「アスカさんが前に言ってたの。シュン君に人の好き嫌いはないけれど、目に入るか入らないか、で人付き合いが変わるって。言い得て妙だと思う」
「これで分かったでしょ。ミツキちゃんが離れられない理由」
「えっと。離れると……遊びに誘われて、何か面倒なことある?」
がっくしと肩を落とす朱莉は、がんばってねミツキちゃん、と言ってビニールシートに横たわる友達の方に戻っていった。
「シュン君はそのままでいいの。それがシュン君だから」
「もし、僕のせいでミツキがなにか悲しむようなことがあったら、謝るよ。ごめん」
無意識で心無い一言を言ってしまったのだろうか。それとも、僕の考えなしの行動がミツキを傷つけてしまったのだろうか。どちらにしても、それが鈍感という言葉に集約していくとするならば直したい、なんて思っていると、ミツキは再び僕の手を握り海を眺めたまま呟く。謝らないで、それは付き合う時から分かっていたことだから、と。
「シュン君は、ダンサー時代からそうでしょ。いいの。そのままで。鈍感でもなんでもいいの。ただ、わたしの
「ちょっとよく分からないけど、僕がミツキを傷つけたりしてない?」
「そんなことあるはずないよ。むしろ、すごく癒されているから。ね」
日の当たる角度によっては、スターサファイアの輝きのように淡く弾ける波の紋様の上を、ヤドカリが歩く。
また来ようね。シュン君。
ホテルに帰るバスの中は静寂の時間が悠久を
効きすぎるクーラーから身を守らなければ氷漬けにされてしまう身体を守るべく、僕はバッグからビックシルエットのジップアップパーカーを取り出す。その一枚の右袖に僕、左袖にミツキがそれぞれ腕を通し、凍てつく風に凍える互いの体温で温め合った。僕は冷え性ではない。だけど、身体のために冷やさないようにしている。クーラーが苦手なミツキも、僕が身体を冷やすことを快く思っていない。だから、こうすることは共通認識なのだ。
「ねえ、シュン君。帰ったら自由行動だよね」
「うん。四時から夕飯の七時までだけど、三時間も空くよね」
「買い物付き合ってくれないかな」
「もちろん、大丈夫だけど」
良かった、と言ってパーカーの中で僕の手を握り、指を絡めてくるミツキは嬉しそうに僕の肩に頭を乗せて。甘いチョコレートのような香りのする髪の毛は、きっと海水で痛まないようにすぐにケアをしたのかな。肌もたっぷりと潤っていて。着替えるときにきっと何かを塗ったに違いない。それにしても、ゼリーのような肌がとても気持ちが良い。
「ねえ。明日の自由行動はなにか決めているの?」
「ハレイワに行ってみたいな」
そう呟いてすぐに寝息を立てたミツキの唇が微かに弾けて、薫るラズベリーがクーラーの下降気流で踊る。仄かな果実の気配に、僕は思わず顔を背けた。口づけをしたい衝動を抑えるのに必死だった。
可愛らしい寝顔を見て思い出すミツキの台詞は、シュン君はそのままでいいの、という言葉。僕もミツキに言いたい。
ミツキもそのままでいて。僕の傍で変わらない微笑みをいつまでも浮かべて欲しい。
ずっと、ずっと。
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修学旅行編4th以降は長いので完結後番外編で公開(予定)です。
読みたい方がいたらコメントください。早めに書くかもです。
次回は秋編ラストシナリオになります。
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