第31話 咎の閉じ込められた部屋

 荊は困ったように眉を下げ、怒りに暴走するセルクを神父から引き離した。

 神父は緩慢な動作で体勢を正し、ぺっと口の中に溜まった血を吐き出す。既に晴れあがり始めている頬に、痛みを確認するように手を当てた。


「残った腕も落とされたくなかったら馬鹿な真似はしないでくださいね」


 忌々しげにセルクを睨み上げる男へ、荊はこれ見よがしに大鎌を見せつける。前置きなく落としてしまっても良かったが、そうするとセルクが煩そうだと思い留まった。 


「セルクさんも、殴るのはもう少し後にしてください」


 手段が暴力かどうかは別として、荊だって今すぐにでも溜まりに溜まった鬱憤を晴らしたい。

 しかし、それよりも優先してやらなければならないことがあった。


 荊は伏せた目で秘密を閉じ込めた扉を見やる。


「その地下室、今も誰かいるんですか?」


 粗雑に鼻血を拭う神父は、無情にも首肯した。

 セルクは自分の肺がぎゅうと圧し潰される感覚に襲われる。吸っても吸っても肺が膨らまない。思考を奪う息苦しさにまた視界が悪くなる。


「だが、お前らじゃどうしようもないさ」

「……何故です?」

「呪具と呪いで縛られているからな」


 専門分野だ。


「それなら、俺たちにはなんとかできるので、お部屋に失礼させてもらいますね」


 荊はぱちんと指を鳴らす。

 ぱきぱきと鉄の扉が一瞬にして真っ白に染まった。荊は霜に覆われた扉に近づくと、そのまま力任せに蹴破る。へこんだ鉄板ががしゃんがしゃん、と先に続く階段を転がり落ちていった。


「さ、案内してください」


 神父の足の自由を奪っていた枷が外れる。代わりに氷の首輪が現れ、神父の命を握った。注意事項は言われるまでもない。

 神父は何も言わずに地下室への階段を進んだ。そのすぐ後ろを顔色の悪いセルクがついていく。


 荊は動かない影を見つけ、ふっと心配に表情を歪めた。彼女の存在を忘れていたわけではないが、優先的に気を回してはいなかった。

 荊は告解室であったものを飛び越え、ぽつんと立っていたペネロペの元へと走り寄る。

 ついと黒のローブをつまみ、少女の顔を覗き込んだ。


「平気?」


 瑠璃色の瞳は動揺していた。はくりと声もなく口が開閉する。

 ペネロペは感情を処理しきれていないようだった。もしかしたら、ハワード家には関わるな、という祖父の遺言を思い出しているのかもしれない。

 今になって、それが実に正しい言葉だったと分かる。


「きついならここで待ってても――」

「う、……ううん。行く。へ、部屋の人、呪われてるって。解呪できたら、助けられる」

「……うん。そうだね」


 ペネロペは力の抜けきってしまった身体で歩き出す。軸の揺れる足取りは危なっかしい。

 荊はペネロペを片腕で抱き上げ、暗闇に続く穴へと足を踏み入れた。

 石段を進むほど、ひんやりと足先から冷えていく。身体がすっぽりと穴に入った頃には肌寒さを覚えるくらいだった。


 行き止まりはすぐにやってきた。

 魔石の置かれたランプがかけられた壁、閉ざされた木の扉。こちらは入ってきた鉄の扉と違って鍵がかかっていない。

 扉の前で神父とセルクが荊とペネロペを待っていた。


 神父が扉を開くと、中は地下とは思えないくらいに明るかった。

 照明の数もそうだが、きちんと人が生活することに配慮がされている部屋だ。どこに続いているかは分からないが、通気口が設置されていて空気も循環している。


 扉から真っすぐに廊下が続き、その両側に二部屋ずつ、計四部屋に区切られている。いや、部屋というわけにはいかないかもしれない。

 仕切りは石壁であるが、一つの区画の中に用意されているのはベッドとトイレだけで牢獄のようである。

 部屋の隣同士を隔てる壁はあるが、対面同士を隔てる壁はない。

 廊下の先にも扉がある。薄く開いた扉の向こう側に見えるのは風呂だ。


 徹底的な環境管理は、一層に荊たちの心象を悪くした。

 この部屋の在り方は試行錯誤の途中ではない、完成された最適解だ。

 まるで家畜小屋。先ほど神父に語られた話のせいで、どうしても”生活”というより”飼育”という発想が先に出てしまう。


 荊はペネロペを下ろすと、手近な誰もいない部屋に足を踏み入れた。

 ベッドの上に置かれていた首輪を手に取る。

 首輪には鎖が付いていて、その先は壁に取り付けられた突起に繋がっていた。鎖はぎりぎり廊下に足が届かない長さだ。

 ちくりと指先が刺される痛みがする。


「首輪――、呪具なんですね。セルクさん、ここにあるものには触らないようにしてください」

「……お前は触っても平気なのか?」

「まあ。そうですね。俺は基本的には呪いにはかからないので――」


 不意に荊は首輪についたネームプレートに刻まれた文字に気づく。

 輝くプラチナの板には、“アイリス・オーブシアリー”と彫られていた。


 荊は生体として最低限の熱も引いていくようだった。その分、頭がすっきりと冴える気がしてくる。

 澄んだ心に残るのは殺意。これを用意した者の息の根を必ず止めてやらねばという決意。


 これがここにあるということは、アイリスをこの罪深き部屋にいれるつもりだったということだ。結婚だなんだといいながら、妻としてどころか人としても扱うつもりはないのだろう。


 ――指一本触れさせるつもりはないけど。

 荊は無言のまま首輪を握り潰した。ひしゃげたそれは付与された効果を失いガラクタである。


「だあれ? だあれがいるの?」


 奥の部屋から間延びした声が聞こえてくる。

 セルクはでくの坊と化した神父を押し退け、声の元へと駆け出した。

 そして、言葉を失う。


 ベッドの上、鎖に首輪を繋がれた女。膨らんだ腹を簡素な服で隠した少女はきょとんとした顔で突然現れたセルクを見上げていた。


「――カレン・ヘイル」


 セルクは疲弊した声で絞り出すように名前を呼んだ。


「だあれ? あそんでくれるの?」

「……セルク・エディクス。ルマ分室所属の騎士だ」


 セルクは引き寄せられるように足を踏み出した。一歩、廊下から部屋の中に入ろうとした瞬間、セルクは荊に名前を呼ばれ制止がかけられる。

 何の変哲なく呪具が転がっている部屋である。抵抗力のない彼女を先行することは許されなかった。


「カレンさん」


 セルクの代わりに部屋へと入った荊は、カレンと対面するようにベッドに乗り上げた。警戒心のない少女は「なにしてあそぶ?」と年齢以上に幼い口振りで首を傾げている。


「首に触りますね」


 荊は両手で首の拘束具に触れた。感じられる痛みはもはや珍しくもなく、先ほどに壊したものと同じ呪具だと分かる。

 ついでにとカレンの魂を覗き見れば、そこにはくっきりと呪術の跡があった。


 ――これが、ドルド・イ・ハワードの呪術。

 荊は無意識に嫌悪を抱いていた。


 呪術という大きなくくりこそ同じでも、術者の人柄は確実に反映されている。

 ペネロペの呪術は解呪のみだが、していた。適切な魔力、適切な術式。術をかけられている相手へ負担をかけない心遣いがある。

 セナの呪術は強力で無駄がなく美しい。自らの痕跡を一切残さない後始末も完璧だ。


 それに比べて、ドルドの呪術はどうか。

 自己主張の激しい執拗な呪術。骨の髄までしゃぶり尽くすような、魂を舐り取るように絡みつく魔力。例外なく誰しもを不快に陥れるものだった。


「カレンさん、首がちょっと冷たくなるよ」


 断りを入れたのと同時に首輪を凍りつかせる。ぐっと指を押し込むように力を入れれば、ばきりと快音を立てて首輪が割れた。


「つめたい!」

「ごめんね」


 荊はゴミとなった首輪をぽいとその辺に投げ捨て、カレンの首筋に再び触れた。

 長くつけられていたのだろう、擦れた跡がくっきりと付いている。紫に変色したそれを優しく撫でれば、すぐに元の白い肌が戻った。

 荊にできるのはここまでだ。


「見てあげてくれる? この子、ドルド卿に呪いをかけられてる」


 ペネロペは荊の申し出に大きく頷き、彼とカレンとの元へと歩き出した。途中、あしゆびが石の床に引っ掛かり、ふらりと身体を揺らす。


「わっ――」

「おい、気をつけろ!」


 セルクが腕を回し、ペネロペが床に突っ込むことはなかったが、ふわりと揺れたフードは後ろへと落ち、ペネロペの顔を隠すものがなくなった。

 くすんだ金の髪、瑠璃色の瞳。


「あ!? なっ、セナ……っ!?」


 ずっと沈黙を守っていた神父が驚愕に声を上げた。

 血走った目は痙攣するように小刻みに動いている。開ききった瞳孔は目の前の子供の顔を凝視していた。


「違ェっ! お前、ドスの連れ去った妹の方か――!!」


 神父はペネロペがセナによく似た別人だとすぐに気づいた。彼には彼女に心当たりがあったのだ。

 ぎょっと目を剥いた神父が吐き捨てた言葉に、ペネロペは目を丸くした。歯や舌が見えるほど大きく口を開き、意味を持たない単音の言葉を発する。

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