第24話 命を握る呪い
「目が覚めるのか……!?」
イーサンは期待の色を浮かべて荊とアイリスを見やる。
荊はきゅっと唇を結んだ。
現状では何とも言えない。
おそらく、このままアイリスが力を使い続ければナターシャの目は覚めるだろう。しかし、それは一時的な奇跡だ。
本当の解決には、ナターシャの魂に刺さった杭を何とかしなければいけない。彼女たちにずっと手を繋いで生活させるわけにはいかないのだから。
「やっぱり、呪術師を止めないといけません。私にできるのは命を助けることで、呪いを消すことではないので」
アイリスは悔しそうに呟いた。
イーサンはひくりと目の周りの筋肉をひくつかせる。少女の見解が気になったらしい。不思議そうに「……アイリスにできる?」と硬い声で返した。
「解呪が上手くいってるんじゃ……」
イーサンはアイリスの福音を知らないようだ。解呪のおかげで快方に向かっていると勘違いしているらしい。
「いいえ。残念ながら、解呪以前に呪術は悪化しています」
「なっ――!?」
イーサンは恐る恐るとナターシャへ手を伸ばした。
赤いワンピースに隠された薄い腹の上に静かに手のひらを置く。そして、すぐに弾かれるように手をどかし、顔色を真っ青に染めた。
「んで、こんな。どうして――」
荊は表情にこそ出さなかったがイーサンの反応に驚いた。
イーサンの動揺はナターシャにかけられた呪いの度合いが分からなければできない反応だ。恋人が死にかけていることを理解し、がたがたと震える身体は恐怖に支配されている。
――まさか、この子も呪術師……。
荊はじいっとイーサンの背中を見つめた。少年の背中。死を背負うには小さすぎる。
「解呪の呪術師に依頼を出したのは貴方ですね」
びくりとイーサンの肩が大きく跳ねた。何よりも分かりやすい肯定だ。
荊はゆっくりとかぶりを振る。
「信用のために言っておきますが、解呪の呪術師は『依頼人のことは言えない』と騎士に詰め寄られても口を開きませんでしたよ。貴方が依頼人だと気付いたのは消去法です」
そして、それを暴いたことには意味がある。
「イーサンさん。ナターシャさんのことを解呪専門の呪術師に頼む、ということは、そうしなければ助けられないと分かっていたんでしょう? どうして、彼女を連れて屋敷を出なかったんですか」
ナターシャをこの屋敷に置いておくことに利点はない。
イーサンに呪いを判別することができるなら尚更のことだ。彼女がこの屋敷に保護された時期と、呪術によって眠りについた時期とを鑑みれば、この屋敷にいる方が危険だと分かりそうなものである。
「俺だって――、俺だって、こいつをここに置いておきたくなんかないッ!! 連れて、出て行きたかったよ――!! 逃がしてやりたい!!」
イーサンはぎりぎりと力一杯に拳を握る。ぎゅっと目を瞑れば、悔し涙がばたばたと重力のままに落ちて行った。
「っ、これが、クソジジイのやり口だから――! この屋敷を出たら、俺も、ナターシャも殺される!!」
「ドルド卿の?」
荊はひたりと心臓に冷たい何かが触れるのを感じた。悪寒。触れてはいけないものに触れたような。隠しておかなければならないものを暴くような。そんな予兆だった。
ひゅっとイーサンが空気を吸う音が大きく聞こえる。
「ジジイは、身寄りのない女を、屋敷に連れ込んで――、色欲の呪いをかける」
イーサンは嗚咽を上げながら、涙に濡れた瞳で荊を見据えた。その表情は助けを求めるものだ。
「一度、手籠めにされたら、逃げられない」
「……呪具で自由を奪われるから、ですか」
荊が思い起こすのは、傀儡人形が付けていた呪いのかけられた貞操帯である。
色欲の呪いにかけられた人間の行動は、ペネロペの住む小屋でセルクがしていた通りだろう。はしたなく、肉欲に溺れる無様。そこに自我はない。
呪いに囚われた人間は簡単に掌の上で転がせる。身体を繋げるのも簡単だろうし、貞操帯をつけることも容易いだろう。
荊はぞわりと寒気に首筋を撫でられた。突然に浮かんでしまった最悪の想像に吐き気を覚える。
どうしてイーサンはそこまで知っていながら、大人しくドルドに従っているのか。何故、ナターシャをこの屋敷から連れ出せないのか。二人とも殺されるという言葉の意味。
――嘘だろ。
荊は急かされるように、泣き震えるイーサンの元へと駆け寄った。それから、少年の前にしゃがみこむ。
「イーサンさん、ちょっとすいません」
荊は両手でイーサンの腰を掴んだ。親指をぐっと押し、指先の触覚を頼りに下へ下へと辿っていく。
「や、やめ――」
イーサンの弱々しい制止もむなしく、荊の手は見つけたくなかったものを見つけて止まる。指先を刺す針のような痛みは、ナターシャの四肢の自由を奪っていたものから感じたものと同じだ。
骨盤の上、それまでとは違う硬い感触。
太い帯のようなそれを荊は知っていた。
――貞操帯。
ぎょっとした荊がイーサンを見やれば、少年はかっと顔を赤に染めて、さらに涙の量を増やしていた。羞恥と情けなさと恐怖を混ぜたような、絶望の表情。
荊はそっと手を離した。やらなければいけない、と頭より先に体が動いていた。
「……俺には呪術は解けないし、アイリスのように呪術の侵攻を止めることはできません。でも、――」
荊はイーサンの腹の下を手のひらで押す。
手に触れるのは固い金属。朝に実物を見ていたおかげで、角のある
「呪具を壊すことはできます」
荊が力を込めれば一瞬の冷気、ばきんと折れる音に続いて亀裂音。
あまりの冷たさにイーサンはぶるりと身体を震わせた。はくはくと口を開閉し、一生懸命に酸素を身体に取り入れようとする動作。
涙で歪んで見える瞳、赤に染まってしまった顔、恐怖と羞恥で震える身体。
「君だって怖くて辛かっただろうに。恋人を守ろうとよく頑張ったね」
少年の気持ちを考えると、荊は堪らなかった。
イーサン自身も呪具に命を握られていた。そんな状態では、ペネロペに解呪の依頼をするのも決死の覚悟だっただろう。
この囚われた檻の中、彼にできたのは呪われて眠りについた恋人の傍にいることだけ。いつか目覚めると信じて。
荊は呪具を壊した手を離し、イーサンの背に腕を回す。温かすぎる体温。骨は細く、筋肉もない。まだまだ子供の小さな身体。
イーサンは呆然とし、荊にされるがままだった。
そのうちに、呪具がガラクタになったことを理解し、荊の体温を感じると、止めどなく涙を溢れかえさせた。
力を抜いて青年に身体を預け、縋るように荊の背中を掻きむしる。
「おっ、俺じゃ、ナターシャを助けられなくてっ――! 俺だって、呪術師なのに――! ジジイが教える呪術なんて、クソみたいなもんばっかで!! 物心つく前から、俺は、ずっと、あれがついてて――、あのジジイは俺のこと、息子だなんて、思ってない、俺はただの、道具で――」
「もう大丈夫。大丈夫だから」
荊は力の限り、少年を抱きしめた。腕の中から痛みが伝わってくるようである。呪具から受ける痛みの比ではない。もっと鋭く、もっと鈍い痛みだ。
わんわんと声を上げて号泣する少年は、しゃっくりに言葉をつかえさせながら、ナターシャを助けてくれと懇願した。
「任せて。必ず、俺たちが何とかするから」
荊はイーサンの肩を掴み、しっかりと視線を交わらせて宣言する。
アイリスも涙声で「絶対助けます」と同意を示した。
「――荊、誰か来る」
静観してたネロは冷静に状況を把握している。
荊はイーサンをアイリスに任せ、扉と対峙するように立った。ネロは荊の隣に並ぶと、怒気と殺気に満ちた横顔を見上げて「珍し、マジギレじゃんか」と呑気にものを言う。
「死神様も随分とまあ、丸くなっちゃって」
「俺が丸くなったことは否定しないけど、ドルド卿はただの害悪だろ。自分が矢面に立たずに他人の命を握って駒にするなんて」
「まるで悪魔使いを良いようにする
「……俺のことはいいの」
心の奥底で苛烈な激情が焦げ付くようだった。
人を人とも思わぬ所業。イーサンと同じ憂き目に遭っている者がどれだけいるだろうか。
この屋敷に保護されたという女の子たちはどうした。祖父を殺されたペネロペ、死神の生贄と無人島に捨てられたアイリス、騎士の誇りを折られ自責の念に駆られるセルク。
たった一人の男が、どれだけの数の命を不幸に陥れているのか。
ばんと大きな音を立てて扉が開け放たれた。
そこに立っていたのは、引き締まった表情できろきろと大きな目を動かすダニエラ。隣には無表情のセナが控えている。
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