第16話 抜けた穴を埋めてできた絵は
すっかり暗くなった空、闇に紛れてツクヨミは名もなき島の浜辺へ降り立った。荊はペネロペを抱え、黒い鱗の背中から白く柔らかな砂の上に飛び降りる。
「ありがとう、ツクヨミ。明日もよろしくね」
ツクヨミは任せろとばかりに喉を鳴らし、撫でてくれと荊に擦り寄った。
荊が悪魔の甘えた仕草に応えている横で、ペネロペはきらきらと瑠璃色の瞳を輝かせていた。ぽっと感動に頬を染めている。
「荊、僕も、ツクヨミ様、撫でたい」
彼女はまたもや好奇心に負けたらしい。
この島に来るためにツクヨミの姿を初めて見た瞬間から、ペネロペの心はここにあらずだった。
ツクヨミは人懐っこい。向けられているのが好意だと分かって、自らペネロペの元へと向かっていった。小さな少女にも撫でやすいように頭を下げ、嬉しそうに尻尾を揺らす。ご機嫌だ。
「ひゃ、ひゃわ!」
荊は少しの間、彼女たちの好き勝手にさせた。
内気な少女が緊張し、萎縮してしまわないか心配していたが、今のところ問題はなさそうだ。
ペネロペと古い付き合いだというミミックドラゴンは、彼女が森から出ることに渋い顔をした。しかし、経緯を説明すれば、むしろ娘をよろしくと言わんばかりで、荊は丁重に扱う約束をしてペネロペを預かってきたのだ。
「ペネロペ、そろそろ終わりにして。ツクヨミも帰るから」
「えっ!? ツクヨミ様、一緒じゃないの……?」
「――」
「マカイのアクマ? どこ?」
一つ、荊が驚かされたのは、ペネロペとツクヨミが言葉を交わしていることだった。荊ほど鮮明に言葉を聞き取ってはいないが、片言でも聞こえているらしい。
魔人だからなのか、呪術師だからなのか。
蘇芳にスカーレットかツクヨミを会わせたら判明するだろうか、と荊は近いうちに答え合わせをしようと決めた。
「ほら、二人ともばいばいして」
「――」
「ば、ばいばい、ツクヨミ様」
「おやすみ、ツクヨミ」
ツクヨミは愛情を持って荊とペネロペとに頭を擦り付け、満足げに魔界へ帰っていった。
当然現れ、突然消えることには違和感しかないらしく、ペネロペは呆然としながら驚きの声を漏らしている。
昼間ならともかく、夜間に島の獣道を行くのはペネロペの細足では危ないだろう、と荊は彼女を片腕で抱き上げた。小さな子供にするように持ち上げられ、ペネロペは恥ずかしそうに荊の肩を掴む。無意識にか、ばさばさと羽を騒がせていた。
遠くに見える明かり、鼻に届く良い香り。
帰ってきたな、という気分になって、荊はゆるゆると頬を緩めた。
粗末な掘っ立て小屋、獣を寄せ付けないための焚き火の傍にアイリスの姿がある。彼女が足音に気づき、振り返って微笑む姿を認め、荊は更に口角を上げた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「何もなかった?」
「はい。大丈夫です。お怪我はありませんか?」
「俺は大丈夫。でも、この子が腕を怪我して。治ってはいるけど、気にはかけてあげて」
アイリスは荊の腕に乗った小さな少女を見て、きょとんとした顔をした。
ペネロペは「ぴゃ」と小さく肩を跳ねさせる。前もってアイリスの存在を知らされていたが、心構えがあっても実際に顔を合わせるのは緊張するらしい。
「アイリス。この子はペネロペ。例のお嬢さんにかけられた呪いを解いてくれようと頑張ってくれてる呪術師だよ」
「ひ、ひ」
「ペネロペ。彼女はアイリス。俺の相棒」
「はじめまして。アイリスです」
優しく微笑むアイリスに、ペネロペは小さな声で「ぼ、僕は、ペネロペ・ドス」と自己紹介すると、すぐにぐしぐしと荊の肩に額を押し付けた。酷く恥ずかしがっている。
そんな彼女の様子にアイリスはきらきらと目を輝かせ、「可愛い」と心の声を口に出していた。ペネロペがアイリスに慣れるには時間が必要そうだが、アイリスはすでにペネロペにメロメロである。
ペネロペは離れたくないと荊の服を握る。しかし、無情にも荊は彼女を解き放った。
どうしたらよいのか、ともじもじするペネロペの背中に「誰、コイツ」と横柄な態度の声がかかる。
ネロだ。
「ね、猫……?」
「あの子がネロだよ。ネロ、こっちはペネロペ」
ペネロペは新たな登場人物を見つけ、ひゅんと荊の後ろに隠れた。
ネロについても、荊から先んじてその存在を聞かされていたが、本物を見るとやはり驚いてしまうようだ。しかし、アイリスを前に挙動不審を披露したのと違い、距離を取りながらも冷静にネロを見ている。
少しの沈黙の後、ペネロペははっと目を見開いた。
「ツクヨミ様と同じ、アクマ?」
「はあ、そうだけど」
荊は背後からペネロペを引きずり出すと、ネロの方へ背中を押す。
「ネロ。ペネロペにいろいろ説明してあげて。俺のこと何も言ってないんだ」
「はあ?」
「悪魔使いのことは言っていいよ。ご飯も食べさせてあげて。俺はアイリスと話すことあるから、よろしくね」
言うが早いか、荊はアイリスの手を取り、海へと続く道を歩き始めた。勝手をする荊の背に、ネロは「ちょっと荊ァ!?」と声を荒げ、ペネロペは「い、荊??」と困惑を浮かべたが、青年が振り返ることはなかった。
「ペネロペちゃん、ネロくんと二人で大丈夫ですか?」
「ツクヨミとも仲良くしてたし、ネロとも仲良くやれると思うんだけど」
ペネロペをネロに手放しで任せられるわけではないが、あちらに構っていると今日が終わってしまう。明日も調査の続きがあるのだから、今のうちに整理できることは整理してしまいたかった。
アイリスを連れ出した理由は一つ。
彼女の過去を探らないといけないからだ。話したがらない過去に触れる。荊はできれば一対一で話をしたかった。
夜の海辺は暗く、物寂しい。波の音だけが聞こえる音で、冷たい水の中へと誘う歌のようだった。不気味で優しい歌。
荊はアイリスを大きな流木に座らせ、自分はその正面に立った。
アイリスはきゅっと唇を結び荊の声を待つ。
「まず、屋敷に保護された寝たきりの女の子はユンちゃんじゃなかった」
「ほ、本当ですか……!!」
「はい、お土産。いろいろバタバタして、潰しちゃったかも」
「あ……」
荊が差し出したのは紙袋に入ったパンだった。焼きたてからはずいぶん時間が経ってしまい、硬くなったそれを見て、アイリスはぽろりと涙を一つ落とした。
それから、かぷりと小さく開けた口でパンを食べる。口の中に広がる懐かしい味に、ぽろぽろと静かに涙を落とした。
「焼き立ては今度、一緒に食べに行こう」
「……はい。約束ですよ」
泣き笑うアイリスに、荊は庇護欲を燻ぶらせる。彼女が幸せに笑ってくれるなら、お使いに行った価値もあるというものだ。
もぞもぞとパンを
荊は「今日あったこと、話してくね」と前置きをした。
「寝たきりのお嬢さんって、ナターシャさんって女の子だったんだけど」
「え!?」
「……知ってそうだな」
「し、知ってます。プラチナブロンドで華奢な感じの――」
特徴は一致している。
アイリスは次々に彼女の知るナターシャについて説明を重ねた。聞けば聞くほど、同一人物だとしか思えず、荊も「その子だ」と完全に言い切る形で肯定していた。
「教会でよく会いました」
荊は憎々しげに「教会……」と繰り返す。
アイリスに害をなすものは荊にとっても悪といってよかった。現在、その最たるものがドルド、次点で不審な教会、さらにはドルドの屋敷で働く者たちだ。
「彼女、結婚するためにルマの街に来たっていうのは? 聞いたことある?」
「はい、聞いたことがあります」
「結婚相手について聞いてたりしない?」
「ありますよ。イーサンくんっていう――」
荊の頭に手足の長い綺麗な格好の少年の姿が浮かぶ。想像の少年はぎろりと荊をねめつけていた。
「は!? ドルド卿の息子の!?」
結婚適齢期とはいえない少女が結婚を夢見ていたのは本当の話らしい。
だが、問題はそこではない。
結婚の相手がドルドの子息であるイーサンならば、ナターシャを加え、親子で三角関係だというのか。愛憎劇にしたって酷い脚本だ。
荊はごくりと音を立てて唾を呑み込んでいた。ドルドとは考えていた以上に、私利私欲に塗れた狂人なのかもしれない。
「えっ!? イーサンくん、領主様の息子さんなんですか!?」
今度は荊が言葉の限りで少年の特徴を説明する番だった。要素が積み上げられ、人物像ができあがると、アイリスは「イーサンくんに間違いないと思います」と観念した。
「……ダニエラさんから、ナターシャさんはドルド卿の花嫁候補って聞いてるんだけど」
荊よりも驚愕の表情をしたアイリスは、ひゅうひゅうと浅い呼吸をしている。随分とショックだったらしい。顔色を悪くし、肩を震わせている。
自分がそうだった時のことを思い出しているのかもしれない。
「アイリス」
これは彼女の塞がった傷をさらし、新たな血を流させれる行為。
「君とあの屋敷とで何があったのか、教えて欲しい」
それはきっと、ナターシャを――あるいは、多くの少女たちを救うことに繋がるかもしれない。
もはや、この件は寝たきりの少女が起きるだけで解決とはならない。
屋敷に保護された少女たちはどこへいったのか。
呪術師はなぜ花嫁候補に呪いをかけたのか。
教会は領主と繋がり何をしているのか。
ルマの街の領主ドルド・イ・ハワードは何者か。
荊は申し訳なさそうに眉を下げた。アイリスの見も心も守ってやりたいのに。今だけは、話したくないことなら、話さなくていいとは言えなかった。
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