第15話 呪術師のいろは
ばちんと力一杯に頬をぶつ音が、質素な小屋の中で響く。
荊は力のままにぶっ飛ばされ、山積みのガラクタの中に突っ込んだ。それを見ていたペネロペは「はわわ」と口元に手を当てて震えている。
「この!! 暴漢が!!」
「俺は何も悪くないんですけど」
再び頬を打つ音が響く。青年は再びガラクタの中へ。
荊はそれを甘んじて受け入れていた。彼がこうでもしてやらなければ、セルクが人格崩壊を起こしてしまいそうだったのだ。
暴力を振るうセルクに怯えたペネロペが「ずびばぜん。僕が、だめだめだから、時間かかって」と謝罪をする。ずびずびと鼻を鳴らす少女にセルクはぐっと歯を食いしばった。八つ当たりなことには気づいている。
「ペネロペは絶対に悪くないよ。セルクさんも傀儡人形も解呪してくれたんだから」
傀儡人形は解呪された後に、また氷漬けにされて部屋の隅に転がっていた。
「悪いのはセルクさんに呪いをかけた呪術師」
「ああそうだとも!! 絶対に見つけ出して死を願うほどの屈辱を与えてやるッ!!」
ぐるると喉を鳴らし、セルクは唸り出す。
ペネロペは顔を強張らせて荊の後ろへ引っ込んだ。セルクの野生動物のような姿に怯えているようだ。ぴょこんと顔を出し、牙を向けられないかを窺っている。
荊はのんびり「張り切ってるなあ」と頭に血を登らせているセルクを眺めていた。
「ペネロペ!!」
「ひゃい!」
「呪術師に心当たりは!? 本当に屋敷の人間なのか!?」
荊に隠れたまま、ペネロペはおずおずと話し始める。
「屋敷の人間、というか、お嬢さんと毎日顔を合わせてる人。僕、毎日、毎日、お嬢さんの解呪してる、けど――」
ペネロペはしょんぼりと肩を竦めた。
「毎日、呪いをかけなおされる」
荊は納得だった。
ペネロペの魔力は決して弱くない。解呪の腕があるのも、最初にナターシャの魂を見た時から分かっている。それでもナターシャが寝たきりで平行線の状態だということは、定期的にペネロペの努力を無下にする何かがあるはず。
それが呪いのかけなおしだというなら、この状況の不思議がなくなる。
「普通、呪術は、遠くからかけるのが習わし。かける対象の身体の一部があればいいから。目の前でやったりしない。顔を見られるの、良くない」
「まあ、そうだろうな。呪術師というものは、基本的に人を貶めるものだ。顔を見せる利点がない」
荊は改めて呪術師と言う存在が悪魔使いに近いものだと思った。
背中にいる少女に振り返る。こんな子供がどうして呪術師をしているのか。瑠璃色の羽は気落ちしたように下がっている。
セルクはペネロペの様子に慌てて「いや、ペネロペを責めているんじゃないぞ」と弁解した。ペネロペは分かっていると返す。気落ちしている理由は呪術師が裏の仕事だと称されたことじゃないようだ。
「相手、力が強い。それにしても、呪いの顕在するの早すぎる。お嬢さんもそうだけど、お姉さんも、遠くからじゃなくて、直接、触れられたか、言葉を交わしたか、してるはず」
「セルクさんが今日、屋敷で会った人となると――」
「使用人のダニエラとセナ、子息のイーサン」
選択肢は三つ。誰かが呪術師。それも相当に力の強い。
「でも、なんでセルクさんに呪いをかけたんでしょう?」
「私が聞きたい」
「傀儡人形、追わせるためだと思う。魔力を引き合わせる。荊、魔力強いから呪いかけられなくて、お姉さんに」
「なるほどね」
「つまり、式上なら無理で私なら落とせると? どこまでも舐め腐って……!!」
血管が切れる音が聞こえるようだった。
セルクの怒りの前には、こんな簡素な小屋など木っ端微塵になってしまうかもしれない。
「ところで、お前はどうしてナターシャ嬢の解呪をしているんだ」
「い、依頼人のこと、言えない」
「この非常時に――っ!」
ぺネロペはびゅんと荊の背中に引っ込んだ。背中を掴む手から、がたがたと震えているのが伝わってきて「セルクさん、怖がらせないでくださいよ」と苦言を呈する。
どうにも彼女は沸点が低い。
「ペネロペは解呪を続けて。依頼人もそれがお望みなんでしょう? 俺たちもその方がいいし」
荊は依頼人もまた屋敷の人間であると見当がついていた。
呪術というものは身体の一部があって成立するもの。ならば、ナターシャの身体の一部がここにあるはずで、それをペネロペに渡した誰かもまた屋敷の人間だろうと想定できる。
彼女が寝たきりになったのは保護された後なのだから。
「もう一つだ、ペネロペ。自分が命を狙われることについて心当たりはあるのか?」
「……ある。呪術師は嫌われ者。呪いで人を不幸にする」
重い言葉だった。
「解呪の呪術師は、呪術師に嫌われてる。お仕事駄目にするから。邪魔な存在、殺したい存在」
「ならば、お前はなぜ呪術師なんてやっているんだ。まだ子供だろうに」
「……おじいちゃん、呪術師だから」
一家相伝は呪術師の特徴である。
荊は静かに息を吐いた。帰ってくる答えが分かっているが、尋ねないわけにはいかない。
「おじいさんは?」
「……夏の終わりに、死んだ」
「……ペネロペ。お前、兄弟は? 年の近い男の兄弟がいないか?」
「……分からない。僕、小さい頃から、おじいちゃんと二人、だから」
生きることを疎まれる解呪の呪術師。
唯一の家族だった祖父が死んで、ペネロペは一人ぼっちだった。
「だから、この森に住んでる。森にかけられた呪いとろん君に守られてるから、誰もここまで入って来れない。……荊たち、いるけど」
「森にかかってた目隠しの呪いは君が?」
「ううん。おじいちゃん」
「ろん君って?」
「ここに来るのに、会ってる、はず」
「?」
招かれざる客である二人は顔を見合わせた。この小屋に来るのに誰かに会っただろうか。森に住むものたちはこぞって命の気配を隠していて、静寂なものだったはずだ。
「ミミックドラゴン、ろん君。友達」
――危なかった。この子を本当に一人ぼっちにするところだった。
荊は冷や汗をかく。セルクの制止がなければ、間違いなくあのドラゴンの首を刎ねていた。
セルクもその可能性に気づいたらしく、間一髪だったなと言いたげな視線を荊に向ける。二人はひっそりと安堵した。
「とりあえず、話も出きったな。どうする?」
「もう一度、屋敷に行きましょう。ナターシャさんに呪いをかけてる意味も分かりませんし、そのことについて誰がどこまで知っているんだか」
「幸い、選択肢は絞られている」
「……暴力に訴えるのは最後にしてくださいね」
しかし、もういい時間だ。
このまま調査を続行する気はない旨を伝えれば、セルクは同意を示し、明日も同じ時間に同じ場所で集合することを提案した。
荊はそれが意外だった。てっきり、彼女は寝る間も惜しんで悪をせん滅するような人間だと思っていたのだ。変な偏見を抱いたことに心の中で謝罪した。セルクはもっと視野の広い人間だった。
「ペネロペはどうする?」
「俺が預かります。匿う場所のあてがあるので」
もちろん、死神に呪われた孤島のことである。
「ぺネロペ、ここを離れるけど大丈夫? 俺たちのせいでこうなったし、ここに置いていけない。会ったばっかりなのに信用しろっていうのは難しいかもしれないけど」
「え!? え、えっと……」
ペネロペは混乱していた。
傀儡人形に傷つけられ、ここに残されることに不安があったのは本当のこと。それでも、いざ保護したいと言われると、その好意に甘えるのに勇気がいった。
「ろ、ろん君。ろん君がいいって、言うなら」
「分かった。それじゃあ、外泊許可をもらいに行こうか」
「傀儡人形の女は騎士団で預かる」
「お願いします」
あのミミックドラゴンが交渉の相手という時点で、ペネロペの保護先は決まったようなものだ。
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