第2章 世間知らず、世に放たれる
第16話 いざ、ギルドへ
ユリルハルロ王国は臨海の小さな国だ。
これといった特産物はないが、その立地から首都エリオスは貿易都市として栄えている。国生まれの人間、外から来た人間、住み着いているもの、観光に来ているもの、エリオスの港にはとにかく人が多い。
ここは来るもの拒まず去るもの追わずの開放的な街であり、人の出入りが多いからこそ栄えた街である。
つまるところ、証明できる身分のない荊が紛れ込むには最適の街だった。
「ここですよ」
二人と一匹は街の中でも一際大きな建物の前で、掲げられた看板を見上げていた。看板に書かれた文字は“ギルド エリオス支部”――荊には読めない文字である。
この世の常識を知らない荊がお金稼ぎの手段をアイリスに尋ね、辿り着いた結果がここだった。
「ギルドねえ」
「はい。お金を稼ぐならこれしかありません!」
ぐっと両手で拳を作ったアイリスは「荊さんお強いですし、ここなら外からの人も多いので目立ちません」と実に現実的な意見を述べた。
「悪いことして稼ぐのは駄目ですからね」
「悪いことって?」
「え?」
「俺、悪いことなんてしないよ」
綺麗に持ち上げられた口角と糸のように細められた目。絵に描いたような笑顔であるが、アイリスとネロには胡散くさい笑顔にしか見えなかった。
アイリスは押し黙ったが、長い付き合いのネロは「嘘つきめ」と半目になって彼の白々しい主張を咎める。
「しゃべらないって約束で連れてきたんだけど。守れないなら帰って」
「みにゃあ」
白猫は媚びた鳴き声とともにアイリスの肩へと飛び乗った。すりすりと小さな頭を少女の頬に擦りつける様はなんとも可愛らしい。
しかし、恨みがましい視線は依然、荊へと向けられていた。
この世界でも猫という生き物はいるが喋らない、と聞いて荊はネロを留守番させる気でいた。ネロはおしゃべりが過ぎる、絶対にボロを出す、と断言できたからだ。
しかし、そんな判断をよそにネロは自ら同行を申し出た。
その理由というのが、被害者体質のアイリスを護衛するというもので、荊にもアイリスにも願ったり叶ったりの提言だった。警戒されずに日の下を歩き回れるという利点が、荊が契約する他の悪魔にはなく、荊はその申し出を認可する他なかった。
人の言葉を話さないことを口酸っぱく言い聞かせたが、この調子では怪しいものである。
「アイリスは来たことあるの?」
「はい、ここの支部じゃないですけど、ギルドメンバーには誰でもなれるので。その頃はまだ小さくて、簡単な仕事しか請けたことありませんが」
「ふうん」
――アイリスが簡単な仕事しかできないのは、十六歳の今だって変わらないのでは。
荊の失礼な心の声などは露知らず、アイリスは荊の足元を指差し「ところで、結局、その荷物って何なんですか?」と島を出発したときと同じ質問を繰り返した。
そこにあるのは木箱である。高さも横幅も五十センチくらいの立方体で、外側から中身は分からない。
「内緒」
荊はにこにことこれまた先ほどとはタイプの違う胡散くさい笑みを浮かべた。島を出るときも、アイリスはこうしてはぐらかされていた。
どこから見ても重そうな箱であるが、荊はそれを軽々と持ち上げる。
「ここで話してても仕方ないし、行こうか」
両手で木箱を持つ荊のため、ギルドの扉を開けたのはアイリスだ。一歩、アイリスの足が扉の中に踏み入る――瞬間、彼女の薄い肩がびゃっと跳ねた。
複数人からの値踏みをする視線。鋭く研がれたそれが来訪者たちを射抜いたのだ。
「アイリス、こっちにおいで」
荊はアイリスを隠すように前に出る。表情こそ穏やかだが、一触即発な不穏さを孕んでいた。標的になるのが自分だけなら無視するところだが、アイリスが変に目をつけられるのはいただけない。
年季の入った木造建築。足を進めるたびに、ぎしぎしと床が軋む音がする。
この建物の間取りは、ほとんどがギルドメンバー向けの待合兼談話スペースとなっていた。テーブルと椅子、ソファーが並べられ、飲み物と軽食が提供できるようなキッチンバーも設置されている。
そこには荊たちよりも年上の男女数人がたむろっていた。じろじろと不躾な視線を向けてきているのは彼らのようだ。
言葉にされなくても分かった。彼らは荊たちを身の程知らずだと見下している。
「いらっしゃーい!」
張りつめた空気を壊すように、奥にあるカウンターから朗らかな声が上がった。
「こっちこっち! こっちだよ!」
荊たちに向かって、大げさに手招きをしているのはメイド服を着た少女だった。
ここへは喧嘩をするために来たのではない、と数多の視線を無視する荊に、そもそも戦意を持たないアイリス。唯一、ネロだけが喧嘩腰であったが荊に無言のまま制されていた。
二人と一匹は誘われるままに奥へと進んでいく。
値踏みの視線でめった刺しにされながらカウンターの前まで来たところで、荊はメイド少女の容姿に驚き、目を瞬かせた。
――悪魔、かと思った。
額から二本の角が生えている。根本が黒く、先が赤い角。まるで昔話に出てくる鬼のようである。
荊はアイリスが驚きもしていないことを横目で確認し、これは異常事態では無いことを知った。また聞かなければならないことが増えてしまった。
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