恩師

藤村 「先生! 定年でのご退官お疲れ様でした!」


吉川 「うん、ありがとうな」


藤村 「先生、私はすごく記憶に残ってる思い出がありまして、ドン・キホーテで買い物していて、電話がかかってきたから一旦外に出たら商品をそのまま持って出ちゃって万引きと間違われたことがあったんですよ」


吉川 「……いや? すまん。ちょっと記憶にないな」


藤村 「先週のことなんですけど」


吉川 「それは知らないよ! 何年も会ってなかったのに。お前の個人的な思い出? 普通そういう思い出話をする時は共通の話題をするものじゃないの?」


藤村 「軽めのエピソードトークから入ろうと思いまして」


吉川 「いいけどさぁ。急に知らない思い出話かまされて、どうリアクションとったらよかったんだ」


藤村 「思い出といえば、あれがありますね。フランス革命。ロベス・ピエールのやつがあんな本性を表すとは! 信じてたのに!」


吉川 「何の思い出!? 誰のいつの思い出を語りだしたの?」


藤村 「嫌だなぁ、先生が授業で教えてくれたじゃないですか」


吉川 「授業でやったフランス革命にそんな没入してたの? 思い出として語るほど。割とサラッとだったよ? 出来事をなぞる感じでやっただけだよ?」


藤村 「あの革命が本当に必要だったのか! 別の道も合ったんじゃないか、今でも思い返しますよ」


吉川 「そんなに。そこまで覚えていてくれたら教師冥利に尽きるけど、ちょっと怖いな」


藤村 「あと先生との思い出といえばアレですね。暑い日に、冷たいジュースを飲みましたよね。あれは美味かったな~!」


吉川 「薄いっ! 誰にでもある思い出でしょそれ。老若男女すべての人はその思い出持ってると思うよ。特別私とキミの関係性で語ることじゃないもの」


藤村 「でもあの時のジュースほど美味しかった……あれ? ジュースじゃなくて豚汁でしたっけ?」


吉川 「なにも覚えてないじゃないか! ジュースと豚汁を混同したらもうそれは別のシチュエーションだよ。代替えが効く飲み物じゃないんだよ、ジュースと豚汁は」


藤村 「先生にとっては生徒はいっぱいいたでしょうけど、ボクにとって先生は……。まぁ、小中高大を含めるとそれなりにいました」


吉川 「そうだよな! いるよな! いると思うよ。今このタイミングでわざわざ言わなくていいことだけどね」


藤村 「でも恩師と言える先生は、吉川先生だけです」


吉川 「藤村……」


藤村 「私にとってはもう、恩師というより恩ピです」


吉川 「彼ピみたいに言った? 軽くなってるからな。恩ピと呼ばれたい先生はあんまりいないと思うよ」


藤村 「オン・ザ・師です!」


吉川 「なんだよそのザ。どこから来たんだ。オン・ザ・ビーチみたいに言うなよ」


藤村 「故事にも、三尺下がって師の影を踏むぜ! と言いますし」


吉川 「踏まず、だよ。三尺下がって師の影を踏まず。なんで意気込んでるんだよ。前のめりで影を踏もうとするなよ」


藤村 「感謝してもしきれません! なので、どうせしきれないなら初めから感謝などしないでおこうと思います」


吉川 「最悪な宣言をしてきたな。なんだよ、その諦めの良さ。別にしきれなくても適量でいいんだよ、感謝は」


藤村 「いいえ。今日からはもうタメ口でいかせてもらおうと思います」


吉川 「どういう考え方したらそんな結論になるんだよ!」


藤村 「今の自分があるのは、すべて先生のおかげです」


吉川 「そういう言い方されるとすごい責任感じちゃうな……」



暗転

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る