監督

監督 「カット!」


吉川 「どうですか、監督?」


監督 「う~ん。足らん」


吉川 「足りませんか?」


監督 「なんつーかな、狂気が足りないんだよ」


吉川 「狂気」


監督 「そうだ」


吉川 「でも別にこの役はおかしな人でもないし」


監督 「そんなことはない。うちに秘めた狂気。それがあるから深みが出るんだ」


吉川 「狂気、そんなに必要ですかね」


監督 「わかってないな。お前さんの感性がその程度なら他の役者に変えてもいいんだぞ。誰か他の。アル・パチーノとかに」


吉川 「アル・パチーノ? アル・パチーノみたいな感じで演じていいんですか?」


監督 「あの狂気だよ」


吉川 「あんな感じで。アル・パチーノ……演じられますかね、この役」


監督 「アル・パチーノだったら見事に演じるだろ」


吉川 「なんか想像できないな」


監督 「お前が無理ならアルに連絡するぞ」


吉川 「気安いな。そもそもやりますかね。アル・パチーノ」


監督 「脚本ホンはいいからな」


吉川 「う~ん」


監督 「特にこのセリフだ。今までのシーンで悲劇として語られてきたこと。悲しみ、苦しみ、怒り、嘆き、そのすべての感情がこのセリフでひっくり返るんだよ」


吉川 「はぁ」


監督 「わかってんのか? 救いのシーンなんだよ。ここで泣かせられなきゃどこで泣かせるんだ」


吉川 「難しいですね」


監督 「あとチャーミングさだな。ロバート・デ・ニーロみたいな」


吉川 「出てくる名前がでかい」


監督 「デ・ニーロだったらこのセリフで空が抜けるような開放感を出せる」


吉川 「言ってることはわかるんですけど」


監督 「デニに連絡するか?」


吉川 「デニって呼んでるんですか? そんな呼び方する人はじめてみましたけど」


監督 「ロバか?」


吉川 「そんな呼び方、スコセッシだってしませんよ」


監督 「前半のシーンはよかったよ。日本人は湿っぽいシーンをやるのに向いてる。苦しみや悲哀がよくでてた。だからこそのこのセリフでの転換なんだよ」


吉川 「そうですねぇ」


監督 「お前の人生でもっとも報われた瞬間を思い出せ」


吉川 「根本的な質問なんですが、そんなにですか?」


監督 「はぁ? お前なめてんのか?」


吉川 「いえ、なめてるわけじゃないんですけど」


監督 「デ・ニーロだったらどういうか想像してみろ」


吉川 「デ・ニーロがやる想像がまったくできないんですよ」


監督 「すべてをひっくり返す最大のカタルシスが来る。そこには味わったことのない喜び、希望、そしてほんの僅かの狂気。わからないのか?」


吉川 「言ってることはわかります。感じとしてはわかります。わかるんですけど、そんなにかなって」


監督 「そんなになんだよ! 人生のすべてなんだよ」


吉川 「人生のすべて……」


監督 「これまでのすべてをひっくり返せ! 悲劇はこのためにあった。そう心から望め!」


吉川 「わかりました」


監督 「よーい! スターッ!」


吉川 「……そんな時に助けてくれたのが、この青汁」


監督 「カーッ! OK!」



暗転

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