覆面調査員

シェフ 「おい、3番テーブルのお客様。気づいたか?」


吉川  「なにがですか?」


シェフ 「マスクだよ」


吉川  「入店するのにマスクを着用してもらうのはもはやマナーですから」


シェフ 「よく見ろ。マスクにロゴがある。あれ有名なタイヤ屋さんのマークだ」


吉川  「本当だ。見たことある」


シェフ 「つまりあれは噂の、覆面調査員ってやつだ」


吉川  「え? あの世界中で売れてる料理ガイドブックの?」


シェフ 「そうに決まってる。覆面してるし」


吉川  「覆面って、マスクのこと? いや、マスクはみんなしてますよ。だいたい覆面調査員ってそう言う意味なんですか?」


シェフ 「そういうことなんだよ。シェフの勘だ」


吉川  「別にシェフって勘で仕事する人じゃないと思いますけど」


シェフ 「味付けなんて全部勘だ」


吉川  「全部勘だったの? レシピとかは?」


シェフ 「今日の食材も何が来るのか忘れたから勘でなんとかした」


吉川  「発注したの自分でしょ? 忘れなければいいのに」


シェフ 「その俺の勘が訴えてる。あの3番テーブルのお客様は覆面調査員だ。もしくは不倫カップル」


吉川  「もしくはって保険かけるのズルくないですか? しかも振り幅が大きい」


シェフ 「それは賭けだな。うちは不倫カップル専門料理でやってるわけだから」


吉川  「嘘でしょ。初めて聞いたよ」


シェフ 「結構な価格帯の店だぞ? 食べログで星つけてるの全員不倫カップルだ」


吉川  「それ偏見じゃないんですか? よくないですよ、そうやって勘ぐるの」


シェフ 「なんにせよ、いつも通りだ。うちの店はどんな客であろうといつも通りのサービスをする」


吉川  「はい」


シェフ 「間違っても『不倫ですか?』なんて聞くなよ」


吉川  「聞いたことないですよ。そんなこと聞くギャルソン下衆すぎるでしょ」


シェフ 「緊張して料理をぶちまけたりするなよ」


吉川  「したことないですよ。ドジっ子メイドじゃないんだから」


シェフ 「ただちょっと匂わせておくか? 語尾にシュランってつけて対応しよう」


吉川  「嫌ですよ。なんですか、その気づいてますよ匂わせ。覆面調査員じゃなかったらどうするんですか?」


シェフ 「もしそうならただの酒乱だと思われるだけだから大丈夫だ」


吉川  「大丈夫なわけないですよね。ただの酒乱は一番大丈夫じゃないやつですよ。そもそも酒乱は語尾にシュランってつけないです」


シェフ 「でもなんか気づいてるって言いたくない? 手品とかもさ、気づいててあえて乗ってた方が上手感でるじゃない?」


吉川  「絶対逆効果ですよ。星が欲しくないんですか?」


シェフ 「手品で騙されるの嫌いなんだよ。見破りたいんだよ」


吉川  「嫌な人ですね。料理で勝負してくださいよ」


シェフ 「じゃあメニュー勧めてきて。今日のおすすめは『生○のシャブ漬け』ですって」


吉川  「なにそれ! エッジの効いた時事ネタ打ち込んでこないでくださいよ」


シェフ 「生肉を軽くシャブシャブしてマリネしたやつ」


吉川  「だったらそういえばいいじゃないですか。なんで豪快にアクセルふかすのよ」


シェフ 「舐められたくない。この店は覆面に気づいてないぜってほくそ笑んでるをの顔を踏みつけたい」


吉川  「サービス業向いてなくない? 星つけてもらう以前の問題ですよ」


シェフ 「なんとか本当の覆面調査員にだけわかる暗号みたいなもので『お見通しだ』と伝えたいよぉ!」


吉川  「そんなことに気を取られないでくださいよ」


シェフ 「もうそれが気になって料理どころじゃない。あいつらが『ヒッヒッヒ。騙されやがって。愚かな店だ』と覆面の奥で笑ってると思うと居ても立っても居られない」


吉川  「精神の均衡が崩れてる! たとえ本当に覆面調査員だとしてもそんなこと思わないですよ」


シェフ 「チクショウ! バカにしやがって。一言言ってきてやる!」


吉川  「待って! シェフ! シェフー!」


シェフ 「お客様、お味の方はいかがでシュラン?」


吉川  「ギリギリ『いかがですか?』に寄せたなー!」



暗転

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